いつまでもこうであるのは難しい

 最近Twitterばっかりやってブログを書く習慣が絶えてたけど再開したい。こんな予定ではなかった。もともと、これからの私はブログに重点を置き、たまにお知らせしたくなったらする、というスタイルでいくぞ、と思っていた。そっちの方がなんかかっこいいから(あと落ち着いて話せるから)。その方針で行きたいために、このブログのURLとかにお金まで払っている。

 しかしTwitterを開いて書くといろいろな人が見てくださったりするので、嬉しさのあまり、自分のかっこよくありたさを損ないそうになっている。そういう自分のバカさがそんなに恥ずかしくないのが私にとって問題だ。実際そういうやつの方がかわいくていいだろとか思ってしまう。でもとにかくこんな予定ではなかった。

 日記。プールに行ってきた。涼しくなってプールも行きやすい。水着を中に着たまま移動するのがそこまで苦じゃなかった。プールにはいろんな人がいる。今日はフォールガイズみたいな蛍光色の水着の親子がいて、親が子を浮き具に乗せて無言で引っ張っていた。私はそれについていく形でチンタラ歩いた。

 その親子を見ながら夏っぽいことを何もしていない気がした。20代最後の夏。広島の平和記念式典に行ったぐらい。でもそういうことじゃない。国民とかじゃないことが今年は少なかった気がする。

 こういう後悔も、振り返りようがないからだろう。自分のありように不安を抱えるとしたらもう少し小さくして抱えるべきだ。いつまでもあちこちオードリーで曖昧に溜飲を下げていてはよくない。