2月6日 食べ過ぎた

 2月6日日曜日。曇り。朝はなし。昼は豚の塩焼きとパフェ。夜はキーマカレー。最近かなりチートデイが頻繁に行われている気配がある。しかたない。

ぶあつい! うまい!

 今日は食糧とかコンタクト洗浄液とかを買い、夕方まで読書して過ごした。

 ここ最近、ひまがあれば本を読みたい的な流行性のアレがある。読んでたのは丸谷才一の『日本文学早わかり』というの。Kindleセールで講談社文芸文庫が安いときに、ミーハー丸出しで買ってみた本。丸谷才一といえば私にとって旧仮名遣いのなんかすごいらしい人でしかない。私は小説とかについては「友達が薦めてくれた」とか「なんだか流行っているらしい」とかそんな軽いノリで選び取ることが多く、一つ一つのつながりなんて考えてみたことない。しかし考えてみたい。だからなんか有名らしい文芸評論家の短い文によって日本文学を「早わかり」したいと思ったのであって、ミーハーなんだけど、そういうミーハーにもわかりやすい説明だった。詞華集を軸に文学史を語ってあり、朝廷のあり方の変容にともなって文学も変わっていったという。といっても政治史・経済史に結びつけるのではなく、とにかく文学作品の形式の変遷を辿っていくってのが、政治史とかの方が知ってる私にも結局わかりやすかった。こんなことなら安いときにもっと丸谷才一の本を買っておけばよかった。安くないと高いので困る。

 あとは徹子の部屋で草笛光子(あっけらかんとして冷たい)・岸惠子(ぬるっとした感情を隠しきれない)の凄みのある回を見て、大河ドラマ(富士川の戦いに頼朝が負けて宗時が死んだ)を見て、今。

よかった本2021

 2021年に読んだ本で、折にふれて思い出すようなもの。4冊・順不同。全部おもしろかった。

1)綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社 2019年)

 私自身がかなり「差別はいけない」と主張するタイプでありながら、そう主張するたびに無力感も生まれて、それがどこから来るのか知りたくて読んだ。

 要約。まずアイデンティティ(→民主主義 →集団)とシティズンシップ(→自由主義 →個人)の克服しがたい対立について欧米各国の例を挙げながら説明したのち、戦後日本の歴史問題についても、戦争責任をどのように負うべきかにおいてその対立が見てとれるとする。

 そしてハラスメント防止の話から、不快だと感じるものが人によって違うのはなぜかという話にうつり、「認知バイアス」や「道徳基盤理論」の考え方を紹介する。それらを踏まえ、人種や性別の差異にもとづく合理的差別のあり方や不平等を是正する運動の難しさを検討する。

 さらに直近の炎上した話題を取り上げ、もし差別が意図的なものでないとみなすのであれば、彼らはその責任を取りきれないのだから、自律的な個人の意志を前提にする社会をやめていく選択肢もあるだろう、とする。

 個人の意志をないものとするか、ポリコレによる私刑を許し「責任のインフレ」に耐え続けるか。そのどちらも望まないのであれば、著者は、相手の責任を追及する前に、まず不快さを言語化してみるということをやるべきではないかと提案する。

 最後、民主主義(アイデンティティ)と自由主義(シティズンシップ)の対立の調整を果たすものとして、天皇制についてもまとめている。

 感想。いつも私が読む本と比べてかなり慎重に書かれていて、引用が多く、鉤括弧が多く、主張も簡単には見えづらい。だから読むのにすごく時間がかかったけど、自分が社会問題について不快になったときや、自分の主張がなぜ通らないのかもどかしさを感じるときに、それを落ち着いて整理するための材料がたくさん整理されていて、ありがたかった。私も私ながら粛々と勉強していこうという気持ちにもなったし。

 あと、他者に何か道義的責任を負わせるのは難しいんだろうなと思う一方で、そのことがわかった上でも私自身の意志は尊重されてほしいし、その責任は取りたいと思った。

 で、自分の意志を尊重されたいからという理由で他人の意志を尊重するとして、そのときに他人の責任を追及してむやみに私的制裁を下しさえしなければ、それで良いのだろうか。責任ってむずかしーと思った。

書き込むのが嫌でこんなふうに付箋でやってきてたけど、あとで付箋をもとにして振り返るのダルいし、どうせ売らないので、書き込んでいったほうが楽とわかった

2)宇野重規『トクヴィル』(講談社学術文庫 2019年)

 西洋政治思想のことが分からないので、人物から追うやつで短いのがいいと思って、これになった。宇野重規さん文章が読みやすいし話もわかりやすい。

 トクヴィルは、フランス革命のあとの権力基盤の不安定になった貴族のおうちに生まれたフランスの政治思想家(1805-59)。フランスよりはアメリカで有名で(今は特に「知的右派のお気に入り」で)、アメリカの大統領演説では必ずと言っていいほどその著作が引用されるらしい。

 彼は革命に嫌悪感のあった貴族の出にもかかわらず、フランス革命の様子を見て「デモクラシーは歴史的必然として受け入れなければならない」と考えて、アメリカに出向き、アメリカの政治のやり方をデモクラシーの成功例としてフランスで紹介した。

 何が成功してるのかの一例として、デモクラシーは個人化や多数の暴政をどうしても起こすけど、アメリカでは、それらを防ぐために各地で人々が積極的に結社して中間団体を生んでいることを彼は挙げていた。それがとくに私には印象的だった。

 これまで私は何となく個人主義が一人ひとり徹底できれば社会はよくなると考えていた。でもさっきの本とかこの本を読んで、あとこないだの選挙結果も、コロナ禍によって明らかに孤立させられた人間に会うなんて機会もあった。

 これらの出来事から、自分の寿命に比して、個人という存在を過剰に信頼していた気がしてきた。一人ひとり同じだけの人権があるはずだといわれたときに、不安になる人も少なくなさそうなのだ。だとしたらどうするのがいいのか。生活における価値観が変わる読書だったと思う。

振り返るときの楽さを重視しすぎた例

3)ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』(新潮クレストブックス 2012年)

 小説。嫌なやつが主人公。私も嫌なやつなので嫌な主人公のせいで嫌なことを思い出しながら読んで、読めば読むほど嫌な思いをした。記憶と記録の話。面白かった。嫌だった。

4)大竹文雄『競争と公平感』(中公新書 2010年)

 今年は経済のことを知りたくていろいろ入門を読んだ中で、一番うざくなくて、読みやすくて、面白かった。経済学がデータをもとにしてものを考えるというときのやり方が、自分では思いつかないことで、刺激的だった。データ自体が研究の材料になる前提で作られてるってのもあるんだろうな。

 今年は戦後史関係の新書もいくつか読んで、全部ではないけど己の誠実さを強調するあまり説明が足りないのが多くて、いいからそういうの‪⋯と思ったりしたんだけど、そういう遠慮がないのは経済学のいいところだなと思った。

 本は、一章が競争について、二章が公平感について、三章がそれらをもとにした働きやすさについて考えるもの。

 全体を通して相関と因果の違いについて強調しながら、社会問題や政治のトピックについて「最低賃金を上げすぎるとレジが無人になって雇用が減る」とか「ワーカホリックを抑制する理由は他の人員に迷惑をかけていない限り、ない」とかを示して、淡々と深めていく感じ。

 私は経済について知らなすぎて、少し経済について学ぶ機会があったとしても、それが日常に生かされてこなかった。だからそういう時事に関心を持とうとしては挫折してきたけど、この本で「この条件を設けるとこういう結果になる」っていう判断のいきさつを丁寧に教えてもらった感じがするので、色々とっかかりになった。街づくりゲームをやりまくってたこともあって面白く読めた。

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 4冊は以上。なんか最初の本に時間がかかりすぎた。付箋だけで何が大事と思ったか思い出すのはつらい。

 よかった本を見るに、私は「私ってバカだな〜」と思えた本をよかったと思う。私には、例えば日常において「自分のこういうところ嫌だな」と思うことがあったら、その “こういうところ” をできるだけ細かく知って、いつでも心から切り離せるようにしておきたいという欲がある。

 多分そういう態度が滲み出て冷笑とかいわれるんだろうし、ネチネチ鬱陶しいとか思われるんだけど、読書している間はそれで楽しいんだからやむをえない。

 ずっと浅く大二病なんだと思う。もう黙ってやってればいいよ。性格は20歳から変わらないらしいしもう20代が終わるし。みっともないけどしかたない。

 来年も面白い本にたくさん出会えたらうれしい。