10月21日 久しぶり〜

 10月21日。朝から美容室に予約したのに寝坊。でもギリギリ間に合った。初めての美容室に行く。前と同じようにお願いしたけど前までとはかなり違う髪型になった。初対面でマスクしたままだったので、顔の形状などの様子を誤解された可能性がある。悪意ゆえではないけど嫌だ。

 今日は元気だった。この間まで仕事に疲れてゲッソリした気分でフォールガイズをやる毎日だったけど、疲れの波のグワングワン具合が落ち着いてきた。フォールガイズに飽きたというのもある(昨日からワープという装置が登場してて、面白くない)。だから何か別のことをしたくなって具体的にいろいろ考えてみた。なのに日々やることが見えてくると、え〜これ私がやるのか〜と思えてくる。でも是非やるべきなんだよな。まあいずれ。

9月2日 2000年らへん

 雨。朝はパン。昼は米と味噌汁。夜は米とコンソメスープと茄子の揚げ浸し。手ぐせでできる食事。それにしても前よりはマシ。しばらくコンビニ飯だったし。

 今日は面倒な用事が少なかった。ちょっと前から休日と休日じゃない日の区別があんまない。連絡が来ない。ずっと連絡が来てない。

 『私立探偵濱マイク』の2周目をして、1話目のおもしろさがより鮮明になって感動した。そういうもんだけど。2000年に越えられなかった人。間で死んだ人。間のことを思い出せない人。

 1999年って私は小学生だけど、私の親世代は本気で世界が滅ぶなんて思ってたんかな。1月に「小学何年生」かの雑誌にドラえもんが載っててすごい華々しかったことは覚えてるけど、新世紀って話だったんなら2001年だろうな。曖昧。小泉は周りが嫌なやつばっかで大変なのに頑張ってるんだとか思ってた。テロのときはドキドキした。でも世界が滅亡するとは思わなかった。世界が滅ぶかもって思ったときってどういう生活になるんだろう。

 文學界の坂本慎太郎インタビューを読んだ(「物語のように」ができるまで)。前にネットで見た『できれば愛を』のインタビューの方がおもしろかった。この記事では、大事なのは「顕微鏡でのぞいたLOVE」とか仰ってた。好き。

いつまでもこうであるのは難しい

 最近Twitterばっかりやってブログを書く習慣が絶えてたけど再開したい。こんな予定ではなかった。もともと、これからの私はブログに重点を置き、たまにお知らせしたくなったらする、というスタイルでいくぞ、と思っていた。そっちの方がなんかかっこいいから(あと落ち着いて話せるから)。その方針で行きたいために、このブログのURLとかにお金まで払っている。

 しかしTwitterを開いて書くといろいろな人が見てくださったりするので、嬉しさのあまり、自分のかっこよくありたさを損ないそうになっている。そういう自分のバカさがそんなに恥ずかしくないのが私にとって問題だ。実際そういうやつの方がかわいくていいだろとか思ってしまう。でもとにかくこんな予定ではなかった。

 日記。プールに行ってきた。涼しくなってプールも行きやすい。水着を中に着たまま移動するのがそこまで苦じゃなかった。プールにはいろんな人がいる。今日はフォールガイズみたいな蛍光色の水着の親子がいて、親が子を浮き具に乗せて無言で引っ張っていた。私はそれについていく形でチンタラ歩いた。

 その親子を見ながら夏っぽいことを何もしていない気がした。20代最後の夏。広島の平和記念式典に行ったぐらい。でもそういうことじゃない。国民とかじゃないことが今年は少なかった気がする。

 こういう後悔も、振り返りようがないからだろう。自分のありように不安を抱えるとしたらもう少し小さくして抱えるべきだ。いつまでもあちこちオードリーで曖昧に溜飲を下げていてはよくない。

7月19日 恐れ入ります

 7月19日。曇り。朝昼はまぜそば。夜はチンした米とパックの味噌汁と卵豆腐。料理できない時期。なんか喉が渇く日だった。水ずっと飲み続ける。履歴書とかをやる。求職中。眠い。

 ツイッターで公開されたアカウントを作ってみた(@_afterdarkdiary)。鍵をかけて批判されにくい場にいすぎるとよくない気がしたのと、絵を見てほしいと思ったから。やってみて数日だけど責任がある。他者を感じる。ドキドキする。逆に元気が出てる気もする。楽しい気もする。慣れないので居心地が悪く、反応があるたびに頭の中で『女の園の星』の「恐れ入ります」スタンプを送りたくなる。そういう自分がキモい。

 Fall Guysで配偶者が1位を取ったりする一方で、私は時間切れになりあぶれる。下手すぎる。ポケモンとかしかやってこなかったしゲームで視界をすばやく変えてく経験がない。Fall Guysは負けたら壁によって突き落とされるんだけど、落とされた下って何があるのか。ゴミ収集車みたいに圧迫するローラーが2つあるのを想像してしまう。

7月16日 くろまる

 7月16日。曇りほとんど雨。じめついている。肩こりがひどい。朝昼はおにぎりとパン。夜は米とインスタント味噌汁とスチームささみ・キャベツ・ブロ(ブロッコリーをブロと呼ぶのが流行っている)。ガスの人が来てくれた。まだいろいろ続くっぽい。

 近所の喫茶店に行く。一人の店員さんは元気を出したいのか元気すぎるのか、ものを運ぶときしょっちゅう「よし!」と言う。それを近くで聞いていると、なんか私にできることがありますかという気分にさせられる。そんなわけないけどそう思う。お礼とかをハキハキしゃべっとく。

 ルンバが来た。プライムデーの影響で。黒くて丸いので「くろまる」と名づけた。かわいいよね。思ってたよりうるさくないし賢く動いてくれて助かった。アレクサも来たので、部屋の文明が一気に進展した。でも一方で風呂はバランス釜であったりするので、そのいびつさで何か問題が起きたらおもしろい。

 今日は、中北浩爾『自民党 ―「一強」の実像』を読んでた。中公新書。今のところ一章を読み終わっただけ。派閥がどう弱まっていったかがまず書いてあっておもしろかった。私はかつてかなり安易に中選挙区制にしてみようぜとか言っていたな。

 22時から坂元裕二脚本で仲野太賀出演のドラマがあるらしく覚えてたら観たい。おわり。

7月15日 ひさしぶり〜

 7月15日。 強い雨。朝はなし。昼は冷凍の台湾まぜそば。夜は米とパックの味噌汁とスチームささみと野菜。なんか家のガスが漏れてたらしく、修理とかをしてもらうまではガスの使用を控えめにする。といっても風呂は入りたいので沸かす。おれたちは雰囲気でやっている。いつか爆死するかも。

 久しぶりになった。3ヶ月ぐらいでつらいことがけっこうあった。最も悲しかったのは実家の猫が死んだことだった。見た目はシュッとした猫で、かなり高いところに飛び上がることができた。撫でるまで無言で見つめてくるようなかわいさもあった。今でも腹や腕にその重みを思い出せる。死んでから2週間ぐらいして、夢に現れた。私は布団にいて、枕元に現れた。撫でさせてくれたあと窓の外に消えた。夢でさわった感触があったのは初めてだった。少しでも幸せな時間があったことを祈る。

 それに伴って他にもあったけど、それもだいぶ前の話になった。今は他の人たちと同様に銃撃事件などにびっくりしている。身近な死を経験したばかりだからなのか、私は未だに元首相が死んだことの衝撃から脱しきれていない感じがする。もともと私は人より受容が遅い上に、無用なこだわりもある。刻一刻かわってく社会において不要寄りかもしれない。だとしても存在していきたいし、自分を存在させていきたい。そのためにいろいろがんばります。

3月18日 おちこみ日

 今日は久しぶりに寒めの日だった。雨だし最高気温が10℃だったらしい。明日は19℃ぐらいになるらしい。凹のへこみの部分。だから気がふさぐ。自分がやることなすことの全部がまちがえてるような気がしだす(実際は8割ぐらいだろうから大体合ってる、という気もしだす)し、目標があるのにそれに向かってうまく前進できてないように思えてくる。

 でもだからと言って、現状についてまったく新しくてずば抜けて正しいような解決方法を見つけ出すことはできない。今やっていることは、自分の現状からしてそれなりに適切だし、それなりにうまく進んでいると思う。だったら気にしないでやることをやれ、という話だし実際そのとおりだけど、そういう判断にお構いなく圧がやってくる。ようやく話が盛り上がってきたところにいきなり10tトラックが突っ込んでくるような感じに、落ち込みの圧がドスっとやってくる。そんなんなら避けようがないんだから気にしても仕方ないですね。完。

 最近、宇多田ヒカルよりも chelmico の曲の方が元気もらえる。宇多田ヒカルの曲にはこれまで関係における温かさやまっすぐさをたくさんわからせてもらったし何度も励まされた。ほんとに何度も。でも最近はなんかわからなくなり、曲を聴いても心が動かされなくなった。嫌いになったとかじゃない。元々わかってなかっただろうけど、はっきりわからなくなった感じがする。なんか深夜にイヤホンをつけて自己と向き合いながら聴く感じじゃなくなった。すっかり他人になってしまったような感覚だ(当たり前にもとから他人なのに、こう思う自分がこわいね)‪。まあ宇多田ヒカルもそういうことあるって歌詞に書いてたしそういう時期ってある。

 chelmico は “Easy Breezy” っていう映像研のオープニング曲をきっかけに好きになった。いまもその曲が一番好き。他の曲もそうだけど、曲がかっこよくて聴いてて楽しいし、歌詞も低温だけど愉快そうな感じだから、私なりに適当にがんばろうって思える。ありがたい存在。他の曲もいい。助かる。