雨 お粥

 10月17日。雨。意外。午前中にコインランドリーに行く。洗濯を待つ間に近所の喫茶店。乾燥機に入れたら散歩。ほっそい道を行く。写真のように苔むしている道路があるぐらいの人通りの少ない道。倒れそうなのに活動しつづけている室外機(ニーア オートマタを見ていたので命を感じやすくなっている)とか、猫を警戒してペットボトルを敷き詰めてる庭とか、そういうのを見て満足。冬っぽい雨の日にやりたい散歩ができた気がする。

 帰宅後服をたたみ、昼ごはん。ラーメン。昨日から汁の量を調整できないので満ち満ちになるんだけど集中したらこぼさないで机に置ける。こぼさなかったときに達成感があるけど、お湯をおたまでちゃんと注いでいったほうがいい。味は普通。まだ胃が弱っているのを感じる。

 夜ごはんはお粥。まだまだ弱っているけど試したくてトマトを入れた。病気っぽい時に試さない方がよかっただろうけどやってしまった。食事のときに勇敢さを発揮するの良くない。こんなに胃がダメだと苦言を呈されている気分になる。揚げ物の4日連続はもう無理だと思い知らされる。

 今日は引き続き中村哲さんの本を読んでる。読みやすい。高校生向けらしいし。素朴に思ったけどそういえば反米的態度の人ってなんで少ないんだろうな。単に私が勉強不足なだけでほんとはたくさんいるだろうか。

 おもしろかったのは、ご本人が「自分がいなくなったらこの取り組みは無くなるだろう」という話をしている箇所。現地にやってくる日本人は4, 5年いたら「俺はこんなに長いこといるんだ」という態度になることが多いらしい。それは仕方ないけど、4, 5年ぐらいでは現地の人たちとの信頼や関係性は生まれない。だから後継は生まれない。だから自分が骨を埋めるつもりでやって、死んだら終わりなんだ、というようなことが書いてあった。

 必要なシステムさえできれば、的な態度って場合によっては安易なのかもしれない、とまず思った。あと、4, 5年もうまく馴染めない場所にいたら、私も何かが得られたという結果がほしくなると思う。ときどき人生がこうでいいのか分からなくなるだろうから。結局やめてしまったとしてもそれはそれで別にいいんだけど。よくない気がする。社会的に正しくないとかそういう意味じゃないし、本人にじわじわ後悔が募るだろうからよくないとかそういう意味じゃない気がするが、うまく説明できない。

天かす 戦意

 10月16日。曇り。7時に起きて走る。雨降ってたからダッシュで10分だけ走り、疲れ切る。寝転がりだらだら昨日までの日記を書く。途中までは成田空港から東京駅に向かう高速バスのなかで書いてた。

 村上春樹の『職業としての小説家』を読了。読んだことある内容が多かったし肝心の小説の技法にはあまり興味がない。あえて買う必要はなかったかもしれない。でも「自分や他人の心の深い闇に迫る作業をするなら肉体的な整備も必要だ」という話は、小説家になりたいわけじゃない私にも重要だった。

 体力づくりと思って筋トレやストレッチは意外とほぼ毎日してるけど、有酸素運動は全然足りないと思う。肥るだけだと思ってたけど頭にもよくないんだな。それはそうだわ。今日は10分でも走ってたから、共感側に行きたくて頭が普段よりも大きく共感した感じがする。そういう高まろうとする動きが自分のなかにあることは少しうれしい。

 胃が気持ち悪い。今週は毎日揚げ物と酒をいただいていて、帰ってきた金曜の昼夜はバナナだけにしたのにまだぜんぜん気持ち悪い。だからうどん。福岡空港で買ってきた茅乃舎だしでうどん。あと塩昆布キャベツ。天かすの多さとか胡麻油に気づかれたら自業自得ですよねって論破されそう。天かすがグズグズになる様子を久しぶりに見たかったから。

 ずっと味の濃ゆいものを食べてたから出汁の味が最初はしなかった。最終的には白だしとか入れて味がした。気になって “出汁 味しない” で検索したら、「スーパーにある顆粒だしばっか使ってると味覚障害になるわよ!」っていう記事が出てきてそこまで言われるとめんどくさいなと思った。食べ終わった後に出汁の効力がじわじわ感じられてきて、ホッとした。

 あとは中村哲さんがインタビューされた本(『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』)を読んでた。おもしろい。中村哲さんを起点にするなら福岡にも興味もてるかも。中村哲さんって火野葦平(戦時中にどちらかというと戦意を高揚させるタイプの小説家だった人)の甥らしい。知らなかった。こういう結びつきを知ってその人をとりまく文脈が増えていく感覚が好きなんだけどゴシップ好きと大差ないのでおおっぴらには言えない。

 今日は旧家族がらみで嫌な感触があり、できることなら外から見てたいと思った。