3月4日 なげー

 今日は休みとしていたのに、政治のことを漫然と検索してしまった。そういう日もある。新聞記事を読んで絶望的な事態を想像するところから始まった。昨日の日記で「まさかそんなことにならないといいけど」と書いていたことに向かって一歩進んでしまったのではないか(わからんけど)。私はつまらない大学生みたいなフリをやりたかったわけではない。

 そのあとウクライナのゼレンスキー大統領が自撮りみたいに撮っている画質の粗い映像を見て、原子力発電所が包囲されている白黒の映像を見て、ウクライナの女性がジョンソン首相に泣きながら訴えるのを見て、日本の元首相がなんか言っとるのをコメント欄が謎に絶賛してるのを見て、首相がサラッと否定するのを見て(※これコメント欄では「頼りない」とか言われていたが、私は今の首相が元首相でなくて岸田首相でほんとよかったなと思う)、なんか知らん議員のZoom画面に猫のしっぽが割り込んでくる映像も見て、イギリスの元気な議長が Order Order 言ってるだけの映像を見たところで YouTube はやめて、あとはソ連の歴史についての本を読んでた。

 下斗米伸夫『ソビエト連邦史』。この本自体はおもしろい。革命のとき、労働者はロシア人口全部のうち2%程度しかいなかったらしい。それで、レーニン死後の党内部の抗争を見ても、共産党は議論の内容や人々の生活やなんかよりも人事権が重要な組織であり、結局共産党の人たちは叙任権闘争をやっていたにすぎない、という見方があるらしい。そうかも。しかしそんなことで何が共産主義革命やアホくさいと思う。今も共産主義が抜けただけで体制自体はそんなに変わってないんだろうか。

 とにかく、面白い本でなにか詳しくなったような気分にはなれても、いつものような満足感はない。しくみや流れがわかったとして、何になるんだろうとかってつい思ってしまう。まあいつか何かに役立つだろう。

 インナーを長袖から袖なしにして薄いセーターで出かけた。さすがに少し寒いけど、まあ歩いていたらあったかくなる程度。本屋に行ったら『物語 ウクライナの歴史』が山積みされていて嫌になった。正しくないとか言いたいわけじゃなくて、ただ私が嫌になった。YouTubeでもおすすめ動画に「何分かでわかるウクライナの歴史」的なのが並んだのを思い出す。はえーよ。いやいいんだけど。嫌いだわ。

 帰り道でポテチとランチパックを買ってきて食べてチキンラーメンも食べた。終わりの日。

3月3日 朝と昼の光、戦争

 今日はいつものように家に一日中引きこもっていた。それでも光だけは入ってくるのだけど、朝の光も昼の光もとっくに春の雰囲気だ。玄関の近くにある窓はすりガラスで、朝はそこから布団にいる私のところまで光がさすんだけど、その光がもう、朝からオレンジっぽくてやわらかい、いかにも「お前たち生命を元気にしてみせます」といったような光の具合である。昼は「光って部屋中にみなぎっていくものですから」とまるで普通のことみたいに部屋に入り込んでくるような光になる。じっさい普通のことなので何も悪くはないんだけど。でも私は冬の光が好き。冬の光の方が親しみを向けてこなくて安心する。私とお前が他者であるということがお互い分かっているような感じがする。

 ある新聞の速報によると、今日の1時(モスクワでは2日の19時)、ロシアのラブロフ外相が中東カタールの衛星放送局アルジャジーラのインタビューのなかで、第3次世界大戦が起これば「核戦争以外にない」と述べたそうだ。そんなわけないけど、ありえたらどうしようと不安になる。だってウクライナ情勢をけっこう前からぼんやり追っていたのに、さすがに侵攻なんかしないでしょうと正直思っていた。ほんとうに戦争が全世界に広がってしまうのかもしれない。

 私が日本に住んでいるからだろうけど、戦争のことをよく思い出す季節は夏だ。思い出すといっても私は体験したわけじゃないし、本やテレビや映画なんかで知ったことを思い出すだけだけど。島国だからなんだろうか。特に、太平洋戦争を取り上げる作品では、いつも兵士は日焼けして黒光りしているし、汗だくだし、蚊に刺されているし、泥まみれであるように思う。兵士が小さい島にいるなら主張の強い花が咲き乱れている。住民が見上げた次の瞬間の、原子爆弾投下のシーンは真っ白になる。そういったことから、戦争を考えるときには眩しくなるようなイメージがある。

 だから新聞を読んだり光をぼんやり見たりしてると、自分の明るい光に関するそういう感覚をもとに不吉な連想をしてしまう。でも明るい光は悪くない。戦争を起こす人間だけが悪い。とにかく戦争は全世界でいつも全部まったくやめてほしい。