1月27日 額縁

 金曜日。曇り。椅子とか額縁を見てきて、額縁だけ持って帰ってきた。A1用なのででかく、看板持ってるみたいだから人の注目が集まり、すまなかった。気温も下がって気圧も低まっていたようで、帰る頃にはフラフラして貧血みたいになってた。昼は分厚いハンバーガーを食べたというのに。帰ったあとはボンヤリして、夜は餃子食べた。

12月9日 部屋のようす

 パソコンが引っ越し先に置かれるようになっていてもろもろ滞っています。でも昨日のルイス・コールのライブで入手してきたものだけ自慢させてください。

 マスキングテープでとりあえずこのポスターを貼ってみたら早く引っ越したいなと思えた。今までインテリアってこうらしいみたいなのを続けてやってて、まあ面白いけど自分のことじゃない感じがしてたけどこのポスターの存在感で自分が動いている感じがしてきた。私はうれしい。終わりです。

11月24日 歌います

 晴れてた。上着がいらなかった。嫌な嘘をつかれたけどそれに囚われないために熱唱してみたら気持ちよかった。一つの策としていい。私はいちいち食らいすぎで自分で疲れるから。ちなみに愛燦燦。いつも使わない駅で降りて次の部屋の掃除に必要なものを買いに行く。運用を考えるとかって仕事みたいで自分の部屋でやるのだるいけどやった方がいい。決めて会議に通した。夜は鍋。

 昨日は勢いで日本ドイツ戦に当たってすみませんでした。勝ったらしいですね。勝ったら〇〇するとか言ってなくてよかった。

11月23日 雨

 雨。今日は引っ越しの準備。外でぼんやりしてる瞬間があってそのとき木に大きめの雨粒がプチプチ付いていて、かわいいねと思ってよく見たら電飾だった。雨の日の昼の電飾もいいことがある。私にKOHHの要素ってないんだけど今日はKOHHの曲に励まされて嫌な政治をこなした。雨だったので移動中はでっかい鞄を腹に抱えて寒さをしのいだ。帰っててんやを食べて酒を飲んでさらに糖分が摂りたくなったけど白湯でごまかした。酔いが覚めてきたので日記を書く。ドイツに勝てるわけないだろ知らんけど。終わり。

11月22日 フロアタイル

 今日は仕事休み。いい天気。引っ越し準備。サンゲツという会社のフロアタイルを注文したのが届く。重い。なんとなく敷き詰めればいいと思ってたけどやっぱりくっつける作業をした方がいいらしく、日中ずっと俯いてそれをやってたので上半身が凝った。YouTubeだと長い単純作業って早送りで飛ばされてくけど現実はそうはならない。四つ角が本当にズレてないのかダルくても全部に確認し続けないといけない。一つ少しだけでも間違えたらそれが大きくなって全然ダメになるという種類の仕事って苦手だ。日が暮れたらカーテンがないので帰る。豚肉を惜しみなく入れてみちみちになった鍋をおいしく食べた。

 ミーハーだけどこないだ文フリに行ってからいろんな言葉遣いが気になるようになってきた。昔よく聴いてた歌を聴くときにも「こうは言ってないんやな」とか「その状況でほんとにそこまで思うかな」とかに気をつけたくなっている。そういうのがあるとちょっと楽しい。一方で、多和田葉子さんの小説みたいに言葉を信じられないほどかっこよく置いていくのも面白い。言葉の振れ幅ってでかいんやなと思う。

11月21日 文字移植

 雨のち晴れ。私の天気の記録は私が外にいた時の天気の様子だから正しくないかも。今日仕事。辞めるって言お〜と思いながら弁当食べてたら咽せて、私には誇りが必要だと思って、権力のある人に無視の人のことをチクった。チクるという行為が無視ぐらいのことにしかやられない。どっちもショボいと思う。

 それより多和田葉子さんの小説が面白い。読んだことない文章で疲れる。掴めたと思ったら掴めない。だからと言って流れていってしまうわけではなく、当たり前みたいに内容が自分に置かれていく感じがする。そういうのってうんざりすることもあるけど、今はそれが楽しい。こういうことを言うと嫌かもしれないけど、昨日風呂に入ったときに『文字移植』という小説に出てくる乳首が四つになる場面を思い出した。もっと細かく言うと自分を見て私四つになってなかったんだと思った。嘘じゃないから。その体験が面白かった。小説ってすごいな〜と思った。

わたしは他人の身になんかなれない。もちろんだからと言ってわたしは自分の中に閉じこもって何も受け止めていないわけではなくて少なくとも作者から何かを受け止めているという実感があった。それに受け止めたものを投げ返していないわけでもなかった。ただどこへ向かって何を投げているのかがよく分からないだけだった。

多和田葉子「文字移植」(同『かかとを失くして 三人関係 文字移植』p.180 講談社文芸文庫 2014年)より

 それで今日これを読めて良かった。どこに向かって投げてるのか分かってないから面白いのかも。現実で目前の人からされたら嫌だなと思うけど、そういう風にばっかり考えて死ぬのは嫌だ。

11月20日 文フリ

 曇りのち雨。洗濯して出かける。文学フリマに初めて行った。第一展示場と第二展示場。寒かった。雨が降り出してからは厚めの服の上にさらに着てちょうどいいぐらいの冷え込みだった。

 1万円分ぐらいは購入した。ネット上に引用すること自体も法的措置を取る、という本もあったのでそれは見せられないし、ちょっと読んだ時点でナメるなよと怒りが湧いたやつも見せられないけど、それ以外は紹介したい。軽率に買ったに違いないものが多くて恥ずかしい気もするけどよし。初めてだから。

 これはネット上で見たからではなくて普通に面白そうだった。高野秀行『辺境メシ』が好きだった勢いで買った。ゲームの攻略本みたいな書き方でパラパラ見るだけで楽しかった。

 江永泉さんのnoteがすごくて読んでて、記事を書かれているので買ってみた。

 母についていろいろ思うことがあるので買ってみた。パラパラ見た感じでは自分と同じような人はいなかった。でもそんなの当たり前だな。

 前にストリップに行った記憶が強烈だったのと、フォローしてる人が書いてるのを見つけたから買った。ストリップに行ったとき演者の人と話す機会があったんだけど、どう話したらいいかわからなくて言葉に詰まった。この本で会話の攻略をしたいとかじゃないけど、何かが知れるといいなと思ったので買った。

 短歌について知りたいと思って大岡信の本を読んだりしてたけどそれでは話がでかくて、フォローしてる人が「ビリビリときた短歌」を具体的に紹介するらしいとわかり、買いたかった。この本のために文フリに来た。出された言葉についてこんなに説明できるんだというのが面白いし緊張する。言葉遣いに緊張するのって楽しいと思う。

 YouTubeで見たことある人だ〜と最初に思ったのは事実。でも短歌について知りたくて歌集を買ってみたくて、短歌ゾーンを進んで、その中で買える気がしたタイミングがここだった。

 本物だ〜と思った。ノンフィクションというテレビ番組に出てて、全部みたし、私が就活などがつらかった頃安易に「この人みたいになりて〜」と人に話したときに「絶対あなたにはなれないよ」と言われてショックを受けたこともあり気になる存在だった。ブログが好きなので買ってみた。

 Twitterで長らく文章が好きな人の本があってびっくりした。勢いで「丹波良徳さんの日記好きです」と言おうとしてニワをずっとタンバと読み間違えてたことが発覚して申し訳なかった。そもそも話しかけた人が合ってるかもわからないまま話しかけてて、自分に対して衝撃的だった。

 トルコ周辺のことを歴史に関心のある日本語話者の口から知りたいと思いつつ出会えてなかったのを、出会ったと思ったので、買った。

 僕の先輩が移住して書いたすごい本なんすよ、といった紹介で見せてもらった。英雄的なデザイナーの気分で地方創生に携わった後に色々考えてショックを受けた、という話が載っていて、気になったので買った。町おこしって怖いよなとぼんやり思いつつ、でもやりに行く人は立派なんだろうし、その人から官僚的じゃない話を聞ける機会って貴重だと思った。

 明治時代が好きなのと、パラっと見て安部公房の砂の女論が載っていたので買った。文学論って本をちゃんと読んでないと難しくてよくわからないのでいつも遠ざけてしまうんだけど、今日はなんか盛り上がって「本をちゃんと読んで理解しようとしろ!」と自分に対して思った。でもそういうのも大事。

 以上。楽しみだな。

11月19日

 今日は仕事だった。挨拶を無視する人がいて嫌。挨拶を無視するって嫌いな人相手でもしないと思いませんか。嫌いすぎるとやるのかね。知らんけど。挨拶を無視する年上の方によく出くわす。私もそういうやつに良いようにはさせたくないので2回目にとびきり声でかく挨拶するようにしている。でもこれを繰り返すと疲れる。でも負けね〜。

 こないだ友達がレゴの良さについて「途中のまま残っているから」と言っていたのがよかった。

 私の家にはそういうのがない。途中であるという点では人参の切れ端とかならある。でも人参はいつか萎れるので残っていることは不安だしあんまり嬉しくない。引越しの段ボールもある。でもそんなの見ても17/30ぐらい終わってるな〜と思うだけだ。わからないけど、レゴの作りかけ(?)はストレスを与えてくるものではなさそう。私の場合はレゴはすぐ無くして足で踏むと思うからできないけど、私の生活にもそういうのがほしいなと思う。嫌な人に注目しすぎで疲れて帰ってきても、私はその作りかけに手をつけるべき人なんだと切り替えられそう。

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 昨日からトップページに日記をアップロードしてみてますので良かったら見てください。その上でブログ書いてるの日記をやりすぎだろうけど、今みたいな時期ってしばらく来ないから、記録しとこうと思う。

11月18日 引越し準備

 引越し準備が大変。今かなり狭い部屋に二人で住んでいて、風呂トイレ一緒だしバランス釜だし、長いこと部屋をよくしようという気が湧かなかったんだけど、この度、風呂とトイレが分かれることになったし、自分の部屋まで作れそうになった。そうなれば家具とかもいい感じにしていきたいしそれで友達が来やすくなったら嬉しいとか思って色々考える。それ自体は楽しいんだけど頭の中が間取りとか在庫の様子とかでいっぱいになっていく。今やるべきことを見つけ、それをこなすだけの人間になっていく。

 実際、ここ数年、自分のことを食事して排泄するだけの人間だと思うようになっていた(実際そうだったし)ので、やるべきことを見つけて、それをやれる自分でいられることで元気は出る。だから引越し準備で忙しくなるのは私にとって多分喜ばしいことだ。でもめんどい。家が段ボールでいっぱいになると段ボールから早くしなさいと怒られているような気分になる。

 Twitterが終わるらしいという騒ぎが起きていて、人がTwitterの思い出を語ったりしている。いろいろな様子を見るにTwitterがすぐ終わるとは思いにくいけど、終わるのかもしれない。今の私はやることを見つけてこなすだけな気分だから、曖昧な状態がいやだ。止めるならさっさと止めてほしいし、次に行きたい。

10月22日 失敗した髪について

 10月22日。晴れ。朝はパン、昼は仕事先で弁当、夜はステーキ。ちょっと前にかなりいいことがあったのでステーキで祝ってもらった。嬉しいことです。仕事終わった直後に行ったからうますぎて頬がゴボってなった。

 昨日髪の毛にどう考えても失敗してからの今日だったので、仕事に行く途中で「髪切ったねと言われたらどうしよう(明るくありたいね)」と少し考えていた。でもその振る舞いにも失敗した。

 朝さっそく髪切ったねと言ってくれた人がいた。私はすぐ「結べるぐらいの長さって言ったらこうなったんですよ〜」と、手で髪をくくってギリギリ結べるぐらいの短さになってしまったことを説明した。そしたらその人はやわらかい感じで一言だけ「大丈夫ですよ」と言ってくれた。私は次の言葉を見失って仕事に取りかかった。

 今回、私が無理に明るくあろうとしているとされ、気を遣われてしまった。それだけ髪の毛が強烈な状態なのかもしれないし、私が気さくさを表現しようとして痛ましくなってるのかもしれない。どっちにしても不本意だし居たたまれない。つれー。

 そもそも髪型で失敗したのがたぶん大学生ぶり。ほぼ10年ぶり。今までずっと同じ美容師さんに切ってもらってたからずっと大丈夫だった。だから髪の毛を失敗したときにどうあるべきか何も知見がない(昨日ググったはググったけど「髪の毛を切られた事、つらいですよね。」みたいな記事が出てきて爆笑してやめてしまった)。

 なんか、家事を全然やらない怠け者の人間がある日突然家から追い出されて一人では何もできなくて痛い目に遭う胸スカ話ってあるけど、それと同じような目に遭ってるなと思った。