大森

 10月24日。昨日の面接でくっついてきた心によくない部分を削ぎ落とすために大森駅に行くことにした。大森駅に行ったことがないから良いと思った。結果として地図の赤丸のところにだけ行ってきた。Google Mapによるとルアンから鈴ヶ森刑場跡の距離は徒歩18分しかないらしいけど、チンタラし、この範囲で2時間ぐらい潰した。14時過ぎから16時過ぎ。

 以下行った順。

 喫茶店ルアン。なぜか星がついていたので来てみた。アイリッシュ・コーヒーというのを頼む。Wikipediaによると、ウイスキーをベースにしたカクテルで、コーヒーと砂糖と生クリームを混ぜたホットドリンクらしい。そんなことは知らず、とにかく知らんものを注文したい気分だったのでそれを注文したら、ウイスキーを温めてくれる際、温める火のようすを見せてくれるために喫茶店の電気を消してくれて、つまりそれは他のお客さんたちの電気も消えるということなので、どぎまぎした。

 それはさておき、飲んだらじんわり喉から熱くなってくる。コーヒーよりウイスキーのほうが味が強かった。当たり前かも。味って何。ハリポタに出てきたバタービールってこういうことかな。寒さ対策の飲み物でもあるらしいし18時ごろに頼んだらより良かっただろうな。というようなことを思った。最後には美味しかった気がした。これぐらいの量でアルコールが入るとちょうど良いのかも。

 大森貝塚遺跡庭園。親子でいっぱいの公園であり、貝塚を見にくるような人間はいなかったから不審者のような動きを取らないように気をつけた。でも奥(③のとこ)にある石碑の写真を撮っていたら、ドングリを探して迷い込んできた子供に明らかにギョッと硬直されてしまった。しかも貝塚自体は「範囲が指定されている‪⋯」としか思えなかった。何しに来たんだ。

 大森貝墟の石碑。こっちの方が有名なんだけど、実はこれはモースに付き添ってた人が発見場所を間違えて言った結果できた石碑らしい。でも、石碑がつくられる段階でその人は「よくわかんないけど‪⋯」という感じだったらしく、それで建てられて違うじゃないかとまで言われるのは可哀想だなと思った。

 それにしても違うのなら撤去すれば良いと思うんだけど、いろんな本に載っちゃってるから気まずいんだろうか。もしくはこの石碑のために変な形の土地が残されたから何か大人の事情で引くに引けないんだろうか。この石碑のために建物と建物の間の細い道を通ったんだけど、きれいな砂利道にしてあったし、階段もいっぱいあった。しかしいろいろ思い出すと本物の貝塚跡よりもこっちのほうが楽しかった気がするし、私は近代のほうが好きだな。

 鈴ヶ森刑場跡。八百屋お七とかが死刑にされたことで有名な場所。八百屋お七は恋人に会いたくて放火した罪で処刑された人。放火は良くないしそういう人って嫌い。でもそれについて放火してまで人間に会いたいと思ったことがないコンプレックスだろうとか言われる方が嫌い。ここは検索したら心霊スポットとして出てくるみたい。狭い範囲にいろいろな石碑が建ってたし、お線香も焚かれてた。隣の寺の人がやられてるんだろうな。

 最後。鈴ヶ森刑場跡に向かうときの道が良かった。首都高があると何故か安心する。

 行ってよかった。自分の身体感覚を取り戻せたような気がする。大森には他にもいろいろ史跡があるっぽく、全然見られなかったのでまた行きたい。終わりです。

 追記(2021/10/25) 大森貝塚遺跡庭園は品川区で1929年につくられ、大森貝墟跡は大田区で1930年につくられたらしい。あと、鈴ヶ森刑場跡について、打首の場合は伝馬町で執行されたのち鈴ヶ森に晒されていて、磔・火刑の場合は市中引き回しの上で鈴ヶ森刑場で執行されていたらしい。(参考 東京都歴史教育研究会編『東京都の歴史散歩 中 山手』山川出版社、2005年)

22日と23日

 10月22日。翌日の面接に向けて準備をした。養生の流れが絶え、夜には塩昆布キャベツと茄子の唐揚げ?を食べた。そのあと友達におでん屋に誘われて嫌々おでんに行った。はんぺんが最後の1個だったのでここで運が使われたと思った。長方形のはんぺん。しかし店主が「膝掛けあるからね」などと言ってくれる優しい雰囲気の人で、心あたたまった。行ってよかった。

 10月23日。面接。前回の反省を生かしたと思うけど、自分が無能だと思われてならなかった。こういう自己卑下の感じは就活の際に必ず出てくる。新卒で就活した時もそうだった。だから慣れたといえば慣れた。しかし出るものは出る。いつも使わない線の電車に乗って乗客の人たちを見てると、自分と違う点を探したくなってくる。

 面接が終わった後、コインロッカーに入れた服とスニーカーを引っ張り出してトイレで着替える。最近のコインロッカーはPASMOで使えるし、PASMOを鍵として認識してくれるから鍵を失くすこともなくなるらしい。着替えたらスーツと比べたら気合の足りない格好になる。気合の足りない格好になれると落ち着く。でも立派な駅を通る人は皆スーツかスーツに準ずる格好をしているので、外から見ると浮いてるのではないかという気がする。気のせいですが。服装で移動するってこういうことなんだろうなと思う。

 その後はまた移動して友達の新居にお邪魔する。色々しゃべる。映画で気にするところは私は風景だけどその人は服とからしい。服について気にしたことってほぼ無い。大学生になりたての頃、小説を読むときに例えば “フロックコート” とか出てくると何それといちいち検索してたけど、最近は検索しなくなったと思う。

 ジョナサンでおいしくない鶏肉の料理を食べる。でも土着のファミレスの夜はすばらしいと思う。村上春樹のアフターダークが好きだから。少しだけ荷解きを手伝って帰宅。この頃には疲れ切っていたのに判断をまちがえて歩く。寒い。スーツとかヒールはそれなりに重い。風呂で寝て起きた。

腹巻き だし

 10月21日。曇り。眠い。鼻水が止まらない。生理の様子がおかしい。なんか体調悪いのかもしれない。と思って下のようにあったかくした。室内でマスクと首巻きと腹巻きと分厚い靴下。10月21日でこの様子にして大丈夫なのか分からないけど、これによってまあまあ調子よくやれたと思う。

 朝はフルグラ。昼は昨日の味噌汁。夜は米と汁(?)と納豆と豆腐。養生してる感じする。今日は油と塩への欲が湧いたけど耐えるためにキムチ食べた。実はYouTubeで大学生ぐらいの人たちのVlogを流すのが好きなんだけど、大学生ぐらいの人たち、みんなキムチ食べてると思う。そんなに太りたくないけど味の強いものを食べたいとき人はキムチを選ぶんだろう。キムチってコンビニでも売ってるし持続可能でいいと思う。

 夜の汁のだしにこの茅乃舎だしシリーズの博多限定のあごだしを使ってみた。こないだ福岡から帰るときに、平たくてリュックに入れこめそうだからって理由で買ってきたんだけど、買ってよかった。おいしい。きのこはエリンギなんだけどエリンギがいつもと違う食感と味わいになった。塩とか入れないでみたけどおいしい。

 もう少し勉強したら寝る。

ネギ

 10月20日。晴れ。いい天気。8時に起きる。今日はちゃんとしようという気分がみなぎってくる。映画をみた翌日ってこうなる。翌々日には無くなってることが多い。やる気に満ちてバレットジャーナルとか出してくる。最後の更新日は10月7日。これは久しぶりの面接に失敗してきた日。更新する。従来通りやることを刻みまくり、やった感をかさ増しさせる。こういうことをしてると「こいぬ」的結末を想像する。

 朝はバナナ。昼はラーメン。夜は米と味噌汁と納豆。ネギが萎れてきたためできるだけ消費する。薬味のネギを入れることで、前日ハンバーガーを食べた者として、健康に気をつけている感じが出せたと思う。ネギ納豆おいしい。タレを使わない側の人間になった。米が少ないのはたまたま。でもこれで十分だったような。

 こないだ実家に置いてあって読んだ、58歳女性のライフスタイル例が書いてある本に、「友人と会う時だけは少し豪華なものを食べる」というのがあった。良いと思った。私もそれに倣いたい。内心(食事しか楽しみがない私がそれを質素にして生きてゆけるはずがない…)と思ってるけど、倣ってみたい気がする。ちょうど胃腸を壊したし、この養生の流れを大事にしてもいい気がする。幸せな食事とは必ずしも油や塩や砂糖がいっぱい入ってるものをたくさん食べることではないはずだから。

 今ひとつひとつの社会的失敗の精神的打撃がでかすぎて、逆に良い機会なので、その大波をしのぐための方法を模索したい。とりあえずこの食べすぎるのをやめてみるのが一つ。

 もう一つは、最近また青空文庫を読むようになった。前まで宮本百合子の書いたものばっかり読んでいたけど、今はランダムで出てきた豊島与志雄(1890-1955)という人の小説にハマっている。短くて読みやすくて少し不気味なのが多い。都市社会でヒヤヒヤ生きている私にしみる。川勝徳重さんの漫画っぽくもある。無料で読めて誰も困らないわけだし、今ハマっているものに飽きても、ランダムを頼りに知らない短い小説を読んでいきたい。

BOOKOFF 『DUNE』

 10月19日。雨。気温が低いのでセーターをおろしてシャツと着る。自分自体がベースとして明るくないので寒いとみんな静かになるから寒いのが好きなのかもしれない。元気であるだけの人から元気をもらうことってそんなにない。

 昼ごはんは茹で卵2個。夜にハンバーガーを食べる予定があって、そういうときは前後の食事を控えるものらしく、控えてみた。茹で卵2個。しばらく養生してたので十分。でも葉物とかも食べるべきだったかも。夜ごはんはバーガーキングでハンバーガー。照り焼きバーガーがモスバーガーより美味しい。肉は食べ応えがあるほうがいい感じがした。

 起きたら17時ぐらいまでは勉強してた。そのあと出かけて移動。BOOKOFF行った。BOOKOFFってすばらしい。最近まで立ち読みを禁止してたこともあるのか人も少なくて良い。北村紗衣『批評の教室』はジュンク堂で見たばっかりだったので後ろめたかった。しかし無職にとって節約は必要。他のもお得だった。

 グランドシネマサンシャインで『DUNE』みた。知らないけど、この原作の映画化にいろんな監督が挑戦したらしい。私は今回のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のだけ観た。IMAXで観てよかった。かっこいいマシンを見せる時には大画面、きれいな砂漠の風景を見せる時には横長、みたいな使い分けが頻繁になされていて、そういう、統一感を大事にするよりもかっこいいものをよりかっこよく見せたいっていうの良いなって思った。私もそうありたい。

 あとどうでもいいけど、装飾須恵器とか好きそう。ヴィルヌーヴ監督に見てほしい。当然知ってるだろうか。マシンの形がちょっと面白いんだよな。とにかくよかった。観終わったあと雨は止んでたのでしゃべりながら歩いて帰った。映画を観た後はあっさり眠れる。

養生 寝てた

 10月18日。晴れ。美しい秋晴れだった。6時半に起きてランニングしようと思ってたけど眠くて断念。ルナルナによると絶不調になる時期らしい。「現実を受け止め、周囲との協調性を大事にしましょう。」とか書いてある。踏み込んでくる。でもルナルナならいい。結局11時に起きる。めちゃめちゃ金持ちになる夢見た。夢すぎる。

 昼はうどん。さすがに胃も治った気がするけど養生。豚肉は入れる。勉強。また寝る。眠すぎる。夜はスープと蒸したさつまいも。バター要らなかった。養生に飽きた。

 

雨 お粥

 10月17日。雨。意外。午前中にコインランドリーに行く。洗濯を待つ間に近所の喫茶店。乾燥機に入れたら散歩。ほっそい道を行く。写真のように苔むしている道路があるぐらいの人通りの少ない道。倒れそうなのに活動しつづけている室外機(ニーア オートマタを見ていたので命を感じやすくなっている)とか、猫を警戒してペットボトルを敷き詰めてる庭とか、そういうのを見て満足。冬っぽい雨の日にやりたい散歩ができた気がする。

 帰宅後服をたたみ、昼ごはん。ラーメン。昨日から汁の量を調整できないので満ち満ちになるんだけど集中したらこぼさないで机に置ける。こぼさなかったときに達成感があるけど、お湯をおたまでちゃんと注いでいったほうがいい。味は普通。まだ胃が弱っているのを感じる。

 夜ごはんはお粥。まだまだ弱っているけど試したくてトマトを入れた。病気っぽい時に試さない方がよかっただろうけどやってしまった。食事のときに勇敢さを発揮するの良くない。こんなに胃がダメだと苦言を呈されている気分になる。揚げ物の4日連続はもう無理だと思い知らされる。

 今日は引き続き中村哲さんの本を読んでる。読みやすい。高校生向けらしいし。素朴に思ったけどそういえば反米的態度の人ってなんで少ないんだろうな。単に私が勉強不足なだけでほんとはたくさんいるだろうか。

 おもしろかったのは、ご本人が「自分がいなくなったらこの取り組みは無くなるだろう」という話をしている箇所。現地にやってくる日本人は4, 5年いたら「俺はこんなに長いこといるんだ」という態度になることが多いらしい。それは仕方ないけど、4, 5年ぐらいでは現地の人たちとの信頼や関係性は生まれない。だから後継は生まれない。だから自分が骨を埋めるつもりでやって、死んだら終わりなんだ、というようなことが書いてあった。

 必要なシステムさえできれば、的な態度って場合によっては安易なのかもしれない、とまず思った。あと、4, 5年もうまく馴染めない場所にいたら、私も何かが得られたという結果がほしくなると思う。ときどき人生がこうでいいのか分からなくなるだろうから。結局やめてしまったとしてもそれはそれで別にいいんだけど。よくない気がする。社会的に正しくないとかそういう意味じゃないし、本人にじわじわ後悔が募るだろうからよくないとかそういう意味じゃない気がするが、うまく説明できない。

天かす 戦意

 10月16日。曇り。7時に起きて走る。雨降ってたからダッシュで10分だけ走り、疲れ切る。寝転がりだらだら昨日までの日記を書く。途中までは成田空港から東京駅に向かう高速バスのなかで書いてた。

 村上春樹の『職業としての小説家』を読了。読んだことある内容が多かったし肝心の小説の技法にはあまり興味がない。あえて買う必要はなかったかもしれない。でも「自分や他人の心の深い闇に迫る作業をするなら肉体的な整備も必要だ」という話は、小説家になりたいわけじゃない私にも重要だった。

 体力づくりと思って筋トレやストレッチは意外とほぼ毎日してるけど、有酸素運動は全然足りないと思う。肥るだけだと思ってたけど頭にもよくないんだな。それはそうだわ。今日は10分でも走ってたから、共感側に行きたくて頭が普段よりも大きく共感した感じがする。そういう高まろうとする動きが自分のなかにあることは少しうれしい。

 胃が気持ち悪い。今週は毎日揚げ物と酒をいただいていて、帰ってきた金曜の昼夜はバナナだけにしたのにまだぜんぜん気持ち悪い。だからうどん。福岡空港で買ってきた茅乃舎だしでうどん。あと塩昆布キャベツ。天かすの多さとか胡麻油に気づかれたら自業自得ですよねって論破されそう。天かすがグズグズになる様子を久しぶりに見たかったから。

 ずっと味の濃ゆいものを食べてたから出汁の味が最初はしなかった。最終的には白だしとか入れて味がした。気になって “出汁 味しない” で検索したら、「スーパーにある顆粒だしばっか使ってると味覚障害になるわよ!」っていう記事が出てきてそこまで言われるとめんどくさいなと思った。食べ終わった後に出汁の効力がじわじわ感じられてきて、ホッとした。

 あとは中村哲さんがインタビューされた本(『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』)を読んでた。おもしろい。中村哲さんを起点にするなら福岡にも興味もてるかも。中村哲さんって火野葦平(戦時中にどちらかというと戦意を高揚させるタイプの小説家だった人)の甥らしい。知らなかった。こういう結びつきを知ってその人をとりまく文脈が増えていく感覚が好きなんだけどゴシップ好きと大差ないのでおおっぴらには言えない。

 今日は旧家族がらみで嫌な感触があり、できることなら外から見てたいと思った。

福岡4, 5日目

 10月14日。ずっと寝ていたし猫と遊んでいたので書くことがないといえばない。いま猫は3匹いる。そのうち最も若い猫がほんとうに元気で、他の猫たちと一緒にじっとしてはいられないようだった。私がペンを使おうとしたらペンの蓋を狙いはじめ、私が髪を結ぼうとしたらヘアゴムに噛み付いてくる。そういえば若くない猫2匹も初めはそうだった。私の手が傷だらけになっていたのを思い出す。

 まあ若い猫はある程度遊んだら飽きてどこかに探検しに行くので、そうなれば私は老いた猫たちをダラダラなでつづける。

 老いた猫たちには楽しい思い出がたくさんあるし、暗黒の中高時代、彼らには関係のないことで嫌になるたびに私は猫から勝手に生きる活力をもらっていた。

 そういうことを思い出すから、15歳のときの私、22歳のときの私、今の私が重なりながら撫でているような感覚になる。今の私のつらさって15歳のときとそんなに変わらないかもなとか、定期的に同じようなつらい時期きてるんだなとか、私がんばってきたなとか、自分の進んできた距離や今の位置を感じさせられる。

 また、猫が老いていくことについて受け入れたくもなる。毛がなでつけられたままになっている。毛が減っている。皮膚も少し柔らかさが失われている気がする。目が濁っている。そういうことは見て分かってもそのまま受け入れることは難しい。他者のどうしようもないことは簡単に受けとめてしまえる気もするし、永遠に納得がいかないような気もする。老いるのは若いのよりかっこいいが、死なれるのは嫌だ。

 10月15日。朝に出発し昼には成田空港着。福岡空港では買いたい本がなかなか見つからなかったけど村上春樹の『職業としての小説家』を買って読む。村上春樹はデビューするまで四六時中働いていたという話は聞いたことあったけど、改めて励まされた。なんでもいいのかも。飛行機は最後に出た。急いでないから。

 昼はバナナ。夜もバナナ。胃にやさしいものを食べたかった。この1週間お酒を飲みつづけていたので。夜は「死にたい」か「どうでもいい」かなら死にたいのほうがマシだと考え始めて自分では腑に落ちた。

 noteじゃなくてもスマホでも書けるようになってきた。noteは多くの人が見てくれるのがうれしかったし人の日記を読めるのがうれしかった。それにTwitterとはちがう種類のゆっくりした関わりがnoteにはあった。しかし最近は純粋に日記を楽しんではいられなくなった。ひとまずnoteでお金を払って購読してたのをやめようと思う。

10/7,10/8

 10月7日。曇り。朝はハンバーガー。昼はフルグラ。夜は干し豆腐の麺とか鶏の唐揚げ。面接に向けて生活のすべてを選択していった日だった。スーツが久しぶりだったからソワソワした。明らかにウエストがキツくなってる。ストッキングで足の色が白くなりすぎてる気がする。化粧濃すぎる気がする。面接が終わったあとコインロッカーを開いてトイレに駆け込んでスーツを着替えた。じっさい何もかも恥ずかしかったけど、くじけず最後まで強気っぽくふるまった。涼しかったのにかなり汗をかいてたから涼しくてよかった。緊張がとけて駅のホームでお茶を買って座ったりした。帰宅したあとはサンダルに履き替えて中華料理屋に行った。久しぶりに行ったら店員さんが使う日本語の範囲がかなり広がっていた。ずっと健康でいたいなと思った。地震にびっくりしたけど大丈夫だった。

 10月8日。晴れ。朝はフルグラ。昼は海鮮丼。夜はフルグラとサンドイッチ。午前中は昨日のことで疲れてた。夜に「今日はもう布団に入ったら5秒で寝られる!」と思うことあるけど、朝からそれだった。でも疲れたなー、ってのを続けてると老化を自覚させられてきて嫌だから、昨日の私は何がうまくいかなかったのか反省することにした。反省には苦痛が伴う上に部屋に1人だったから、うめきながらの反省だった。夜にはボランティアに行ってきた。お互いに「よく知らないけど仲良くしといたほうがいいだろうな」って思ってる中で人と関わると社会に対して健全な気分になる。なった。昨日は面接だから仕方ないんだけど、相手は仲良くしといたほうがいいって思わなくていい状況だったので、いたたまれなさがあった。だからそれで失われた部分が取り戻された感じがした。