図説 就活

 9月30日。曇りのち雨。朝はフルグラ。昼は米とコーンスープとピーマンの塩昆布和えとゆで卵とゆでウインナー。香勲でもないため感動はないけどウインナーは茹でたほうが私にとって確実でおいしい。この写真が家庭科の図説の教科書に載ってそうな感じで気に入っている。でも「【資料】2020年代の20代女性の昼食」としては技術が未熟かもしれない。

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 夜は米と中華スープとキノコ炒め。日記を書くまで調べてなかったけど真っ白いエノキじゃないきのこはブナピーというのか。ブナピーとエリンギを使った。最近葉物が高いためキノコ。葉物が高いの今週で終わっててほしい。小ネギをフライパンから出し切るのめんどかった。

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 今日もいろいろと作業。明日で退職してからもう10ヶ月になる。こう言ってみるとかなり迫力を感じる。今年の就活がうまくいかないとしても来年度には何でもいいから就職するつもりでいるけど、私は自分のつきたい仕事のために長い時間を費やしてきたわけだし、なんだかんだ諦めないだろうなと思う。

 こういうのってぬるい生き方でもあるし高リスクな生き方でもある。同じ大学の人(卒業したのもう5年前だけど)でこんな選択をしてる人を聞いたことない。でもこれを選ぶのが私にとっては一番マシなんだよな。人生100年時代らしいし。ほんとかな。

 前、年下の就活で不安になった知り合いが最低ラインとして私の生活を聞いてきたことがあって、あからさまでウケたし何かほっとした。三島由紀夫は年下にちょうどいい感じに小突かれて悦ぶ年上は醜いと言っていたし、実際そうだと思うけど、社会に私みたいな人間がいることを踏まえる人がいるのが嬉しい気がした。とにかく存在しておくことが重要。っていうか人生ってそれなのかもしれない。

 明日から緊急事態宣言が解除されるらしい。外出する人が増えて感染が増えて大変なことになってみんなが気合を出してがんばって減って、みたいなサイクルにもう疲れたけど繰り返していくしかないんだろうな。

カクカク 揉め事

 9月29日。曇り。11時に起きてしまい朝はなし。昼はラーメン。自分でスープをわざわざ作ったんだけど普通にうまかっちゃんにすべきだった。夜は肉じゃがと米と味噌汁。肉じゃがって秋っぽいかなと思って、牛肉だけ買ってきて作ったけど、野菜がレシピより少なくて味付けが少し濃くなった。あと人参の皮むきが雑でカクカクしているのが気になる。料理がうまい人ってカクカクしていない。でもピーラーで雑にガッと剥いていくの爽快なんだよな。

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 あんまり元気がなかったけど昨日やれなかったことはやれたのでよかった。最近なんかボーッとすることが増えて、このまま脳細胞とかが自分で分からないうちに動かなくなっていくんじゃないかと不安になる。やることは多いけどやることが毎日同じだから、全体として気持ちも動かなくなってぼんやりしてくるんだと思う。しかたない。でもいろいろな場所に連絡はしてみたし、これからは少し変わっていくと思いたい。

 総裁選が終わって決まった新総裁は「新自由主義を解体する」などと言ってるらしくて期待してしまう。最近なんか支持政党が無くなったので億劫だけどまたいろいろ見直していこうかな。私は日本近代史が好きなのでそのまま現代の揉め事とか好き寄りだろうなと思ってたけど、リアルタイムで進んでいくものはストレスがかかりすぎて嫌だと気づいた。とりあえずのオチが分かってないと嫌だ。映画とか小説ではワクワクしながらオチを待つことができるけど現実ではそれができない。オチがまじで自分に関わってくるから。じっさい政治が私にどう関わるんだよという突っ込みがありうるけど、私は人に意見を求められたときに、自分の価値観的に、生活的にどうなのかしゃべれるように整理しておきたいので関係があると言っていいと思う。それにしてもめんどくさいな。

モルモット 相対化

 9月28日。曇り。もう9月終わる。朝はフルグラ。昼は昨日の。夜は冷食の坦々麺と味噌汁。やる気なし。唐揚げって翌日に持ち越すとしおしおしてるから悲しくなる。豚肉とじゃがいもを味噌汁に入れるとそんなにおいしくないことがわかった。なんかもっと秋っぽく栗とかを食べるべきなんじゃないか。

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 いつも自動的な感じで就活関係の書類とかを書いてたのが今日はなんか書けなかったりしたけど、だからって思い詰めるというほどでもなかった。昨夜『独学大全』をまた好きなところだけ読んでみて、まあまあ元気が出たからかもしれない。やる理由とかを求めだしてるうちはやらない、みたいな少しうるせーと思うことにも乗れるなら乗ったほうがいい。やってもうまくいかないときはもっとたくさんやれってTwitterで見たけど、ほんとそうやって生きるしかない。

 煮詰まってきたとき、パズルゲームよりはマシと思ってGoogleでソリティアをしようとしたら「動物の鳴き声」というページがあって、動物の鳴き声がいろいろ聞けて何も疲れてないけど癒された。モルモットってほんとにモルカーみたいに鳴くんですね。そういえば動物の声ってほとんど知らない。動物園に最後に行ったの8年前ぐらいだし、そこもユキヒョウがいたことしか印象にない。ナショナルジオグラフィックも好きだけど動画では見ない。普段きかないような生き物の音っていいな。

 今日Twitterを見たらラーメン評論家のセクハラとか誰かの結婚とか長髪がどうとかで何となく荒んでいた。その中で「私が彼のようにおかしくなったら指摘してほしい」みたいなこと言ってる人がいて、わかるし私も言ったことがあるけど、考えてみれば私は指摘しないだろうなと思ったし、他の人も私に指摘してこないかもなと思った。なぜなら「おかしさって人それぞれ抱えてるもんだからな〜」って思い始めると思うから。相対化グセが体に染みついてるし。

 問題なのは、そうやって「人それぞれですよね」と割り切ったとして、割り切ったあと私はその人と関わるのをやめるに違いないなってことだと思う。私は旧家族のそばから離れて生活しだしたときからそういう癖がついているけど、これから何十年と生きるかもしれない中で、そうやっては生きていられないんじゃないかと思うし、こないだ会った年下の人間とかを見てると、そう生きていくべきではないんじゃないかという気がしてきている。どうでしょうね。終わりです。

Vlog 多動力

 9月27日。曇りのち晴れ。昨日なんか落ち込んで仕方なかったのを取り戻したくて、目覚めた瞬間にガバッと立ち上がって洗濯。私は毎週こんな感じな気がするし、こういう波に合わせて生きていくばかりだな。

 朝はフルグラ。糖質オフのから普通のに戻した。でもオフのでよかった。昼は米とコーンスープと目玉焼きと塩昆布ピーマン。昼に冷食や外食じゃないの久しぶり。

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 夜は米と味噌汁と茄子の唐揚げ。茄子の唐揚げは、テレビでYouTubeをつけてVlogをずっと流してる中で目に入ったから作った。調べたらバズレシピらしくて、唐揚げを作ったことない私にも簡単だった。味噌汁は、豚肉がでかいのに合わせて人参を大きめに切ったらいい感じだった。

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 先週、感染拡大のなか孤立して大変なことになってた人に会って、この状況で私が何もしないのはよくないと思ったことがあった。それでいきなり見境なく行動に出るのも違う気がして、排除や差別のことが書いてありそうな本を買ってきて、土日から読みはじめてみてた。

 でもその本がだめだった。冒頭部をパラパラ読んで受けた印象と違って、各章は体験レポート的なものばかりだったし、そのうちの多くが、「考え続けなければならない」など大学生の感想コメントみたいに締めてあった。それでこの人たちって教授とかなのに深める気がない、学者としてどう考えるのかとかがないんだなと思えたし、それでもこの本は彼らの「実績」に入れられるんだろうな〜という想像もしてしまい、不愉快だった。

 しかしお金も出したし不愉快で終わらせるわけにはいかないので、教訓としては「習うよりも慣れろ」ってことだと決めつけて、近くでやれそうなボランティアに応募してみた。活動していく機運。

 今日はやることも進んだし模様替えもしたし唐揚げが意外と簡単だったし概ねよかった。土日はなんか落ち込んでて、やりたいことがパッと浮かんでも諸行無常を感じてしまって何もできなくて嫌だったので、ぐだぐだ考え始める前に動くべきだと思う。読んだことないけど多分これが多動力です。月曜日おわり。

サーモン すばらしき世界

 9月24日。晴れ。朝はフルグラ。昼はサーモンとバジルとチーズをパンに載せたやつ。夜はサイゼリヤと葡萄。昼ごはんが驚きで、サーモンとバジルとチーズとオリーブオイルで不味くなることなんてないだろと思ったのに、全然おいしくなくて、料理ってすごい、有名で安牌とされている組み合わせにもおいしくするための工夫の歴史が蓄積されてきてるんだな、と思った。たぶんパンとかチーズの種類とか、サーモンの切り方とか、全部間違えてたんだと思う。

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 伊豆錦という葡萄。巨峰っぽい味。説明書によると「巨峰にマスカットオブアレキサンドリア系の品種をダブルで重ね交配」したものらしい。皮が昨日のより渋いけど私としては親しみがある。おいしかった。

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 今日は久しく会ってなかった知人が、長いこと誰にも会っておらず友達もおらず経済的に厳しく元々厳しい事情がより複雑になったというので激しく落ち込んでいるようだったので、必要火急と判断して会ってきたし食事もしてきた。

言い訳がましくダラダラ説明するのは、こういう状況においてどう判断すべきか微妙だと思ってるから。全く人と接触しなくなることで追い詰められる人にとって、平気で家に引きこもれる環境にあるような私は、彼らを排除しているように見えるし、見えるなら排除してることになるなという。そして排除はよくないが感染リスクを高めるのもよくない。

 まあこのこと自体は前からぼんやり思ってたんだけど、感染の拡大もすごいし、こういった話は避けたほうが無難だなと思っていた。それに「またうるせー細かい配慮の話かよ」みたいな反応を感じたら私が傷つくし嫌だし。すべて保身。でも今回かなり大変そうな様子を見て、とりあえず言及はしておきたくなったし、これからは私にできることはしたい、打ったし、打ったからって大丈夫じゃないらしいけど、打ったし、という気持ちになった。

 うるせー細かい配慮の話がつづくのですが、西川美和監督の『すばらしき世界』という映画がある。“更正”しようとする主人公のために、家族でないような(たとえば近所のスーパーの店長さんなど)いろいろな立場の人間がその立場でできることをやっていく話だった。

 私はそういうことに関心がすごくあるので、映画をみながら節々でボロボロ泣いてしまったんだけど、あのすばらしき世界をつくるのは今の状況ではより難しいし、今やるなら彼らとはまた違った決断がないといけないんだろうと思った。最近「できることをやる」ってのが流行ってる気がしてて、何かに陥ってそうとも思うんだけど、でもやっぱりすばらしき世界のためにできることをやりたいな。

葡萄 カフェイン

 9月23日。晴れ。夏っぽい。朝はフルグラ。昼は台湾まぜそば(冷食)。夜は味噌汁とサーモンの刺身とコンビニのひじき。起きたのが10時半ぐらいだったからリズムが崩れた。お湯を沸かしてラーメンぐらい作るべきだった。

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 夜ごはん。サーモンの刺身は、刺身じゃない塊が刺身より4割ぐらい安かったので、切るぐらいなら切るべきと判断して買ってきたんだけど、意外と裏側に皮があり、剥がすのが下手すぎて嫌な見た目になった。サーモン以外の刺身だったらもっと嫌な見た目だったと思う。

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 お祝いのお返しにやってきた葡萄。8房ある。予定じゃなかったので髪の毛がこんもりした状態で受け取った。葡萄以外の果物だったら周りに配っていたと思うけど、葡萄のことが好きなので誰にも渡すことができない。葡萄が好きなわりにさまざまな品種のことを知らないので食べていくのが楽しみ。

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 ロザリオロッソ。100点。ヨーロッパで有名な高級葡萄らしい。おいしい。なんかシャクっとした食感。もっと他に食べるべき人がいるんじゃないかと不安になる感想しか浮かばない。

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 体が熱い件でカフェインを摂らないようにしようと思ってたけど紅茶は飲んでしまった。2杯。コーヒーより味が薄いのでいいかなと思ったけどカフェインは味じゃないと思う。でも少しマシな気がする。あと、Netflixにある安らぎスペースというやつで瞑想を初めてやってみた。あの笑顔のイラストが苦手なんだけどそうも言ってられない。実際よくて、私はけっこう呼吸が止まりがちなので、呼吸を意識するだけでも楽になった。まあ時間が経つとまた熱さにイラついてくるんだけど。でもこのように少し対策して昨日よりはやることがやれたと思う。少し勉強したら寝る。

モス 0.1倍

 9月22日。晴れ。朝はフルグラ。昼はモスのフォカッチャとスープ。夜はパンとスープ。黄色めのスープは青色の器に入れないほうがいい。おいしくなさそう。でもどんぶりの量を入れるならこれしか持ってない。フォカッチャは久しぶりに食べた。学生のときモスで働いていたことがあり、このフォカッチャもソースが違うけど作ったことがあって、フォカッチャは上に積み上げていく緊張感がないから、注文が出るたびにうれしかった記憶がある。

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 夜ごはんは、あると思ってた米がなかったため、パン。スープの野菜の角切りがうまくいったのでパンとよく合った。ウインナーと同じぐらいのサイズに切るとちょうどいいっぽい。でもウインナーはフォカッチャのときも食べたのでそんなに嬉しくなかった。AmazonPrimeで群ようこ原作の『パンとスープとネコ日和』を最近ちまちま見てた(感想としてはかもめ食堂の方が好きだった)からパンでいいかなってなった。

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 昨日の夜からPMSの症状があり、嫌。新しい症状として体が熱くてたまらないというのが出てきた。たまらないといっても焼け死にそうってわけではないけど、本読んでたら1ページで「あっつ!」ってなる嫌さ。先月テレビで『もののけ姫』やってて、タタリ神になってしまったイノシシが「熱い!」って言ってるシーンがあって共感した記憶があるので、その時から。これから毎月こうなっていくのだとしたら「死後には天国と地獄があって‪…」みたいな世界観が馬鹿馬鹿しいと思えてくる。とりあえずコーヒーを飲まないとかをやろうと思う。

 それで16時ごろまで作業効率が0.1倍って感じだった。宅配物が来て外出して粗大ゴミ券を買ってきたら少し元気が出た。風呂も早めに入った。あとは寝るまで作業して寝る。

労働 中華

 9月21日。晴れ。朝はフルグラ。昼は明太うどん。夜は米とジャガイモの味噌汁と茄子と豚肉の炒め物。明太うどんは胡椒より海苔のほうがいい。しかし水で冷やしたのはモチャモチャしなくなってうれしかった。夜の炒め物はオイスターソースとマヨネーズでやってみた。探す気合いが足りないと言われればその通りなんだけど、私の近所にはめずらしい食材(漠然)とかがないんだから、組み合わせも限られるし、味つけの選択肢が多いほうがいい。

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 今日も昨日と同じように課題とか読書。課題に取り組むのはうまくいかなくても楽しい。人に見てもらうことが前提になっている課題が久しぶりだからだろうな。目的なく勉強するのもまあ楽しめるほうだけど、誰かとの間に価値を生み出そうとするとなぜか元気が湧いてくる。労働の魅力だと思う。

 荷物が届くと言うから外に出なかったのに来ずこの時間になった。最近ごはんを食べながら『美味の起源』っていう中国のごはんの動画を見てる。でかい器具で10人分とかを何回も作るのって楽しいだろうな、と思った後に鍋重そうとか洗い物めんどそうって思う。きっとこうやっていつまでも小さくて狭いところで生きていくんだ私は。それはそれとして早く中華料理屋で周りの声よりも大声でしゃべりながら色々つまみたい。

うまかっちゃん 青空

 9月20日。晴れ。朝はフルグラ。昼はラーメン。夜は米と味噌汁と納豆と冷食の唐揚げ1つ。昼はハムとゆで卵のためにわざわざ包丁を使う丁寧さを発揮した。丁寧にやるといいことした気分になる。うまかっちゃんを東京に来てから初めて食べたけどおいしかった。これまで味覇と醤油で適当にスープを作ってたし、豚骨ラーメン自体久しぶりだった。ビリッと来た。夜は米に久しぶりに十六穀米の素を入れたのでよかった。なぜ入れなくなったのか思い出せない。1パック全部入れたら穀が多過ぎて緊張するので半分にしたら安心した。冷食の唐揚げたまに食べるとおいしい。

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 昨日やる気があったので今週の目標を立てた。スマホを触るのを音楽などを含めて3時間以内にすることと午前中に散歩すること。前者はこれからの時間が勝負ではあるけど、今のところどちらもできている。散歩はついでに買い物もした。ちょっと遠いところにある安い八百屋に行ったけど、やはり葉物が高くピーマンが安い。並んでる2人ともピーマンを持ってた。

 あとはSpotifyの勉強ができる音楽リストをテレビで流しながら本を読んだり就職に向けての課題をやったりした。勉強ができる音楽に選ばれたアーティストの人はうれしいんだろうか。確かに気を散らさずに勉強しやすくなるからありがたいけど。就職したくないけどしておきたい。疲れてアップルパイアイスを食べておいしかった(ので描いた)。

 Twitterの代わりに読んでる橋本治の『青空人生相談所』が楽しい。青空っていうから爽やかな回答なんだろうと思ったら、言ってみれば最高気温38℃の日の青空だった。厳しい。「人よりも作業するのが遅い」という既婚女性に「離婚しなさい」と言ったりする。でも親切な厳しさで、相談主が言い返したくなるのを待っている感じがある。こういう会話を久しくしてないな。

タチアオイ 義憤

 9月17日。曇り。朝はフルグラ。昼は冷食の坦々麺。夜は米と味噌汁と豚キムチ炒め。辛いものばかり食べてると体に良くないとされている。

 今日は朝7時に起きたらすぐ外出して、郵便ポストに行くついでに散歩した。この時間に外に出るの久々で、この時間はスーツや制服姿の人ばかりだと思い込んでたけど、そうじゃない人も半分ぐらいいた。近所の人がタチアオイをついに諦めたようだった。どういう理由か知らないけど見るたびにタチアオイが縮められていたのだ。散歩の楽しみの一つだったので少し寂しい。

 花といえば9日の重陽の節句で菊の花を部屋で挿してたけど、もう完全に首が折れている。切り花って2週間ぐらい持つと聞いた。切り花ってよく知らないのに調べもしなかった。

 あとは人から課題が出されたので課題のために本で調べた。課題に取り組むのは私の心にとって優しいと思えるし、認めたくないけど私は仕事してる方が楽だ。

 読んだ本の話。長くなった。

 大沼保昭(聞き手:江川紹子)『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』を読み終わった。知らないことが多くて良かった。著者は村山内閣のあたりでアジア女性基金の設立等のために尽力した人物。最初の東京裁判についての話から、いきなりまどろっこしい印象があったけど、後書きに色々な専門家に読んでもらって出た意見を最大限尊重したと書いてあって、まじめだった。

 内容は第二次世界大戦で起きた残虐行為がどのように捉えられていったか・補償されていったかを平易に整理して、現代の話題も出しながら「よりましな悪」を求めて現実的に積み重ねていく必要性を説くものだった。著者の主張はたぶん今風に言えば偏っているけど、その自覚もあってか、できるだけ反対側の意見を取り込もうという意識があるように思えた。私はそういう人いいなと思う。それでもAmazonレビューは支持と不支持に割れてて、真ん中でいるのって難しいんだなと改めて思った。

 立場を二つに分けてどっちかでいることが、選んだ責任を自分で引き受けているようでかっこよく思える・安心できるというのは、ここ数年で気持ちとして分かるようになった。私が『身近に”当事者”がいる側』になったからだ。雑にその話題に触れられようもんなら私は義憤でブチ切れられる。私は「それが少しでもあの人のためになるなら」と簡単に切れてしまえる。

 さらに悪いことに私は、そんな義憤にほとんど関係がない人との会話のなかで、私がその立場であるってことを早めに示すことがどういう影響を及ぼすか、しばらく想像してこなかった。こんな社会が許せないし示すことが何より必要なのだと強く思ってたから。でも以前あやすように受け流されて衝撃だった。示したところで聞いてもらえなかったら意味がない。

 じゃあどうすればいいんだろうなってときに今回読んだ本の態度は参考にできるのかもしれない。つまり「向こう側」の理屈を自分で丁寧に説明できるようになってみたらいいのかもしれない。嫌だな〜。