2月25日 ひさしぶり

 しばらく日記を書いてなかった。私は基本的にかなりのおしゃべりだけど、ときどき急にしゃべりたい気分がゴボッと抜け落ちることがあって、それだった。原因はわからないけど、ウクライナ情勢がみるみる悪化していたのが嫌だったのもあるし、ドライブ・マイ・カーを観てじわじわ落ち込んだのもあるし、春になってきたというのもある。

 今日はここ数日の中でいちばん元気だ。朝から何人も安倍晋三がいる夢を見てちょっと面白かった。机で作業してる横に安倍晋三がいて話しかけてきて、ふと後ろを振り返ったらドアの向こうで安倍晋三が営業していたから。あとは外出して元気を出すために髪を切ってもらったりしたけど、サラサラになったとて、と思った。

 あちこちオードリーのバカバカしいほど明るい回をもう1回見よう。

2月17日 二十九、三十

 2月17日木曜日。晴れ。朝はパンと茹で卵。昼は寿司。夜はスープ(人参・小松菜・新じゃが)とささみの梅和えと茹で卵。

飾り切り 地図記号みたいになる

 今日は午前中に出かけて15時ごろ帰ってきた。天気予報では「今季最高の寒気」とか言っていて、確かに風はすごかったけど、遠くを見やるとき目を細めるぐらいには光がまぶしかった。これは明らかに冬の光ではないと思う。

 喫茶店には行かなかったけどほぼいつもの通り過ごした。コーヒーって、今の私からすると徒らに目をバキバキにして腸を傷つける豆の汁という地位なんだよな。とはいうけどいつもの喫茶店は好きだからいずれ腸の方を諦めると思う。

 本屋と古本屋とカラオケに行く。本屋は何も買わなかった。古本屋で数冊。

 あとはカラオケ。大学生のときはあまり口に出さなかったけどクリープハイプが好きでよく聴いていた。ボーカルの声が特徴的というか人の神経を逆撫でするようで、歌詞も何となく清潔ではないから、ためらわずに嫌いだという人が多かった気がする。私は歌詞に共感することはほぼできなかったけど、言葉づかいが面白いし、リズムが気持ちよくて好きだった。

 それで大学生の頃(2014年)に『二十九、三十』という曲が出た。これは挫折しかけててやる気を失いそうなことばかりなのに「逆に行けそうな気がしてきた‪⋯」と繰り返す歌。22歳だった当時はこれも共感できない。軽く「アラサーというのは大変なんスね〜」と受け流してた。

 でも今や私がまさしく29歳だ。今の私からしたら、しかも思う仕事ができていない状況の私からしたら、「状況を整理したところあんまり行けそうじゃないけど、ひとまず『行ける気がしてきたわ』と言ってみる」という態度にすごく共感する。そう言って、そう思っていくしかない狭さが今ある。昔は広かった。

 だからそれを確認するためにカラオケでいつも歌うんだけど、いつも音が高すぎて歌えてない。家で口ずさむときもカスカスの声になる。でも気分がよくなる。絞りだすことで歌詞が自分の感情と混ざったりするんだろうか。

 歌いまくってることで感情が増えたなあと思う。1時間300円にしてはカラオケって良いことが多いと思う。もう誰も行ってなさそうだけどね。終わりです。

2月16日 何もない

 2月16日水曜日。晴れてたか分からないけど暖房はつけなかった。朝はなし(寝坊)。昼はチキンラーメン。夜は米と味噌汁(ごぼう・しめじ・小松菜)とささみとネギ炒め。ごぼうって味噌汁を黒くするときある。味噌汁が黒くなると不安になる。

麺の見た目が子供心を刺激する
焼き鳥屋に行きたくなったので

  なんか最近やる気というか元気があってやることが進む。うれしい。腸の動きが良くなったからだろうか。すべては腸のおかげ。

 昨年の2月16日の日記を見たら、責任をとるとはどういうことなのかとか書いていて、今日の私からしたらうるさかった。3回目のワクチン接種券が来た。明日は休む。今日は終わり。

2月15日 OK

 2月15日火曜日。晴れ。朝はSOYJOY。昼はスープ(キャベツ・ささみ・新じゃが)とパン。夜は同じスープ。 コンソメ味。1キューブを入れたら多すぎるのだろうなと思いながら入れた。

 なんかコンソメって粒のもあるからそれを買えばいいんだろうか。でも粒だと掬わないといけなくなるからな。掬うときのスプーンがちょっと濡れてたら、後でフチの周りにコンソメの粒が固まったりするんだろうな。めんどくさいな。

 今日もいつも通り。昼ごはんを食べながら、ETV特集の谷川俊太郎回をみた。谷川俊太郎が子供の自死をテーマにした絵本を作ったらしく、その制作過程の話だった。

 絵本の下書きから本番に至るまでに絵が直されていく様子が映されて、絵がうまい人の描く線を辿れるの、うれしいな〜、っていう感じで惚れぼれした。私は絵面の好みとか関係なく、SNSで流れてくる絵のタイムラプスを見てるのがすごく好きだ。だからすごく満足した。

 あと最後に谷川俊太郎が「今は意味ばかりに囚われてるけど存在について考えるのが大事」的なことを言ったのがよかった。流れを全部書くわけにもいかないけど、「生きてるならそれでOK」というような価値づけの話ではなく、ものの捉え方の話だったと思う。大事だなーと思った。

 やっぱ「生きてるならそれでOK」も価値づけなんだよな。私は人が生きてること自体を承認したり評価したりするってのは安易にできることじゃないと思う。人間に対してあらゆる価値判断をしてはならないとかは全然思わないけど、一旦、自分とか他人についてただ存在しているだけのものとして捉えるのを通過したい。簡単にいうなよ。終わりです。

2月14日 微かな味

 2月14日月曜日。晴れ。朝はなし。昼はスープ(白菜・椎茸)とパン。夜は同じスープ。Amazonで安売りしてて買った有賀薫『スープ・レッスン』に「調味料は思ってる1/4にしてみよう」的なことが書いてあり、いつもの味覇を1/4にしたら味がとても減った。白菜って特に味が遠くにある感じがする。しかしそういう微かさを楽しむのが乙というもの。

味の微かさを楽しむスープ

 微かさを味わって食べる。できるだけ多くの人間にかっこよく思われたいと思っていたときには、何かダルいなと思っても「こういうスープを食べているうちにかっこよくなるんだッ」と決め込んで突き進めたけど、そういう動機が減った今は本当に楽しめるまで待つしかない。

 今日はなんもない。やることをやった日。

 オリンピックをやっているらしい。

 たまたまつけたテレビでカーリングの人たちの特集がされていたとき、選手の誰かが「運をつかみ取りたいですね」的なことを表明したら、なんか一般人に怒られたのか、インスタのストーリーで【運についてのご説明】というのをさせられている映像が出てきた。しかもその映像は、アスリートに対する過剰な批判を問題化する目的ではなくて、彼女がいかに運をつかみ取りたいのかを強調するためだけにサラッと流されたのだ。

 結構びっくりしたんだけど、もうそういうのはありふれているんだなと思った。自分が知らないし関係ないアスリートが「運をつかみ取りたい」と言ってたとして、しかもそれに何か感想を持ったとしても、私はそれを本人に言うっていう衝動はわかない。それは私がアスリートをアスリートであるという理由で敬っているからではないと思う。多分もっと当たり前に、人とそんな関わり方をしたくないからだ。でももうそれは当たり前じゃないんかなと思った。嫌だな。

2月13日 動いときたさ

 2月13日日曜日。休み。雨。めずらしい。朝はなし。昼はラーメン(マルちゃん正麺)。夜はスープ(かぶ・人参・キャベツ・えのき・海老)。

カブの葉うめー
飾り切り 前回より遠のいたな

 今日は外に出たかったけど雨だったのでやめた。雨ぐらい乗り越えろって考え方もあるけどやめた。平日はいつも部屋にこもってて三日もすれば鬱屈ポイントが貯まるから、だいたい三日に一回で休みにしている。休みはできるだけ外出したいけどしない日もあり、そういうときは本を読んだりゲームをやりまくったりすることで休んだ感を得るんだけど、今日は本やゲームではそれを得られず、ただただ鬱屈していた。

 おととい腸が改善してサイコーって思っていて腸は相変わらず良好なんだけど生理とかがある。なんとなく動かんどこってなる。筋トレもなんとなく上半身というか肩まわりだけで終わらせるので不足を感じる。不機嫌まではいかないけど、自分としての動いときたさに対しての実際の動きが足りなくて、少しフラストレーションがある。今日はそういう日だった。

 動いときたさってどこから来るんだろうな。元々運動とか好きじゃなかったので、きっかけは、前に足首を捻って3ヶ月ぐらい引きずっていたことがあって、そこでケガを防ぐためには体が柔らかい方がいいと聞いてからだと思う。そんなの常識だろうけど、自分がケガしてようやく聞き入れる気になった。それでゆるゆるとストレッチとかをやり出した。

 ずっと「もともと体がカタいから開脚も70度ぐらいしか開かないんスよ」と言って周りにヘラヘラしてきたけど、ストレッチを1年やったら150度ぐらいにはなったし、ケガしなくなるとか少し歩いたぐらいでは疲れなくなるとか、色々うれしい効果があった。

 そういうお得さを実感したから動いといた方がいいと頭で判断してるんだけど、それだけじゃなくて体がウズウズする感覚もある。子供のとき本当に体育のことが嫌いだったので、自分の中の動いときたさに気づくことがなかったけど、今は体育のときと違って自分の体を社会から切り離せるから、そういう感覚を見つけて、取り組もうとするノリが生まれたんだろうな。そう思うとうれしい。

 歳をとっていて、とっていくことにビビりがちだったけど、時が経った分いろいろ操作できるものは増えてると思う。よかったね。終わりです。

2月11日 腸

 2月11日。晴れ。神武天皇、即位おめでとう! 雪が昨日から降ってたけどそれほど積もってなかった。大通りは凍ってもなくて車の通らない細道は少し凍ってる部分もあった。屋根だけが白くなっている。朝はなし。昼はラーメン。夜は寿司。

よりより

 昨日はそういう薬を飲んだら腸がすべての行動を支配した1日だった。脳より腸の方が優位に立っていたと言っていい。しかしその翌日の今日はすこぶる調子が良くてうれしかった。私のこれまでのすべての不調や不機嫌は腸が動いていなかったからじゃないかという気さえした。窪塚洋介がやたら腸活を布教しはじめた理由がわかった。これは感動的だ。

 そういうわけで今日はやりたくなくてやや遠ざけていたこともやった。よかった。

 夜、キューブリック監督『シャイニング』(1980年)を観た。ポスターしか知らなくてその印象が強かったから、途中まであのポスターの状態に至るまでの過程として観てしまい、『100日後に死ぬワニ』みたいな楽しみ方になってしまった。

 でもそれで楽しかった。ホラー映画って素直に「こえ〜!」って思えるときとおかしくて笑っちゃうときがあるけど、今回は後者の方が多かった。この『シャイニング』が凄くて他で引用されまくってるから特に古さを感じやすいというのもありそうだ。恐れるべき鏡文字とか振り返ればいるとかでヘヘッと笑ってしまう。でも『2001年宇宙の旅』の時も思った気がするけど、部屋と音楽の組み合わせだけで最高に不気味だった。それはすごいことだ。あとオチが面白かった。時間の流れについてあんな感じで創作するの初めて見たような何遍も見たような。

 そんなところだな。

 あっ『タコピーの原罪』最新話は息継ぎ的な回だった。

 優しくて素直な兄が弟の心を解いてよかったけど、しずかちゃんには優しくて(?)素直なタコピーの声が響かないんだよな。そりゃそう。しずかちゃんは東京に行って、チャッピーはいないだろうけど、それからどうするんだろう。『天気の子』みたいな展開になるだろうか。1ページ4コマぐらいででっかい顔の表情と少しのセリフが出るだけなのに面白い。寧ろそれだからこそ、人によって何を読み取るかが多様だから話題として盛り上がってるんだろうか。私は引き続き、支配ー被支配の話として楽しみにしたい(前にも感想書いた)。

2月9日 ちぎりハム

 2月9日。晴れ。明日雪らしいので今日休みに変更。ほんとは明日に観に行きたい映画があったんだけど。今あんま元気じゃないので凍った道とかで疲れるだろうし。ポケモンでいうあられみたいなダメージが来そうだ。よって晴れのうちに休む。こういう選択って弱いなと思う。弱くていいんだけど。

 朝はなし。昼は米とゆで卵と昨日のムネ肉の炒めものと昨日の味噌汁。炒めものってどんどん食べたくなる。というか食べてる実感が少ない。片栗粉でまぶしたり油で張ったりしてるからなのか‪⋯? 蒸し肉とか茹で肉とかの方が、咀嚼に集中してて自分自身が動物として食べてる感じがする。

 夜はうまかっちゃん。ハムとかをちぎって乗せた。やる気なし。

ハム乗せただけ工夫があるな〜

 14時ごろまでゲームをだらだらやって、あとは出かけた。春っぽいしコートはやめてジャケットにして、17時に帰ってきたけどその間も寒くなかった(まあ私の感覚なんて当てにならないけど)。出かけて買い物。唇の皮がずっとよくならないためそういうのを探した。あと薬(コーラックを買ってみた。あまりにもピンクすぎる)。あと本(『ニホンザルの生態』というの。いつ読むんだ)。

 ともかくいろいろ歩き回れてよかった。筋トレした翌日は歩き回った方が楽になる。

 今日の日記、なんか健康ブログって感じだ。30歳になる年だから何か不調を感じるたび「ハッ 30歳になるから‪⋯?!」ってどよめくんだよな。ほどほどにしよう。

2月8日 何もない

 2月8日火曜日。晴れ。昨日の夜はPMSが烈しかったため日記を休んだ。パソコンを開く気にならないときがある。朝はスープ(キャベツ・えのき)。昼は台湾まぜそばとスープ。夜は豆腐半丁と味噌汁(豆腐・わかめ・ネギ)とムネ肉のオイスター炒めとおろしポン酢炒め。

えのきの丸かわいいね
片栗粉まぶせばうまくなるのか?

 夜、豆腐を米がわりに食べて寂しい気分になったけど、考えてみれば豆腐の方が高級だったしもっとそういう気持ちで食べた方がよかった。てかとうめしってあって、豆腐が飯に乗ってるやつで、おでん屋のとうめしは豆腐に味がついててうまいんだけど、杉浦日向子いわく、江戸時代の人はマジに白いだけの豆腐を米に乗せておいしがってたとあって、嘘だろ、と思う。私が江戸時代のことほんのり敬遠してるのはこういうところにある。でもいつかそういう粋というものをわかりたいな。

 平日って何もないなー。やることはやったけどそれだけだな。こないだ読んでた本(丸谷才一『日本文学早わかり』)に、天皇が詞華集でもって貴族たちに礼儀作法を教えていったという話があって、そのひとつの例に「立春したら、寒くても雪を桜に見立てて楽しめ」というのが出てきて面白かった。寒いのにムリして楽しんでみせた人もいたんだろうね。唇は紫色で手もガタガタ震えているのに「春っていいよね」とか言われたら、私は笑ってしまう。どうやら今週末ごろに雪が降るという噂がある。朝廷の人なら雪が桜に見えるんだろうか。

 去年の日記。

夜ごはんは米とカブだけを焼いたやつとカブと豚肉を炒めたやつと味噌汁。カブだけで焼いたやつが最もおいしかったけど豚肉と炒めてホロホロになったカブもおいしかった。大根にはない甘さと柔らかさがあってカブは初心者にやさしい。ピーマンのことを悪く言いたいわけではないけど、ピーマンは切るときも焼くときもうるさい一方でカブは静かにしてくれてるような気がする。

 カブを褒めたくてピーマンを下げている。そういえばピーマン食べなくなったな。こんど食べよう。

2月6日 食べ過ぎた

 2月6日日曜日。曇り。朝はなし。昼は豚の塩焼きとパフェ。夜はキーマカレー。最近かなりチートデイが頻繁に行われている気配がある。しかたない。

ぶあつい! うまい!

 今日は食糧とかコンタクト洗浄液とかを買い、夕方まで読書して過ごした。

 ここ最近、ひまがあれば本を読みたい的な流行性のアレがある。読んでたのは丸谷才一の『日本文学早わかり』というの。Kindleセールで講談社文芸文庫が安いときに、ミーハー丸出しで買ってみた本。丸谷才一といえば私にとって旧仮名遣いのなんかすごいらしい人でしかない。私は小説とかについては「友達が薦めてくれた」とか「なんだか流行っているらしい」とかそんな軽いノリで選び取ることが多く、一つ一つのつながりなんて考えてみたことない。しかし考えてみたい。だからなんか有名らしい文芸評論家の短い文によって日本文学を「早わかり」したいと思ったのであって、ミーハーなんだけど、そういうミーハーにもわかりやすい説明だった。詞華集を軸に文学史を語ってあり、朝廷のあり方の変容にともなって文学も変わっていったという。といっても政治史・経済史に結びつけるのではなく、とにかく文学作品の形式の変遷を辿っていくってのが、政治史とかの方が知ってる私にも結局わかりやすかった。こんなことなら安いときにもっと丸谷才一の本を買っておけばよかった。安くないと高いので困る。

 あとは徹子の部屋で草笛光子(あっけらかんとして冷たい)・岸惠子(ぬるっとした感情を隠しきれない)の凄みのある回を見て、大河ドラマ(富士川の戦いに頼朝が負けて宗時が死んだ)を見て、今。