2月5日 尊敬学

 2月5日土曜日。曇り。なんか昨日より寒い。朝は昨日のスープ。昼はうまかっちゃんと茹で卵。夜は米と中華スープ(ムネ肉・わかめ・ネギ)と焼きキャベツ。バター醤油。

焼きキャベツ

 焼きキャベツはバター醤油でおいしい雰囲気になったけど、芯がうまく焼けていなかった。居酒屋でおいしい焼きキャベツが当たり前に出されることに感謝しようと思った。

 今日も何もない。

 そういえば三島由紀夫の『反貞女大学』を読み終わった。雑なことをサラサラ言われるとおもしろく思ってしまうのはやめられない。本の前半は女について雑なことを言い、後半は男について雑なことを言っている。いや無いわっていうのとそれはそうかもってのが混ざっていて楽しい。私はやっぱり前半の方がおもしろかった。特に第十三講の「尊敬学」。以下引用。

‪ ⋯知的女性は、やたらむしょうに「先生」をほしがりはじめるのです。有益な「先生」のお話を聞きたがったり、えらい「先生」のお弟子になったりしたがる。

 こんなわけで、性的魅力の一トかけらもない、しょぼくれた先生方が、講演会めぐりに忙殺されたり、美しい女弟子たちに囲まれたりする。こんな先生方は、男としての動物の美しさをみじんも持っていないだけに、かえって、女性たちを安心させ、尊敬の対象として選ばれることになる。それをまちがえて、自分が女にもてるとがんこに信じている先生方は数多い。

三島由紀夫『反貞女大学』ちくま文庫、1994年

 「知的女性」かどうかはさておき、私も最近まで自分が知りたいことについては何でも「先生」を欲していたし、それにたとえば歳上の同僚に対して「先生」的ふるまいを求めるところがあった。どちらも私の「ちがうなら教えてほしい」「”道”を知りたい」という強い気持ちから来ていたと思う。

 しかしこの引用部分を読んでると、(やっぱり性別は関係なくないか?とも思えてくるけど、)私には人と関わるとき相手を尊敬していたいというのも強くある気がしてきた。関わる相手のことを「あなたはすごい」って思ってたい。

 だからって私は基本的に人のことを褒めすぎかもしれない。ムリヤリ「褒め」を見出してるわけじゃなくて本当にそう思って言ってるけど、そういうのって自他への態度を自ずから決めていってるんだろう。なんか気をつけてみようと思った。

2月4日 何もない

 2月4日金曜日。晴れ。白っぽい晴れだった。もう春が本当に来てしまう感じがする。朝は茹で卵とバナナ。昼は台湾まぜそば(冷食)。夜はスープ(ムネ肉・キャベツ・人参)。昨日は夜に炭水化物をかなり摂ったので反動が来て、今は食べた直後なのに空腹に耐えながら書いている。

飾り切り1回目。飾り切りをできる人間に私はなる。

 やることをやる日。昨日放埒に過ごしたのでやることをやる気分になったし、昨日は眠くて気合いなしに寝つけたから目覚めがスッキリしてたのでいい感じにやることをやった。

 今日は何もない。

 ロシアがウクライナ国境周辺に兵隊を集めてるの緊張する。ざっくり言って、ロシアはウクライナにNATOの方に行ってほしくないらしい。それでもNATOに行きたがるウクライナにアメリカは協力する姿勢らしい。私は詳しくないので新聞を読んで雰囲気で不安になっているけど、普段は冷静な感じの専門家の人たちもヤベーと言ってる感がある。

 冷戦っぽいなーと思ったけど、ウクライナとロシアであれば片方は代理じゃなくて直。それにしても大変なことだな。やだなー緊張。私はすぐ極論に走るから、こういうときに平和をめざして動けないのを見るたびに(安保理って意味ね〜)と思ってしまうけど、安保理がなくなって建前上でも強い国と弱い国が理念を共有できないってことになったら、大国が大解放されて大戦争時代になるんだろうな。

 だるすぎ。戦争もやむを得ないとか言って気持ちよがる人は火星とかでやってほしい。火星もだめか。

2月3日 休む日

 2月3日木曜日。今日は雲ひとつない青空だったから、晴れで間違いない。朝は茹で卵2個。昼はマック。夜は冷凍の家系ラーメンとネギトロ巻き(節分を意識)。今日の食事は夜につれてかなり正しくなくなるけど、そういうことをやりたかったのでよかった。

 冷凍家系ラーメンは鍋でやらないとダメで、その手間の割にはおいしくなかった。そもそも私が家系ラーメンが好きじゃないという問題もあるし。まあこういう挑戦は休みの日にしかできない(平日に勉強に疲れたのにご飯が明らかに不味かったら落ち込む)からやってよかった。

 別にどこで休んでもいいんだけど水か木と日曜に休むことにしている。土日に連続して休むよりは、情勢に鑑みて人混みとかの少なさそうな平日に1日ほしいと思っているから。

 今日は耳鼻科に行き、本屋に行き、献血に行き、カラオケに行ってきた。

 耳鼻科はあっさりしたお医者で人気で並ぶけど診察はすぐ終わった。鼻を少し見て「うん、花粉症ね じゃあ2ヶ月出しとくね」というノリ。ありがたい。

 本屋では、予め買う本が決まってなかったから一冊一冊のタイトルを見て決めて、楽しく疲れた。みんな言うけど、本屋にある知識は一生かけても獲得できなくて、それがいい。三島由紀夫が、知的な活動は抵抗があるから良い、的なことを言っていて、それです。

 献血はなんか空いてそうだからフラッと入った。ボランティアも行けなかったしなんか貢献しとくか社会に、っていう気になったのだ。元気な看護師の人が担当になった。いきなり「今日は全血が多いのよ〜」と言われて、知らないけど400ml抜くことを「全血」と言うのだろうなと思った。その後は恵方巻きへの行列の話をまくし立てていて、私がどんなふうに相槌を打ったところで、彼女のしゃべりには関係なさそうだった。なんか圧倒されてるうちに血が抜かれて終わった。

 カラオケはなんか行った。もはや惰性で、部屋に入った瞬間に献血直後だけど大丈夫かと思った。まあ適当に過ごしたけど、烏龍茶がおいしく感じて、血を抜いたんだなとわかった。

 あとは本読んでご飯食べて日記。

 2020年2月3日はメスリ山古墳の円筒埴輪のことをベタ褒めしていて、2021年2月3日はルイス・コールのことを思い出していた。

 今日はなんか疲れたので終わり。

2月2日 何もない

 2月2日水曜日。晴れ。昼時に部屋に日が射したら「晴れ」とみなしてるので信憑性に欠ける。毎日晴れすぎて不安になってきた。にしても春っぽい気配がする。今度こそは。

 2022年2月2日。2222年2月2日も生きていたかったな。生きていても「2222年2月2日だ〜」ってツイートするだけだけど。

 朝はなし。昼は坦々麺(冷凍)。夜はスパイスカレー。去年の梅雨どきぐらいに袋買いしてたスパイスたちがようやく開封された。モモ肉じゃなくてムネ肉だったけど美味しかった。

 今日も何もない。

 最近「時間」そのものについて知りたくて、坂本慎太郎が「時間」で歌ってる本って何やったんやろうと思っていたら、偶然Twitterで紹介してる人を見つけてびっくりした。その人いわく、楳図かずおの「ロウソク」という漫画にあるらしい。何かでかい収穫があるとは思いにくいけどとりあえず調べてみようと思う。

 なんか歴史が好きなら時間のことも一通りわかっておくべきだろっていう気がする。一通りわかっておこ、ぐらいのノリでわかっておけるもんじゃないだろうけど。まあ何やってみるにしてもレスバするよりはマシ。

 明日は休んで病院とかに行く。

2月1日 2月だ〜

 2月1日火曜日。晴れ。最近ずっと晴れているような。2月くるの早い。朝はなし。昼は昨日の鍋の残りと米。夜は米とコンソメスープ(キャベツ・人参・鶏ムネ・ブロッコリー)。昨日寝る直前に筋トレをしてみたら朝だるかった。夜ご飯の前ぐらいがちょうどいいんだろうな。

 今日もやることをやった。最近嫌なことを思い出しても(フン‪⋯また私の脳が快楽物質がほしくて傷つきたがっているな‪⋯)と思えるようになった。アーとか言わなくなり、目をカッと見開いたらそれで済む。成長ですわ。

 昼過ぎ買い物。一段階ヒラヒラのダウンにしたけど問題なかった。

 夜「バンクシーの正体とは?!」っていうドキュメンタリーを見てた。壁とかにグラフィティーアートをやっている人らしく、絵が高価で売れる人らしい。壁だったら公有・私有は問わない。だから自分ちの壁に描かれた人がそれを切り取って売ろうとするんだけど、そうするとその人に対して庶民から庶民として「庶民に鑑賞の機会を!」とか批判がなされて炎上するらしい。

 私は絵画鑑賞の技術がなくてバンクシーのすごさを読み取れないので良さがわからない。ステンシルって年賀状でやったわ〜程度の感想しかない。だから描かれたら私も絶対売ると思う。まあ社会を巻き込んだパフォーマンスが面白いってことなんだろうけど、炎上を使って知名度を上げること自体に嫌さを感じる。ある種私は古い人間なんだろうな。

 2020年の2月1日。自分の日記だったら何言ってもよくていい。近衛文麿の伝記を読んでいたらしい。

実際、戦争だぞってなったとき、地震のときにそうであるように、自分の知り合いの無事だけをまず考えてしまうと思う。彼らの無事が確認されてからようやく、赤の他人の無事を気にすることができると思う。自分の知り合いが無事でなかったら、無事であり続けることが難しそうと感じたら、ちょっとツイッターにそのまま書いたら炎上しそうだなと思うようなことを普通にやってしまうと思う。それどころか本当はダメなんだけどね、と言いながら触法するかもしれない。たぶんそういう行為に及んだら、どこかの誰かが困るのだというのは分かるんだろうけど、それでもやめられないだろう。そう思うと、やっぱりもう戦争だぞってなる前にどうにかするしかない。たとえ鬱陶しい感じになるとしても、ちょっとしたことじゃないかと言われてるとしても、政治のありようについてグジグジネチネチ言っていくべきなんだと思う。予算で何がなされているかとか、資料保存がちゃんとなされているのかとかって、なんか話題にするのはめんどくさいというか、職場の会議で議題に出されたりしたらつまんなくて自分の空想の時間にしてしまうと思うけど、それじゃだめなんだと思う。たとえば会議で、うわ、早く帰りたいのにこいつなんか主張しだしたぞ、という目を向けられるとしても、そこで踏ん張るのが大事なんだと思う。

 2年前の自分はかなり真っ直ぐに、正しければ聞いてもらえると信じていたし、職場への情熱がものすごかったな〜と感じる。職場への情熱と社会への情熱がつながっていた。今この日記を読んで「コイツ青臭いな〜」と切り捨てられるほど距離を取れてはないけど、でもそういう態度はうまくいきにくいからやめとけ、とは思う。

 あと、この頃にはもう、親密さは排他性なしに成り立たないというのを受け入れようとしているようで、私って思ったより変わってないなと思う。何というか速度が足りないな。

 まあでも今は人との関わり方ってかなりどうでもいい。心の底からどうでもいいと思う。脳の人間関係について考えるための部分が焼き切れている。