1月31日 なんか一言どうぞノート

 1月31日。晴れ。朝はゆで卵2個。昼はラーメン。夜はとり野菜味噌鍋。

 土日は、土曜に朝5時まで飲酒したので、それで漫然とした日曜日を過ごした。私はそれぐらいに漫然とした休日の方が好きで、本当はそういう日の日記をこそ書きたいけど、何といってもだるいのだから書きたくならない。アイスとかポテチとかを食べ漁り、ゲーム(NieR: Automata)をやりまくった。こういう日があってようやく自分の弱さに向き合う気力が湧く。

 今日はいつも通りやるべきことをやっていた。一つ、文章をうまくなりたいと思っている中で、思ったことを全部書いてみようという気分になり、2〜3時間ずっと書き続けてみた。書くべきまじめなタイトルに対して「カス」とか「オタク」とか使いながら書いたけど、そういう言葉遣いによってようやく自分の言いたいことが見えてきた。

眠すぎたとき崩し字になった

 何か意見を主張したいときって裏に何か不満足があり、その不満足さをもとに立場が明らかにできるんだな、というのを手でもってわかった感じがする。

 意見がペラくなるときって自分自身がそれの何に不満なのか明確にできてないからかもな〜と思った。普段「そんなの当たり前じゃないスか 笑」みたいなのを自分に向けて終わらせている。今はそういうの無しにしたい気分。

 あとは特にない。1月31日の日記は2020年にも2021年にもなかった。2020年、Macを買ったから使いたくて日記を一時期書いてたのが発見された。その当時はやっぱ紙ですわって思ってやめたんだと思うけど、今はWordPressに残すのがいちばん楽。

 旅行先とか店にある「なんか一言どうぞ」ノートを、書きはしないんだけどパラパラ見る、みたいな行為が好きで、ネット上でブログをめぐるのもそれと近い理由で好きだ。政治的つながりが動機ではなくて書きたいから書いているだけの色々。もっと増えたらいいのに。まあもうみんな書きたいことなんてないのかもね。

1月28日 タコピー

 1月28日。晴れ。外出せず。起きたらすぐ鼻をかむ。花粉かも。朝はゆで卵とスープ。昼はハンバーガー2個。夜は米と味噌汁。

 なんかやりたくなって11時ごろ筋トレをしたんだけど、そのせいで午後はしばらく眠かった。午後3時ぐらいにやるべきだった。

 筋トレをすると文章を作るぞという気分になれるんじゃないかと最近思っている。このブログのことではなく必要があって、私は文章を適切に書けるようにならないといけない。

 でも書けと言われたもんは基本的に書きたくない。だからやる気を出すために筋トレをやる。筋トレをやるとなぜか書きたくないものでも書くぞという勢いが出る。単なるゲン担ぎなのか、身体を疲労させて嫌がる気持ちを減らさせてるのか、うまく説明できないけど、勢いが出るなら何でも良い。

 あと今日はジャンプ+で連載されている『タコピーの原罪』の更新日だった。人気っぽい。漫画好きの友達から教えてもらって知った。タコピーというハッピー星人(ハッピー星人‪⋯)が、地球をフィールドワークするためにやってきて、小4のしずかちゃんという、学校ではいじめを家庭では虐待を受けて悲惨な生活をしている子供に出会う話。

 タコピーはちいさくてかわいい。いじめっ子からしずかちゃんが呼び出されると、まずは「仲直りしたいんだね!」と考える。無知ゆえに善性をむき出しにして、しずかちゃんの生活について知りたがる。みんながハッピーになれることを信じている。

 それを見て読者はタコピーやめとけやめとけって思うのか、こういうやつ近くにいるわ〜って思うのか、とにかく自分に向けられたり他者に向けたりする憎悪のことを思い出しながら読むんじゃないか。私は一時期LINEマンガで復讐ものを読みまくってたけど、あのときと近い感覚にもなった。

 でも違うのは、最近しずかちゃんは政治をやり出した。そのときから誰にも自己投影できなくなって、全部なんらかのメッセージのためのパーツに思えてきた。

 あるときタコピーが “うっかりミス” によって陰湿ないじめっ子を絶命させるんだけど、しずかちゃんはそれで目をキラキラさせて喜んだ。でもしずかちゃんはその処置について、当たり前に自分の手は汚さないようにする。

 彼女は自分のために協力してくれるタコピーと現場にたまたま居合わせた男の子が不安を感じているのを気づいた上で、不安をしゃべらせないようにしている。抑圧だ。一方で、彼らが自分のために協力してくれたらキラキラの笑顔で喜んでみせるのだ。それでメロメロにさせる。明らかに支配者として動き出している。

 でも目的が今のところ見えない。いじめっ子は死んだのに、なぜ支配を続けるんだろう。

 私は下衆であり、歴史のお話について、支配者的ふるまいをしている人がどんな愚かさをきっかけにして権力を失っていくのかという目線で面白がることが多い。目もあてられないとか言いながらめちゃくちゃ見るのだ。良いように言えば、歴史の教訓に学ぶのである。

 おすすめしてくれた人はいじめっ子の絶命以後つまらなくなったと言ってたけど、私はこんなに流行ってるマンガで、しずかちゃんのような人がこれからどうなるのかすごく気になる。これから楽しみ。

1月27日 休み

 1月27日。晴れ。風が強い。木曜日なのでオリジナル休日となっている。

 朝はゆで卵2個。食べたあとしばらくボーッとして、三島由紀夫の『反貞女大学』を少し読む。婦人科に行く。年明けすぐに不正出血が起こり、気になって雪が降った日に検査してもらっていたのだった。今日はその結果をもらいに行って、2時間ぐらい待って結果を聞いたら大丈夫だったっぽい。しかしワクチンは接種することにした。次回。いつか。その場で「今から打てますよ」と言われたけど、お腹が空きすぎててこれからまた2時間待たされることを思うとだめだった。

 昼は回転寿司。人が少なくてボックス席に通されてうれしい。5皿しか食べなかった。これぐらいでいいだろうという自制心が発揮されて、普段の半分ぐらいで済ませることができた。足るを知る者。

 そのあといつもの喫茶店。だらだら本を読んでいた。遅塚忠躬『フランス革命』。個別の事象についての説明自体はわかりやすいんだけど、語り口から、現代の私たちにも必要な考え方を提供しようとする意図みたいなものを感じるので、さっさと読み下せないんだなとわかった。いい歴史の本だ。

 喫茶店から出たところで、よいものを目撃した。道中でリクルートスーツの人が突然ハイヒールを脱いで2,3歩歩いたあと、やっぱりまた履き直してから歩いて行ったのだ。私は誰も挟まずすぐ後ろでその様子を見たので、そのときは天啓だと思った。今は東京についての漫画っぽく思っている。いずれにせよ私もがんばろ。

 今日は歩いてる中でいくら突風が吹いても、むしろ体が熱くなって興奮してバグっぽかった。

 夜はコンビニのサンドイッチ。持って帰ってトースターで焼く。焼いたらあったかくて嬉しいから。雪見だいふくも食べる。信玄餅のやつ。おいしいけど買い占めるとかのほどじゃないね。石村萬盛堂の方がおいしかった。しかしコラボ商品って元々それぞれの場所で生み出されてきた価値をお互いのために利用してるわけだから何というか貧しみを感じる。

 食べたあとノートの整理をした。1年使ってきたバインダーたちにようやくタイトルをつけた。ずっと不便だなと思いつつ何もしてこなかったんだけど、私はそういうことが結構ある。

覚える用ノート

 去年の日記コーナー。

10時に起きる。晴れてて暖かかった。パン1枚と玉子の汁の残り。作業30分ごとの休憩で流れる音楽は、清竜人の「プリーズリピートアフターミー」にした。ひねくれた大学生の頃を思い出してヒュンとする。全部間違えていたような気がしてくる。休憩なのに。30分ごとに休憩を設けるのいいけど、それでも3時間が限度だという気がする。確実に年をとっている。
昼は外出。日光を浴びたかったので。テイクアウトをしました。マクドナルドでハンバーガー3つ。たぶんマックも3つも家庭科の教科書に怒られる。ベランダで食べる。見下ろしたところにある家の高齢者のもとに、いつも来ている誠実そうな若者が今日も来ている。親戚というわけではなさそう。
夜は米と納豆とカブのふりかけと大根の皮のポン酢漬け。私は米をラップで包む作業がだるいので100均で買った丸いケースに米を突っ込んでそのまま冷凍して解凍してるんだけど、あれを適当に解凍すると中心だけ異様に熱くなる。何の必然なのか分からないから偶然ということにしてきたけど、火傷するのでどうにかしたい気がしてきた。
暇なのですぐ空想が広がってしまうため、あるときハッとして「もしやこれって人類補完計画ってこと…??!」と思った。もしやこれって人類補完計画ってことなのかな。嫌な大学生みたいになってきたけど止められなくなってきた。

 嫌なことを思い出して、老化を気にしながらハンバーガーを3つ食べ、よその来客を怪しみ、火傷して何かについて人類補完計画だと感じているだけの一日。この日のことは少し覚えている。今その家の周りは物干し竿のところまで長い草に覆われている。彼女たちの何がどうなったのかわからないけど。

1月26日 何もない

 1月26日。曇り。雪が降ると聞いたのに、朝外に出たらアスファルトが一部湿っているだけだった。雪だったのかどうかわからない。つまんね。朝は残りの米とビッグフランク。いきなりコンビニに用事ができたからついでに買った。ビッグフランクうまい。

 昼はうどん。キャベツとわかめの組み合わせは間違いだった。前も同じ失敗をやった気がする。

昼飯

 夜はとり野菜みその鍋。とり野菜みそは初めて食べた。おいしかったのでサイトを見たら東村アキコのPR漫画を発見し、水に溶かしてから沸かすといいらしいことを知った(袋にも書いてあったけど見てなかった)。あと「とり」は鶏じゃなくて野菜をとれるって意味らしい。それは無茶ではないでしょうか。

 1年前の今日の日記でも見るか。やたら長かったので夜ごはんの部分だけコピペ。

夜は米と玉子粥から米を抜いたみたいな海老の汁。カブの葉のふりかけをのせた。カブの葉のふりかけというものを自作した事実がかっこいいので、それだけで引き締まっているような気がする。

 このときの私はカブの葉のふりかけを自作した事実に酔いしれていた。去年は料理を無知なりにいろいろやってみてたな。最近は栄養管理の方に重心があってそういうノリがない。でも本物の栄養管理者は、毎日ムネ肉を茹でたものなんか食べないだろうな。私はムネ肉を繰り返す反動で定期的に海鮮丼を食べてしまう。いいのか悪いのかわからない。たぶん悪い。終わり。

1月25日 昨年の日記

 1月25日。曇り。空気とか音の響き方が春っぽいと思っていたけど、今夜から雪が降るらしい。自分の感覚のずれを思い知った。朝はスープ(ムネ肉・キャベツ・しめじ)。昼は同じスープと袋のカレー。夜は米と味噌汁(大根・わかめ・ムネ肉)。

昼飯

 今日もいつも通り。決めていた予定をおおむねこなす。十分。

 何もないので去年の日記を写してみる。日記をパソコンで書くようにしたのは部屋が狭いのと振り返りやすくしたいからだった。全部公開してみせるというのは一定の制約を感じるけど、それでもコピペの気安さにありがたみを感じる。

9時に起きる。晴れてて暖かいので起きがいがある。二日酔いもなかった。朝はパン1枚と茹で卵と紅茶。昨夜家庭科の教科書を読んだら、28歳女性の座り生活の私が朝にパン2枚を食べているようではよくないという気配があった。今日はさわやかで素直な気分だったので1枚で我慢してみた。

昼もめんどく、炊き込みご飯1杯とコーンスープと茹でたウインナーしか食べなかった。14時ごろがつらく、間食として食べる煮干しをボリボリ食べた。よく見ずに食べたので煮干しの先っぽが口の粘膜に刺さって取れず不快だった。

夜は焼きそばと味噌汁。焼きそばと味噌汁の組み合わせはあまりよくなかった。検索したらわかめスープとかでよかったなと思った。今日もSNSで人が大変そうだった。また長風呂でだらだら思いをめぐらせてしまった。人と会って話したい気がしたけど、よく考えたらそうでもなかった。

 のんびりしていていい。職場の人と関わらなくて済むようになった一人の喜びを噛み締めている感じがする。

 それにしても去年の1月25日も何もなさそうだ。ほぼ食べ物のことしか書いてない。だからこの日のことを頭の中で再現できない。炭水化物の摂取量が多いことはわかる。でも「杯」という単位から、それについて気にしてないこともわかる。

 去年の1月25日もSNSが大変そうだったらしい。私が明言を避けているために何が起こったか分からない。noteに公開していたから争いを避けようという気分が強かったんだろう。

 これは私の日記のために改善すべきだろうか。まあ当事者でない以上、私が記録しておく意義もさして無いだろうな。でもざっくり言うと、今年は、女性差別的な文化を脱するためのオープンレターが去年出されていたのをきっかけにして、各地でいろいろな問題が発生して、言い合いが起こっているようだ。そして今年の私は、このことについてやるべきことは何もないと考えている。

 去年も「何か私も言わなきゃ」という衝動は少なかったけど、今年はさらに思わない。立場を表明したくならないのは、Twitterに私の居場所を求めていないからかも。こう言うと気恥ずかしいけど、かつてはTwitterの構成員としてのあるべき姿みたいなのが私にはぼんやりイメージされていたのだ。

 去年の日記に情報がないとなんか寂しいことがわかったので、来年のために、今日のニュースをひとつ書いておこう。昨年ジロ・デ・イタリアで優勝したエガン・ベルナルという選手が事故で大怪我してしまい、今年のツール・ド・フランスには出られなさそうだ。

 ベルナル選手は私にもわかりやすい強さがあって、去年から特に応援していた。ゴツゴツした急な上り坂をぐんぐん進む様子は見ていて気持ちがよかった。優勝したときに床に這いつくばって恋人とキスをする様子は理解できなくておもしろかった。だから残念。早く良くなるとよい。

 こう書いてみると、今日報じられた性被害に関する裁判のニュースやウクライナ情勢について言及しないのはダメじゃないかと思えてくる。意見に慎重さが必要なニュースの方が重要だけど、その話題に関する自分なりの慎重さに自信がないから言及できない。だったらしょうもない話にも言及しない方がいい。そういうわけで去年も細かく書かなかったんだろうな。了解。終わり。

 

1月24日 何もない

 1月24日。晴れ。朝は茹で卵。昼は冷食の坦々麺と蒸しキャベツ。夜は米と味噌汁(大根・しめじ・わかめ)と茹でムネ肉。いつもの平日。まあ先週に比べて機嫌がいい。生理が終わったからな。やることが先週より多めに終わった。

 絵の練習。うまくなりたい。左の写真(2019年3月21日の写真)を写した。影なのかマジの線なのかって区別をつけられない(色ないのにどうやってやるのか?(塗り重ねをやらなくても線がきれいになったら良いな))。

 あと塀の穴とかマンホールがなんもわかってないという感じがする(遠近法とかがわかってない感じがする(そもそも自分が集中してないという状態に気づけていない))。あと道路の質感がこんなはずではなかった(謎の影がつく(何気なく線を重ねてるんだと思う))。今後の研究に期待。

1月23日 ササミ撤退

 1月23日。曇り。しかし明るい。休み。朝はホットケーキ。昼は米と味噌汁(春菊・大根・ささみ・しめじ)。夜はスープ(キャベツ・えのき・人参)。

 遠くに出かけるのはやめた。なんか1万人らしいし日曜だし。もはや感染症について正確な情報を集める気にならなくてテレビでぼんやり態度を決める。そんな雑な感じで家にいるだけなのに、それでも命を守る行動をしてることになるのは何となく収まりが悪い。まあこんなふうにのんきに感覚の話なんかしているのは、もちろん私が具体的に不利益を被らない立場だからだ。

 食品の買い出しは行った。近くのスーパーでは本当にササミが撤退してしまったっぽい。そんなことあるのか。ササミが朝一番に売れてるとしてもそのスペースがあるはずだけど、ないんです。諦めてムネ肉。その他も買う。

 あとはインスタントコーヒーをだらだら飲みながら武者小路実篤『真理先生』を読んでた。「まり」先生ではなく「しんり」先生である。この真理先生を慕う人々が集まって何やかんやなる話。武者小路実篤は会話がおもしろいとされていて、おもしろい。結末まで読み切ってないのでなんとも言えないけど、真理先生の善を疑わない物言いにヒヤヒヤする。

 そういう話し方をして聞いてもらえる訳ないだろうと私は思い込んでいる(しかし真理先生は聞いてもらえている)。私は他者を信頼してないのだろうか、いやでも全面的に信頼することもまたどうなのか‪、私が他者に信頼されていないという前提に立ちすぎなのか、そもそも信頼に足る人間とは⋯みたいなことが頭を巡った。

 これは私が自分自身のことを独善的だと思うから気になったんだよな。いつもそれを気にしてんな。そういう意味で読んでみてよかった。この本のことはいつか丁寧に感想が言えるようになったらいいなと思う。

 あとは『鎌倉殿の十三人』みた。もう以仁王が死んでた。承久の乱まではやるっぽい。終わり。

1月22日 絵の練習

 絵を描いてたら時間を食ったし疲れた。川瀬巴水『東京十二題 大根がし』(1920年)を見て描いた。屋根とかにギエーッとうめきながら描いたけど心は安らいだ、というか身体的にインターネットから離れられるから心が安らいだ。

 しかし鉛筆で描いたら消せるから楽なのではなくて、やり直せてしまうから時間がかかるということがわかる。いつも漫画とかを描くときペンでいくし難しいものを描かないから訂正しようとする習慣がない。だから鉛筆で描いてみるのは大事な感じがする。

 ハー疲れた。終わり。

1月21日 レスバ

 1月21日。晴れ。風が強い。だるい。生理。朝はゆで卵1個。昼は海鮮丼。夜は台湾まぜそば(冷凍食品)。自炊すらしたくないときの食事って大抵こうなる。海鮮丼は高カロリーだけどハンバーガーとかよりはマシだ。台湾まぜそばはレンジで温めただけで当たり前だけど温かくおいしい料理になるので、全く何もしてないわけじゃないという気分になれる。

 やることは半分ぐらいしかやってない。しかもTwitter上の戦いを数時間見ていた。終わりの人間。こないだ読み終わった『デジタル・ミニマリスト』という本は、アメリカの大統領選挙に関わるSNSのどよめきに疲れた人に向けて書かれた本で、私はそれを読んで、確かにな〜と思ったはずだった。

 強い言葉で言い合う様子は刺激が強いし、新たな情報が追加されて状況が刻々と変化していくし、それらの情報の信頼度は何だか数値化されていくように見える。そんなのを眺めてるのはパチンコをだらだらやってるのと同じなのだ。

 そんなことは本を読まなくても感覚として知っている。これは哲学者の思慮を尽くした発言に対して農民が「そんなことワタシがいつもの作業中に考えてることだね」と言い返すやつに近いし全くかっこいいことではないけど。

 それにしてもあまりにも見てしまうので、冷静になるために、途中から「Twitter上でレスバすること自体について私は観察して状況を整理している最中なのだ」と思うことにした。

 公開処刑というよりは終わりのない決闘を見せられているようだと思った。群と群の。

 彼らは観客がいる前提で、強い言葉を浴びせ合う。誰か(誰?)にわかってもらうために相手の卑怯さを指摘し続ける。相手の群を上手にからかってみせると認められる。群それぞれの結束は高まる。そういう行為には終わりが見えない。間を取るやつはサムくて嫌われる。

 こう書くと『紅の豚』みたいで、そのようにかわいければいいけど、現実に起きていることであり実際には何もかわいくないし面白くない。私はゴシップ的な特定の個人の本性とかには全員知らない人だし関心がない(運動の終わり方には関心ある)。でもざっくりした感想として一つ挙げると、「キチガイ」呼ばわりを批判とは呼べないと思うので、そういう方向の結論になると良くないと思った。

 これを感想と言ったけど私は判定をした気分でもある。全く関係ないし判定する必要もないのに、全部の情報を見て判定したいという衝動があり、私はそれに任せた。生理でイライラしてたのもあるけど。この、自分のなかで生まれた動きがとても原始的だと思った。

 なんで関係ない私が判定をしたがるのか。私にもまた特定のムラに属しているという想定があって、それを呼び起こそうとする意識が働いたためだと思う。ここで言うムラというのは空間的に存在するものではなくて、自分の積み上げてきた政治的な判断たちの総体だという気がする。

 それでもって、最近の自分がうまく正しく政治をやっていけてんのか、私は衝動的に今回のことを通じて点検しようと動いたのだ。争いによって地図が示されると、自分が今どこにあるのか位置付けやすくなるから。しかも時間の経過とともに状況が変化すると、位置付けも少し変わるかもしれない。学習のポイントが豊富にある。

 私は衝動的にこの学習によって社会での生存確率を高めようとしたんだろう。それはたとえば現実の人間が傷ついているのだからと思って理性的に終わらせられはしなかった。原始的な生存本能っぽい感じがした。こういうことをしてるとき本当に心拍数が上昇するし謎の活力が湧く。

 『みんな政治でバカになる』では終わりに、バカではなくドジになろうというようなことが書いてあった。生き方としてはそれを目指すのがよいと思うけど、思わず頭がそう動いてしまうのはどうしようもないように感じた。

 だから物理的に離れるしかない。今日は早くから用事とボランティアがあったお陰でシャットアウトできた。明日からも工夫しよう。

『プロミシング・ヤング・ウーマン』ではじめに流れる曲!

 今日の日記は大変長くなった。日によってムラがありすぎる。終わり。

1月19日 1月20日

 1月19日。晴れ。朝はゆで卵2個。昼は海鮮丼。夜は米と豚汁っぽい味噌汁。

 あとアイスを2個食べた。名前はもう分からないけど赤と白のモチのアイス。ナタデココin杏仁豆腐バーの冬バージョンっぽくておいしかった。食感がもっちりしており、固い粒は微妙だけど腹が痛くて、かつ冷やすべきではなかったのに2個食べてしまった。

 ここまで書いたあたりで腹痛。さまざまな薬を飲んだら眠くなり寝た。

 1月20日。晴れ。今日は休む予定。だるいけど外出した方がいいと思って出た(SNSで割と関心のある争いごとを察知してしまったため)。散歩、本屋、喫茶店、本屋、カラオケのち帰宅。

 フランス史の大家である遅塚忠躬の『フランス革命』を読んでいる。岩波ジュニア新書。これが難しい、というか読み進められない。難しいことを平易に書かれるとより難しくなる、みたいなことを思った。知らない単語が連発されるとしてもその単語を覚えてしまえばその方が内容を把握しやすいな、と感じた。