元気になってきた

ASMR動画というのを見た

 今日はASMRの動画を初めてみて興奮した。なんだこれは。イヤホンつけた方が良くなるものなんだろうけど見てるだけで衝撃だった。囁き声で肯定してくるイメージしかなかったけど必ずしもそうじゃなかった。いくつか見ただけなんだけどいろんなタイプがあって、咀嚼音のタイプ(左)やマイクの近くでものの感触を聴覚で表現するタイプ(右)があるっぽい。

 左のは、絵ではイチゴなんだけど飴だったりエノキだったりグミだったりを色々咥えて次々に噛みつぶしていく感じの動画だった。私はアニメとかで誰かが敵に食われるシーンを見るとき効果音が嫌でできるなら音を消すし苦手ではあるんだけど、プチっと弾ける音って好きな人は好きそうだし、私も聴き続けたら反転して大好きになるのかもしれない。

 右のは、木のスプーンをタップしたコツコツコツコツという響きをいいマイクで録るシーンだけど、他にも布を揺らしたり剥がしたりスライムをほじくったりするときの音をただ録るようなものがあるっぽい。左のがわりとショックを与えてくるのに対して、右は心の底を鎮めてくるようなリラックス感がある。観光地じゃないし人も少ないようなところで歩き出したときの自分の足音を聞くみたいな気持ちよさがある。そんなものまで外に出ずに得ることができるんだなという感慨があった。

 どっちも好きになりそうな感じがする。調べたら大量に関連動画が出てくるけど調べるまで見たこともなかったので検索する主体としての視野の狭さを感じた。

『サラ金の歴史』って本おもしろかった〜

 サラ金については、ウシジマくんが面白いってのと、お金を借りてギャンブルする芸人の人たちを面白くないな〜と思ってる、ぐらいしか関わり(?)がないんだけど、『サラ金の歴史』という新書はサラ金に関係ない人たちにも人気っぽくて興味わいて読んでみた。

 面白かった。新書で漫画のコマが引用されるときって別にこれいらんだろと思うことが多い(でもみんなに分かってもらおうとする態度だと思うので好きではある!)けど、この本ではウシジマくんの一コマの会話についてどういう背景で話してんのか解説をするという形で引用されていて、その説明が上げも下げもしない率直さを感じて良かった。

 自分が知らない分野について語ってもらうとき、率直に言ってくれているという雰囲気が私にとっては重要だと思える。抑も私はそういう人が好きなんだよな。もう絶対自分が正しいんで黙ってて、みたいな頑なさのまましゃべる人から何かを学ぶことって基本ないと思う。まあ他の方がどうかは知らんけど私はそう。

 話がそれた。いいところはウシジマくんの引用の仕方だけじゃなくて、私のような経済に詳しくない人へ配慮の上で、章ごとの緩急がわかりやすくつけられていて、全体として読みやすい。経済的背景を堅く説明する部分と創業者の衝撃エピソードを織り交ぜるのがうまい。なので新書ではあまり感じないことだけど早く読み進めたいと思えた。そういうふうに新書を作ってくれるの門外漢の読者としてとてもありがたい。あと終章ではきちんと引き締めてこれを踏まえて何を考えるべきか最後に述べてくるのでそれも良かった。

 そういうわけで良かったのでウシジマくんの世界に圧倒されたことがある人でまあまあ暇な人は読んでみてほしい。歴史とはあるけど古文書とかは出てこないし。

 そういえば借金してギャンブルする芸人の人たちがなぜ面白くないかまでは分からなかったけど、なんであれが注目を集めてるのかぐらいはちょっと分かったような気がする。あと現代のサラ金の状況を知って、サラ金を利用していることを公言しているからといって反社会的でヤバい笑と思うのも違う、というのも分かった。じゃあますます何なんだと疑問が深まるなー。終わり。

泳いできた/あたしンちの母

 最近ささみを中心とした夜ごはんにするだけでは体型に変化が見られなくなってきた(ささみが辛くなくなってきたのもある)ので、筋トレとかすべきだなと動画を探しはじめたけど、今日はプールに行ってきたから筋トレは無しで良しとします。

 今日は、歩きを10分して、クロールを10分して、というのを3回か4回繰り返してみた。これまではまずクロールに全力をそそぎ、疲れたらちょっと歩いて、帰る、というのがお決まりのパターンだったんだけど慣れてきたし辛い方がいいのではと思って変えてみたところ、いい感じになった。今までは腕とか使った部位がジーンとしていたけど、今回は全身が疲れている感じ。日記に書いたけど地上に上がった時重力を感じたのもこれまでにはなくてよかった。

 私のそういうセット立てもよかったけど、今日は歩きコースのスタート地点付近でだべっている人たちがいなかったのも運がよかった。休憩するのは不法じゃないので責めたい気持ちとかはないんだけど、自分がゼェハァ言ったり特殊な動きをしてみようとヨタヨタしている横に、そういう人たちがいると、気になる。今動こうとしてたのに私が邪魔したりしてないか、私がゼェハァ言っててうるさくないか、などが。だからいなくて気楽だった。

 最後に、あたしンちの母が歩き方を学んでくる回です。この回は、母のかわいさが子供に伝わってなくて、でも友達には伝わって、というのがいいと思う。歩き方を指摘されてショックを受けた後に、歩き方を研究していると友達に言えるのがいいんだと思う。子供たちが一方的な意地悪なやつらだってことにならないような受け方をしているというか。説明がむずかしい。終わりです。

もうすぐ仕事やめるから春の訪れを感じる

 春きた?って言うのが早いと友達に言われて確かに私うるさいかもと思った。Twitterが終わるらしいぞと騒いでることについてもTwitterは終わらないよと言われた。でもそれにしても人は騒がなさすぎる。今日、電車が動きだしたのにユッサユッサ歩いてるやつがいて、電車がカーブしたら私の座ってる側に転んできた。しなだれかかってきたのだ。私はウオッと口走ったんだけど、他の人は無言だった。ぶつかってこられているのに。起き上がったあとのヘラヘラしたそいつを睨みつけるとかはしていたけど、衝撃を受けた素ぶりは見せていなかった。ぶつかられたことより私だけウオッと言ったことが気になった。いろいろな生き物がいることである。

 もうすぐ今の仕事やめて次の仕事に向けて準備とかをしだす。今の仕事について名残惜しさとかはないけど、いい時間はいくつもあったなと思う。会話もそうだけどやばい客とか外の様子とか。忘れないようにしたり忘れて急に思い出したりしたい。今日は特にいい時間はなかった。

bondeeは蠢くため好き

 今日はグッとつらくて人としゃべりたい気分だけどこういうときに人としゃべってもろくなことはない。誰かがブログを続けるコツは話したくても話し相手がいないようにすることって言ってたし、ちょうどいいと思って久しぶりに開いた。最近わかってきたこととしてパソコンが置いてある部屋(自分の部屋)が寒すぎる。だったらパソコンだけ持ってくればいいのだが、パソコンが冷たいと思うと触りたくない。みたいな理由であんまり触らなくなったなと気づいたから、パソコンをあったかい部屋に持ってきて置いといた。だから触ります。

 この頃bondeeというメタバースSNSと呼ばれているものを始めた。アバターを好きなように作って友達申請して認めてくれた人と交流する。トモダチコレクションとかどうぶつの森とかに似てるみたいだけどどっちもやったことないから分からない。やってみた感想としては、ものが蠢いてると見てしまうので結構ハマってしまった。すげー楽しいってわけじゃないけどいっぱい動く虫をじっと見てしまう人はハマると思う。(友達になってくれた人には虫とか言って嫌だったらすみません。でも私は虫が好きです。)

 逆にいいねとかによってハマることは少ないと思う。個人の部屋を作れて、そこに来た人はメモを残してもいいんだけど、メモの量があることが親しい人間の量を示しているわけじゃない。このことはメモの中身が誰にでも見られるからみんなに分かる。そのへんも居心地の良いポイントだと思う。あとチャットも個人間で適当にやりやすい。小舟で航海もできて鳥が船に乗ってきたりする(でも航海は正直いつか飽きると思う)。そういうわけで最近しょっちゅう開いている。

こないだbondeeに投稿した日没の写真

 あとは最近斎藤茂吉の歌集(岩波文庫の)を読んで、感想を考えて書いてみる習慣がついてきた。こないだてか去年、文フリに行って人が面白いことを書いている様子を見て、みんなこんな時代でも着実に確かなことをめざしていてすごい、一方で、自分の趣味って変だなとか恥ずかしいなとか思えてきて、何なのか知りたいし知らせたいと思えてきた。今更ですが。そういうわけで何かにならないかと思って短歌を読んでみている。今のところどうしてそう作れるのかとかは何もわからない。でも面白い。最近は斎藤茂吉の母が死んだあたりの歌を読んでいる。「いのちある人あつまりて我が母のいのち死行くを見たり死ゆくを」すごいなーと思った。これは引き続きやってまいりたい。

 あとは何だろ。正月から3kg減量できた。カラフルな食事に元気が出ることは完全に無くなった。近くの公園は鳥がいっぱいいるため嬉しい。近所に子供が多くなった。平泳ぎ全然できなかった。ソシャゲは復活した。仕事のうぜー人たちじゃなくて好きな人たちのこと考えられるようになってきた。人参は冷凍した方が好きと気づいた。近所の個人経営の喫茶店を巡った結果全部がインスタントコーヒーよりおいしくないというか不味い。Amazonで無料になってる漫画を漁り、セールで読まなさそうな本を買いまくった。そういったところでしょうか。

 終わりです。

1月28日 腕がいてー

 土曜日。晴れ。体が凝っているし消化器が弱まっている感じがしながら起床。昨日分厚いハンバーガーを食べたり気圧が低まってる時に外出したりしたからだと思う。りんご食べよ。食べました。このりんごは中はおいしくないけど皮がおいしいです。

 今日は仕事で、気張ってない人たちだったのですぐ終わった。趣味を訊かれたりして、答えたけど全く興味がなさそうだった。楽だった。この頃毎回変な客が来ていたけど今日は来なかった。でも体がだるいのは変わらず、すぐ帰る。エスカレーターとか駅のホームとかでグワンっとストレッチするのも恥ずかしくなくなってきた。人が来るかどうかは気にするけど。でも恥そのものが消えたわけじゃない。面白いとされる文を読んでて全然進まない時とかは恥ずかしい。何に恥ずかしさを感じるかが選ばれてくるようになった。選べるようにはなってないな。選んでない。

1月26日 いい人

 木曜日。晴れ。晴れてるので洗濯したのち出かける。よう寝て起きたから元気。仕事の人当たりのいい人のことを考えたりする。仕事で一緒の人とはいえほとんど関わらないけど、暇なときちょっと雑談することがある。彼女は自分がそこまで思わない人の悪口を話された時の様子とかがいいと思う。しゃしゃり出がちとされている人の悪口がされたとき、あ〜、と間を置いて、「でも」とかで始めず、その時の自分がどうぼんやりしてたかをダラダラと話して、別の方向にもっていくのがうまい。

 うまいと言っても会話術について学んだ上でそうやってるという感じじゃない。「私は、そうは思わないな〜」みたいな言い方をしない。カマトトぶっているかどうかのセンサーが敏感な人のなかには、その結果をみんなに共感してもらいたいという人がいる。そういう人にそういうテクが見つかると大変だから。彼女はさまざまな経験を蓄積してそうなってるんだと思うけど、嫌々やってそうでもなく、力を及ぼそうともしてなく、という雰囲気を、私は出せないし、私が今後彼女と同じ年あたりになったときでも、出せないような気がする。いいな〜と思う。