11月5日。晴れ。朝はなし。昼は冷凍つけ麺。夜は米と納豆とスープ。取り戻してきた。こういう元気のない時に自動的に汁が作れるようになってよかった。萎びたキャベツを使ったけどまだ腹こわしてない。

 安保の本を読んでる。昭和天皇の政治的介入がけっこうあったらしくてびっくりする。1970年代とか、日本国憲法ができた後のことなのに。戦後の天皇がアメリカ(ベトナム戦争を行っているところのアメリカ)に訪れて日本への優しさに謝意を表明とかしてたらしい。天皇って、平成生まれの私にはぼんやりリベラルっぽい印象があるけど、日本史の流れを踏まえると普通にそんなはずないんだよな。

 去年『三島由紀夫VS東大全共闘』っていうドキュメンタリ映画をみて甚く感動したので、“あいまいな日本国” のことを日常で気にするようになってしまった。やばいかもしれない。でも今回比例では立民にも共産にも入れなかったし、そういう自分の政治的立場をどうにか説明できるようにしたい。

 年金の催告状が来てびっくりした。黄色い封筒。誕生月なのだから、優しくしてほしい。

味玉

 11月4日。晴れ。朝はなし。昼は海鮮丼。夜は米と味噌汁と目玉焼き。久しぶりに料理した。自動的に作れるものでしかないけど。野菜室の野菜がほとんど萎びつつあった。

 今日のことじゃないけど選挙のときに食べたラーメンの写真。味玉にクマさんの型をつけているのがすごくキモかった。以前、人参の中身に三角形の小さな空洞ができてた(時間が経つと空洞できるらしい)のがキモすぎて寒気したことがあったけど、それと同じ感覚になった。

 食べ物ってだいたい人間によって変形させられているのに、こういう模様だけ異常に気持ち悪く感じるのはなんでなんだろう。自分が生き物のあるべき姿みたいなのを無意識下で求めているのだとしたらそれも気持ち悪い。ということが今日は気になった。

 11月3日。文化の日。晴れ。14時に起きた。朝はなし。昼もなし。夜パン2つ。食欲ないけど昨日よりは元気。起きたら出かけた。晴れてるのが嫌だった。喫茶店。いつも行く喫茶店が満席。あんま行かない喫茶店。壁が五角形で、その一辺の横に座る。若者たちが馬鹿笑いしてるのがうるさいけど、こないだ家で久しぶりの友人に会った私もそうだった。あまりにも楽しすぎて「そんなに笑う感じじゃなかったよね」と言われた。2年に亘るコロナ禍における生活に慣れていたのに、10年来の友人たちに会って、生活が忍耐によって成り立っていたと強く意味付けられてしまった。読書のち帰宅のちパン。終わり。

かむかむレモン

 11月2日。晴れ。ぬるい日。目覚めた直後に昨日またお祈りメールが来たことをまず思い出し落ち込む。そこそこ準備したのに。ということは、時間をこんなにもかけて、私にはこの職が向いていないという事実がわかっただけなのか。的なゾーンにガクッと入り込んでしまい、天気がよくてよい日差しも入ってきたのに今日はだめだった。

 朝はなし。昼はパン。夜は海鮮丼。自炊したかったのにしなかった。おやつとしてかむかむレモンを食べ、大好きなかむかむレモンですらなんか不味い気がする。うますっぱくなかった。

 今日は夜までずっと落ち込んでいた。自己批判する。昨日は選挙に関して自分が入れた政党も含めて思ったことを書いた。それでもってそれなりに私のポジションが明確になったから、それについての否定から始まった。床屋政談に過ぎないとかそういうので。やっぱり自分が表明することの自分への影響ってものすごい。

 昔『ブログを続けるコツは誰にも話を聞いてもらえない状態を作ること』ってのをTwitterで見て面白かった。ほんとそうだと思う。

 私は普段からなんでも話したいことを人に話すというよりは、会話の相手と話したいことを選びがちなので(それで国と死の話になるのか…)、支持政党の話とかって人に話してほしいと思わないから、話題として選ばない。だからそういうことを書き直しながら書くのは、社会にとって価値がないとはいえ、それなりに良い体験だったと思う。自分が何を分かってないのか分かるし。

 夜にはボランティアに行った。ボランティアの予定があって本当に助かったと思う。体を動かすことができるし、優しい人たちと健康な感じで関わることができる。

 ボランティアから帰るとき、安い骨伝導イヤホンから「未来は俺等の手の中」が流れてきて、気温も少し下がっていて電車とか自動車の車輪がすべる音と混ざり合っていたし、実に未来は俺等の手の中であることだなあ…という気分になってきた。

 すぐ帰れるのにしばらく散歩して帰ってきた。だから今は少し元気。落ち込んだときに自己批判するのであれば、いきなり外に出かけよう。冬になるのだし。

11月

 11月1日。曇り。いい気温。これから雨が降るらしい。東京の感染者数9人らしい。朝はなし。昼はハンバーガー。夜はなし。録画してた選挙特番を引き続き見てたのであんまり食事を何とかしようという気がなかった。

 土曜は部屋をきれいにして友達4人と先日買ったジンを囲んでしゃべり、日曜は眠ったあと選挙に行って選挙特番をダラダラ見ていた。

 以下選挙とSNSの話をしたい。

 選挙は、私のいる選挙区では負け確だなと思いながら白票はやめとくために立憲に入れて(負けてた)、比例では特に教育分野のことで国民に入れた。国民は思ってたより票を伸ばしたらしいけど「民主党」と書く人の按分によるという話もある(開票作業した人の一実感がどれだけ信頼性があるのか疑問もある)。全体の結果は与党が爆勝ちというわけではないけど小選挙区で野党共闘した政党は負けたというところだと思う。

 各メディアの事前予想が多く外れてたこともあり、知り合いの左派っぽい人達が失望している印象がある。私も左派だと自認してるけど、現都知事が爆勝ちしたときのトラウマから覚悟していたし、立憲・共産のSNS戦略がかなりうまく行かなそうだと感じてたので、そこまでショックはない。了解‪ッという感じ。

 こういう態度って逆張りって言われるかもしれないけど、もはや逆張りでもいい。私は今はとにかく勉強するのと、周囲の人たちとうわべではない会話ができるような自分の態度を作っていくのが大事だと思っている。

 人に話を聞いてもらうのは難しい。Twitterで自分の価値観を「説く」行為が気軽に繰り返されることで、今回はフィルターバブル的なことが前よりも起こって、ますます分断が深まっただけになったんじゃないだろうか。

 私はかつての仕事で、浅く短い経験しかないけれども、自分と違う意見の人や無関心の人に「話を聞いてもいいかもな」と思ってもらわないといけなかった。そのとき感じたのは、長い時間をかけたパフォーマンスや相手との関係性の構築が必要で、しかもその過程で相手から見下されていると思われたら一瞬で距離を取られてしまうので、自分でもうっとうしくなるぐらいの粘り強さがないと厳しいということだった。私はSNS上の政治運動にはそういう前提を感じ取れなかったし、心理的距離を取られる機会の方が多そうに見えた。つまり根が生えそうじゃなかった。

 しかしこの話だって「共有したいだけで/思ったことを言っただけで説いてなどいない」とイラつかれるかもしれないし、さっきからの話を踏まえるとただ距離を取られるだけなのかもしれない。そもそも人によっては国民民主党に入れるやつの意見など聴くに値しないのかもしれない。

 目の前にその人がいなければ、私の発言が受け入れられていない様子に気づけないし、何で受け入れられないのかが分からない。そんな悪条件下で「空回ってもがんばってみせる」という態度が有効だとは思えない。意見すること自体がダメなわけじゃなく、それが戦略として正しいとは思えない。

 少し冷静になると、とにかくSNSでの政治の話をする営みには歴史がないだけで、今は何事も積み重ねる段階なのだろうか。だとしたらこれから積み重ねるにあたって、気に入らない人のむかつく意見を見ない・言わせないようにしない土壌がどうにか生まれるといいなと思う。