福岡4, 5日目

 10月14日。ずっと寝ていたし猫と遊んでいたので書くことがないといえばない。いま猫は3匹いる。そのうち最も若い猫がほんとうに元気で、他の猫たちと一緒にじっとしてはいられないようだった。私がペンを使おうとしたらペンの蓋を狙いはじめ、私が髪を結ぼうとしたらヘアゴムに噛み付いてくる。そういえば若くない猫2匹も初めはそうだった。私の手が傷だらけになっていたのを思い出す。

 まあ若い猫はある程度遊んだら飽きてどこかに探検しに行くので、そうなれば私は老いた猫たちをダラダラなでつづける。

 老いた猫たちには楽しい思い出がたくさんあるし、暗黒の中高時代、彼らには関係のないことで嫌になるたびに私は猫から勝手に生きる活力をもらっていた。

 そういうことを思い出すから、15歳のときの私、22歳のときの私、今の私が重なりながら撫でているような感覚になる。今の私のつらさって15歳のときとそんなに変わらないかもなとか、定期的に同じようなつらい時期きてるんだなとか、私がんばってきたなとか、自分の進んできた距離や今の位置を感じさせられる。

 また、猫が老いていくことについて受け入れたくもなる。毛がなでつけられたままになっている。毛が減っている。皮膚も少し柔らかさが失われている気がする。目が濁っている。そういうことは見て分かってもそのまま受け入れることは難しい。他者のどうしようもないことは簡単に受けとめてしまえる気もするし、永遠に納得がいかないような気もする。老いるのは若いのよりかっこいいが、死なれるのは嫌だ。

 10月15日。朝に出発し昼には成田空港着。福岡空港では買いたい本がなかなか見つからなかったけど村上春樹の『職業としての小説家』を買って読む。村上春樹はデビューするまで四六時中働いていたという話は聞いたことあったけど、改めて励まされた。なんでもいいのかも。飛行機は最後に出た。急いでないから。

 昼はバナナ。夜もバナナ。胃にやさしいものを食べたかった。この1週間お酒を飲みつづけていたので。夜は「死にたい」か「どうでもいい」かなら死にたいのほうがマシだと考え始めて自分では腑に落ちた。

 noteじゃなくてもスマホでも書けるようになってきた。noteは多くの人が見てくれるのがうれしかったし人の日記を読めるのがうれしかった。それにTwitterとはちがう種類のゆっくりした関わりがnoteにはあった。しかし最近は純粋に日記を楽しんではいられなくなった。ひとまずnoteでお金を払って購読してたのをやめようと思う。