カブ

 11月7日。晴れ。朝はなし。昼は外でカレー。夜は米とカブのスープと納豆。カブうまい。久しぶりに大きいスーパーに行って楽しかった。冷凍エビを買えてうれしい。味噌を忘れた。

 2021年は使ったことない野菜を使う流れがあったんだけど心がだいぶ保守的になってしまい、今日はカボチャだけ買ってきた。昔からカボチャを切るとき私なら指を絶対切るだろうっていう気持ちがあったけど、そんなはずないと思えたため。

 美味しんぼを久しぶりに見て里帰りした気分になる。里とかないんだけど里だった。懐かしい声と展開。「思い出のメニュー」(犯罪歴のあるドイツ料理人がソーセージをきっかけに山岡と会ってかつての恋人と寄りを戻す)と「海のマツタケご飯」(記憶を喪失した男がトコブシの炊き込みご飯で記憶を取り戻す)の回。

 美味しんぼにさんざん時間を溶かしてきたので、2話でやめることができた。美味しんぼ中毒者の会があったら少し面白そう。

赤坂見附

 きのう赤坂見附に行ってきた。前回の大森に引き続いて、降りたことないところで降りる。赤坂では東京03のライブを見るために降りたことがあるけど見附にはない。見附っていうのは江戸城の護衛のために悪いやつを見つける場所だったということらしい(ざっくり)。13時〜17時ごろに行った。

 以下行った順。

 弁慶堀。寛永年間(1624~44)に弁慶小左衛門という人が開削したから弁慶堀。地下鉄のCかDの出口から出たら最初にこの弁慶堀が見える。ミドリムシみたいな形の堀で、釣りをしてる人や小舟に乗っている人がいた。これがよかった。駅から出た瞬間にこの光景が見えると、別の場所に来た感じがしてうれしかった。

 次に大久保公哀悼碑。大久保利通は西郷隆盛と仲良しだったけど立場の違いでうまく行かなくなり、西郷が西南戦争で死んだあと恨まれて殺されたことで有名(ざっくり)。石碑は清水谷公園にあり、いろんな人がベンチでだべっていた。公園は植物が多くて、虫もそれに合わせてたくさんいた。なんかこのあたりの公園としては意外な感じだった。

でいご
でかかった

 石碑を見てたら優しそうな高齢男性に話しかけられ、この辺りで大久保が殺された話を教えてくれた。知ってるから来たのだが‪⋯とか思ったけど、怒らなければ、という気分にならず、知ってる感じは出しながらも、ヘラヘラ聞いた。

 気が済んだっぽく黙り込まれたところで立ち去ったんだけど、去る際に入れ違いで、綺麗なスーツを着た恰幅のよい政治家っぽい人とお付きの二人が、哀悼碑の方に向かっていった。大久保利通に思い入れがある人っていっぱいいるんだな。

 紀尾井坂。大久保利通がまさに殺された場所。けっこう急。いま検索したら紀尾井坂のプロフィールが出てきた。このプロフィールによると緩やからしい。

上り
下り

 赤坂離宮の周り。赤坂離宮の中には予約なしで行ってみたけど混んでたので断念。しかし周りは周りで、太くてでかい木と紅葉が綺麗だったので歩いてよかった。1周3.3km。護衛官が一定間隔で立っていて、でかい棒を持っているけど、挨拶してくれたりして丁寧だった。

 途中で、お上品な高齢女性に話しかけられ、「向こうに大声を出して怒鳴ってくる人がいるの」「私びっくりしちゃったからあなたも気をつけて」と教えてくれた。なんて親切なんだと感動してたら、その後見つけたのは天皇制反対を叫んでる男性だった。

 確かに怒鳴ってくる感じはあったけど、私の住む辺りだとこういう人はまあ見かけるなあと思った。何にせよあの女性は親切だったんだけど、区切れを感じもした。

正門

 旧大日本帝国陸軍第1師団司令部跡。第1師団は2・26事件を起こした中心人物たちがいたとこであり、レイテ島を戦った人たちがいたとこ。こう言うと仰々しいけど今は普通に公園だしそういう石碑もない。少し疲れたので休んだ。地面が平らでなくゴツゴツしていてうれしかった。公園で何言ってんだって感じだけど、整備されてないものに安心を感じる日だった。

 高橋是清翁記念公園。高橋是清はさっきの2・26事件で殺された人。さっきの公園から徒歩10分だし、大義を掲げたわりにやってることショボいなと思った。公園は緑が多くて虫も多いんだけど静かでよかった。この辺りの公園いい。

盛り土もしてあってかなり高いとこにいた

 途中で見かけたもの。人いなくて歩いてるの気分よかった。

半地下
坂が急に上がるの好き
広いのに使えない駐車場

 乃木神社。乃木希典が明治天皇が崩御したのに合わせて自刃した自宅の隣にある。乃木希典が自刃したことで幽霊坂だったのが乃木坂になったらしい。幽霊坂がよかった。結婚式をやってたようで、雅楽の越天楽今様が流れてきてお得だった。立ち止まって聴きながらもう疲れたなと思った。

若者が多かった

 でかい鳥。帰る。

 前回より長く居たので長くなってしまった。大森に比べて前から関心のあったところも多かったし。そのぶん自分の関心に即しすぎていてぶらつき感が足りなかった気もする。

『東京都の歴史散歩 中 山手』p.218より(山川出版社、2005年)

 終わり。

 11月5日。晴れ。朝はなし。昼は冷凍つけ麺。夜は米と納豆とスープ。取り戻してきた。こういう元気のない時に自動的に汁が作れるようになってよかった。萎びたキャベツを使ったけどまだ腹こわしてない。

 安保の本を読んでる。昭和天皇の政治的介入がけっこうあったらしくてびっくりする。1970年代とか、日本国憲法ができた後のことなのに。戦後の天皇がアメリカ(ベトナム戦争を行っているところのアメリカ)に訪れて日本への優しさに謝意を表明とかしてたらしい。天皇って、平成生まれの私にはぼんやりリベラルっぽい印象があるけど、日本史の流れを踏まえると普通にそんなはずないんだよな。

 去年『三島由紀夫VS東大全共闘』っていうドキュメンタリ映画をみて甚く感動したので、“あいまいな日本国” のことを日常で気にするようになってしまった。やばいかもしれない。でも今回比例では立民にも共産にも入れなかったし、そういう自分の政治的立場をどうにか説明できるようにしたい。

 年金の催告状が来てびっくりした。黄色い封筒。誕生月なのだから、優しくしてほしい。

味玉

 11月4日。晴れ。朝はなし。昼は海鮮丼。夜は米と味噌汁と目玉焼き。久しぶりに料理した。自動的に作れるものでしかないけど。野菜室の野菜がほとんど萎びつつあった。

 今日のことじゃないけど選挙のときに食べたラーメンの写真。味玉にクマさんの型をつけているのがすごくキモかった。以前、人参の中身に三角形の小さな空洞ができてた(時間が経つと空洞できるらしい)のがキモすぎて寒気したことがあったけど、それと同じ感覚になった。

 食べ物ってだいたい人間によって変形させられているのに、こういう模様だけ異常に気持ち悪く感じるのはなんでなんだろう。自分が生き物のあるべき姿みたいなのを無意識下で求めているのだとしたらそれも気持ち悪い。ということが今日は気になった。

 11月3日。文化の日。晴れ。14時に起きた。朝はなし。昼もなし。夜パン2つ。食欲ないけど昨日よりは元気。起きたら出かけた。晴れてるのが嫌だった。喫茶店。いつも行く喫茶店が満席。あんま行かない喫茶店。壁が五角形で、その一辺の横に座る。若者たちが馬鹿笑いしてるのがうるさいけど、こないだ家で久しぶりの友人に会った私もそうだった。あまりにも楽しすぎて「そんなに笑う感じじゃなかったよね」と言われた。2年に亘るコロナ禍における生活に慣れていたのに、10年来の友人たちに会って、生活が忍耐によって成り立っていたと強く意味付けられてしまった。読書のち帰宅のちパン。終わり。

かむかむレモン

 11月2日。晴れ。ぬるい日。目覚めた直後に昨日またお祈りメールが来たことをまず思い出し落ち込む。そこそこ準備したのに。ということは、時間をこんなにもかけて、私にはこの職が向いていないという事実がわかっただけなのか。的なゾーンにガクッと入り込んでしまい、天気がよくてよい日差しも入ってきたのに今日はだめだった。

 朝はなし。昼はパン。夜は海鮮丼。自炊したかったのにしなかった。おやつとしてかむかむレモンを食べ、大好きなかむかむレモンですらなんか不味い気がする。うますっぱくなかった。

 今日は夜までずっと落ち込んでいた。自己批判する。昨日は選挙に関して自分が入れた政党も含めて思ったことを書いた。それでもってそれなりに私のポジションが明確になったから、それについての否定から始まった。床屋政談に過ぎないとかそういうので。やっぱり自分が表明することの自分への影響ってものすごい。

 昔『ブログを続けるコツは誰にも話を聞いてもらえない状態を作ること』ってのをTwitterで見て面白かった。ほんとそうだと思う。

 私は普段からなんでも話したいことを人に話すというよりは、会話の相手と話したいことを選びがちなので(それで国と死の話になるのか…)、支持政党の話とかって人に話してほしいと思わないから、話題として選ばない。だからそういうことを書き直しながら書くのは、社会にとって価値がないとはいえ、それなりに良い体験だったと思う。自分が何を分かってないのか分かるし。

 夜にはボランティアに行った。ボランティアの予定があって本当に助かったと思う。体を動かすことができるし、優しい人たちと健康な感じで関わることができる。

 ボランティアから帰るとき、安い骨伝導イヤホンから「未来は俺等の手の中」が流れてきて、気温も少し下がっていて電車とか自動車の車輪がすべる音と混ざり合っていたし、実に未来は俺等の手の中であることだなあ…という気分になってきた。

 すぐ帰れるのにしばらく散歩して帰ってきた。だから今は少し元気。落ち込んだときに自己批判するのであれば、いきなり外に出かけよう。冬になるのだし。

11月

 11月1日。曇り。いい気温。これから雨が降るらしい。東京の感染者数9人らしい。朝はなし。昼はハンバーガー。夜はなし。録画してた選挙特番を引き続き見てたのであんまり食事を何とかしようという気がなかった。

 土曜は部屋をきれいにして友達4人と先日買ったジンを囲んでしゃべり、日曜は眠ったあと選挙に行って選挙特番をダラダラ見ていた。

 以下選挙とSNSの話をしたい。

 選挙は、私のいる選挙区では負け確だなと思いながら白票はやめとくために立憲に入れて(負けてた)、比例では特に教育分野のことで国民に入れた。国民は思ってたより票を伸ばしたらしいけど「民主党」と書く人の按分によるという話もある(開票作業した人の一実感がどれだけ信頼性があるのか疑問もある)。全体の結果は与党が爆勝ちというわけではないけど小選挙区で野党共闘した政党は負けたというところだと思う。

 各メディアの事前予想が多く外れてたこともあり、知り合いの左派っぽい人達が失望している印象がある。私も左派だと自認してるけど、現都知事が爆勝ちしたときのトラウマから覚悟していたし、立憲・共産のSNS戦略がかなりうまく行かなそうだと感じてたので、そこまでショックはない。了解‪ッという感じ。

 こういう態度って逆張りって言われるかもしれないけど、もはや逆張りでもいい。私は今はとにかく勉強するのと、周囲の人たちとうわべではない会話ができるような自分の態度を作っていくのが大事だと思っている。

 人に話を聞いてもらうのは難しい。Twitterで自分の価値観を「説く」行為が気軽に繰り返されることで、今回はフィルターバブル的なことが前よりも起こって、ますます分断が深まっただけになったんじゃないだろうか。

 私はかつての仕事で、浅く短い経験しかないけれども、自分と違う意見の人や無関心の人に「話を聞いてもいいかもな」と思ってもらわないといけなかった。そのとき感じたのは、長い時間をかけたパフォーマンスや相手との関係性の構築が必要で、しかもその過程で相手から見下されていると思われたら一瞬で距離を取られてしまうので、自分でもうっとうしくなるぐらいの粘り強さがないと厳しいということだった。私はSNS上の政治運動にはそういう前提を感じ取れなかったし、心理的距離を取られる機会の方が多そうに見えた。つまり根が生えそうじゃなかった。

 しかしこの話だって「共有したいだけで/思ったことを言っただけで説いてなどいない」とイラつかれるかもしれないし、さっきからの話を踏まえるとただ距離を取られるだけなのかもしれない。そもそも人によっては国民民主党に入れるやつの意見など聴くに値しないのかもしれない。

 目の前にその人がいなければ、私の発言が受け入れられていない様子に気づけないし、何で受け入れられないのかが分からない。そんな悪条件下で「空回ってもがんばってみせる」という態度が有効だとは思えない。意見すること自体がダメなわけじゃなく、それが戦略として正しいとは思えない。

 少し冷静になると、とにかくSNSでの政治の話をする営みには歴史がないだけで、今は何事も積み重ねる段階なのだろうか。だとしたらこれから積み重ねるにあたって、気に入らない人のむかつく意見を見ない・言わせないようにしない土壌がどうにか生まれるといいなと思う。

漬け

 10月29日。晴れ。12時に起きる。昼なし。夜は米と昨日のカンパチとイナダの漬けと、ワカメの量を見誤った味噌汁。東京のすばらしい食文化のことはよく知らないけど、漬けをそのうちの一つと言っていいと思う。新鮮さがどうせないなら漬けた方がいいという考えは正しいと思う。昨日刺身で食べたのより美味しかった。私がとくべつに発酵してるものが好きなのかもしれない。

 明日は友人が家に来るので準備しなきゃいけなかった。でもお酒とトニックウォーターを買ってくるにとどまった。友人は大学で浴びるように酒を飲んでいた時の友人なので、部屋のことを別に気にしなくていいかなと思ってしまう。

 クラフトジン買ってきた。ハイボールの次にジントニックをよく飲む。友達が来るし誕生日近いしってことでいいやつを買ってきた。なんか流行ってるらしい。片方(写真・右)は説明に「キュウリのスライスを乗せてもよい」って書いてあってすごかった。私の判断だけでジンにキュウリのスライスを乗せることはない。 ワカメを入れすぎてしまう程度の人間なのにジンにキュウリのスライスを乗せるのはバランスに欠く気がする。でもいつかやってみよう。

 行きたくてカラオケに行った。久しぶり。カラオケ屋は内装が綺麗になっていたし、ドリンクバーがなんかタッチパネル式になったし烏龍茶は薄くなくなっていた。久しぶりに大声を出したので声がガラガラに枯れた。

秋っぽい

 10月28日。晴れ。朝はフルグラ。昼はクリームパン。夜は米と味噌汁と刺身。玉ねぎとエリンギをできるだけ細く切ってみようとしたけどこんな程度だった。まあ食べやすくてよかった。Twitterを見てたら思い出したんだけど、コンビニのパンとかスイーツって歯を前提にしてないと思う。

 なんか徳川将軍は噛まなすぎて15代に向かうにつれて顎が細くなってたとかいう冗談みたいな話がある。顎が少ない方がおしゃれなのかもしれないが、私なんかは太く生きたいので、歯は使うようにしたい。

 天気がよかったし気が沈みつつあったので出かける。涼しくも暖かくもあり秋っぽい。お馴染みの喫茶店で読書。安保の本。カウンターに通されて、店員さんになんとなく安保の本を読んでると思われたくない気がした。知らない人に私のそういうことできるだけ教えたくない。でも隣に座ったカップルがコーヒーと一緒に写真を撮ろうとしてて(なんでそんなことするの?)、画角的に私も安保の本もその写真に入るだろうなと思ったものの、避けることもまたできなかった。

 しかし教えたくないのならこのベラベラ言ってる日記は何なんだという気もする。自分のことだから下衆の勘ぐりをすると、ネットじゃない世界での自分のありように自信がないのかもしれない。つまりネット弁慶。情けない。去年までベラベラ外でしゃべってたけどもうそれも過去のことになりつつある。

 ピュレグミのチロルチョコと古本の写真。今日ほんとは土井善晴さんの一汁一菜の本が文庫化したのを買いに行ったけどなんかウーウェンさんの本も良さそうで迷っているうちにどっちもやめてしまった。結果古本屋。小さい古本屋って関係者の意識が全体に張り巡らされてて、なんか緊張するんだけどそれが楽しい。

 帰宅していらなくなった炊飯器と扇風機を捨てる。土日に旧友が家に来るから片付けている。これを以って大掃除と為したい。

黄色 読んだ本

 10月27日。天気不明。晴れてはなかったし雨降ってたような気もする。朝昼は米と卵とウインナー。夜はファミチキとサンドイッチ。養生するとか言ってたのに。気が立っているとこういう選択をしてしまう。そんなことをするから夜になっても気が立ったままなんだろうな。排他的な行動が正しくないのかについてぼんやり考える。

 ずるずる読んでいた本が何冊か読み終わった。同時並行的にちまちま読んでたのが一気に終わるときってある。以下感想。

 中村政則『戦後史』(岩波新書 2005年)

 戦後史に急に関心が湧いて読み始めた。筆者の体験をもとに戦後史を語るもの。いきなりガッシリした解説から歴史を学ぶのが苦手なので、玉音放送がよく聞こえなかった話から始まり、わだつみの会で経験したことなど、本人の体験が率直に書かれていて何となくつかめたような気分になった。やっぱり人の話から入るほうが好き。始めにこれを読んでよかったと思う。

 石原享一『戦後日本の経済と社会』(岩波ジュニア新書 2015年)

 経済史が知りたくて読んだ。上の戦後史みたいに語るというよりは、羅列するって感じだった。高校政経で学ぶ内容をあんまり上回らなかった感じがするし、これで戦後経済史が深まったって感じはしない。でも有名な企業人って私は小倉昌男ぐらいしか知らないので、それらが多数紹介されててフーンと思った。基本的に筆者の人は反戦・反原発みたいなんだけど、最後の章で河野太郎の反原発の表明を評価していて、夢の跡‪⋯と思った。

 中村哲・澤地久枝『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』(岩波現代文庫 2021年)

 前に『アフガニスタンの診療所から』を読んでたのでそれと重複する部分も結構あったけど、ペシャワール会の活動以外のご本人の来歴をこの本でたくさん知ることになった。火野葦平の甥であったとか姉の名前は共産党から来ているとかの関係の話も面白かったけど、そんなのより、撃たれた足を自分で治療したこととか、息子が死んでしまったこととか、馬に殺されそうになったときようやく楽になれると思ったのに助けられたというような、そういう話が心に来た。長生きして欲しかったとか思ってたけど浅はかだったな。

 辻田真佐憲・西田亮介『新プロパガンダ論』(ゲンロン 2021年)

 辻田真佐憲さんの伊藤隆さんへのインタビューが良くて買ってみた。本の見た目もかわいいし。現代日本におけるプロパガンダの話。情報戦略ってどう効果があるとされているのか気になって読んだ。今のところ客観的に効果を計測するのは難しいっぽい(選挙に行けという広告は効果があった例があるが、●党に入れろというのは効果が分からないらしい(それはそうだ))けど、やった上で選挙がうまくいったらもうやめられない、みたいなところがあるっぽい。なんか対談が進むにつれてプロパガンダの話から「情報」の話にブワッと広がってる気がしたけど、私は現代の話を歴史と紐づけて語る行為が好きなので、読んでて楽しかった。