3月18日 おちこみ日

 今日は久しぶりに寒めの日だった。雨だし最高気温が10℃だったらしい。明日は19℃ぐらいになるらしい。凹のへこみの部分。だから気がふさぐ。自分がやることなすことの全部がまちがえてるような気がしだす(実際は8割ぐらいだろうから大体合ってる、という気もしだす)し、目標があるのにそれに向かってうまく前進できてないように思えてくる。

 でもだからと言って、現状についてまったく新しくてずば抜けて正しいような解決方法を見つけ出すことはできない。今やっていることは、自分の現状からしてそれなりに適切だし、それなりにうまく進んでいると思う。だったら気にしないでやることをやれ、という話だし実際そのとおりだけど、そういう判断にお構いなく圧がやってくる。ようやく話が盛り上がってきたところにいきなり10tトラックが突っ込んでくるような感じに、落ち込みの圧がドスっとやってくる。そんなんなら避けようがないんだから気にしても仕方ないですね。完。

 最近、宇多田ヒカルよりも chelmico の曲の方が元気もらえる。宇多田ヒカルの曲にはこれまで関係における温かさやまっすぐさをたくさんわからせてもらったし何度も励まされた。ほんとに何度も。でも最近はなんかわからなくなり、曲を聴いても心が動かされなくなった。嫌いになったとかじゃない。元々わかってなかっただろうけど、はっきりわからなくなった感じがする。なんか深夜にイヤホンをつけて自己と向き合いながら聴く感じじゃなくなった。すっかり他人になってしまったような感覚だ(当たり前にもとから他人なのに、こう思う自分がこわいね)‪。まあ宇多田ヒカルもそういうことあるって歌詞に書いてたしそういう時期ってある。

 chelmico は “Easy Breezy” っていう映像研のオープニング曲をきっかけに好きになった。いまもその曲が一番好き。他の曲もそうだけど、曲がかっこよくて聴いてて楽しいし、歌詞も低温だけど愉快そうな感じだから、私なりに適当にがんばろうって思える。ありがたい存在。他の曲もいい。助かる。

1月21日 レスバ

 1月21日。晴れ。風が強い。だるい。生理。朝はゆで卵1個。昼は海鮮丼。夜は台湾まぜそば(冷凍食品)。自炊すらしたくないときの食事って大抵こうなる。海鮮丼は高カロリーだけどハンバーガーとかよりはマシだ。台湾まぜそばはレンジで温めただけで当たり前だけど温かくおいしい料理になるので、全く何もしてないわけじゃないという気分になれる。

 やることは半分ぐらいしかやってない。しかもTwitter上の戦いを数時間見ていた。終わりの人間。こないだ読み終わった『デジタル・ミニマリスト』という本は、アメリカの大統領選挙に関わるSNSのどよめきに疲れた人に向けて書かれた本で、私はそれを読んで、確かにな〜と思ったはずだった。

 強い言葉で言い合う様子は刺激が強いし、新たな情報が追加されて状況が刻々と変化していくし、それらの情報の信頼度は何だか数値化されていくように見える。そんなのを眺めてるのはパチンコをだらだらやってるのと同じなのだ。

 そんなことは本を読まなくても感覚として知っている。これは哲学者の思慮を尽くした発言に対して農民が「そんなことワタシがいつもの作業中に考えてることだね」と言い返すやつに近いし全くかっこいいことではないけど。

 それにしてもあまりにも見てしまうので、冷静になるために、途中から「Twitter上でレスバすること自体について私は観察して状況を整理している最中なのだ」と思うことにした。

 公開処刑というよりは終わりのない決闘を見せられているようだと思った。群と群の。

 彼らは観客がいる前提で、強い言葉を浴びせ合う。誰か(誰?)にわかってもらうために相手の卑怯さを指摘し続ける。相手の群を上手にからかってみせると認められる。群それぞれの結束は高まる。そういう行為には終わりが見えない。間を取るやつはサムくて嫌われる。

 こう書くと『紅の豚』みたいで、そのようにかわいければいいけど、現実に起きていることであり実際には何もかわいくないし面白くない。私はゴシップ的な特定の個人の本性とかには全員知らない人だし関心がない(運動の終わり方には関心ある)。でもざっくりした感想として一つ挙げると、「キチガイ」呼ばわりを批判とは呼べないと思うので、そういう方向の結論になると良くないと思った。

 これを感想と言ったけど私は判定をした気分でもある。全く関係ないし判定する必要もないのに、全部の情報を見て判定したいという衝動があり、私はそれに任せた。生理でイライラしてたのもあるけど。この、自分のなかで生まれた動きがとても原始的だと思った。

 なんで関係ない私が判定をしたがるのか。私にもまた特定のムラに属しているという想定があって、それを呼び起こそうとする意識が働いたためだと思う。ここで言うムラというのは空間的に存在するものではなくて、自分の積み上げてきた政治的な判断たちの総体だという気がする。

 それでもって、最近の自分がうまく正しく政治をやっていけてんのか、私は衝動的に今回のことを通じて点検しようと動いたのだ。争いによって地図が示されると、自分が今どこにあるのか位置付けやすくなるから。しかも時間の経過とともに状況が変化すると、位置付けも少し変わるかもしれない。学習のポイントが豊富にある。

 私は衝動的にこの学習によって社会での生存確率を高めようとしたんだろう。それはたとえば現実の人間が傷ついているのだからと思って理性的に終わらせられはしなかった。原始的な生存本能っぽい感じがした。こういうことをしてるとき本当に心拍数が上昇するし謎の活力が湧く。

 『みんな政治でバカになる』では終わりに、バカではなくドジになろうというようなことが書いてあった。生き方としてはそれを目指すのがよいと思うけど、思わず頭がそう動いてしまうのはどうしようもないように感じた。

 だから物理的に離れるしかない。今日は早くから用事とボランティアがあったお陰でシャットアウトできた。明日からも工夫しよう。

『プロミシング・ヤング・ウーマン』ではじめに流れる曲!

 今日の日記は大変長くなった。日によってムラがありすぎる。終わり。

Hunnybee

 11月8日。晴れ。朝はなし。昼は海鮮丼。夜は米とピーマンの塩昆布和えと大根の味噌汁。ピーマンのこれ、家庭科の教科書に載ってそうで好き。あとカブばかり褒めているが大根もいい味出している。匂いは少ないけど汁全体に大根なりの存在感がある。

 昨日の夜、久しぶりに音楽をアルバム通して聴いた。急に元気をなくしてしまったのでどうしようか、というときにそうして良かったと思う。聴いたのは Unknown Mortal Orchestra の『II』という2013年のアルバム。

 たぶん数年前に Hunnybee という曲が気に入ってそこから知った人たち。Hunnybee はボーカルの娘である Hunnybee に対して世界について語りかける歌。3000万回再生されてるし一番有名なんじゃないか。 “Age of paranoia” などという歌詞が淡々と流される。

 『II』というアルバムもスゲー盛り上がる曲というのは無く、展開が少なくて単調でつまらないといえばつまらない。でもトゲついた心がのっぺり均されていく感じがして良いんです。あとPVがかわいい割に、歌詞を読んでみたら悲しいことを歌ってるってことが多い。その差がまた悲しみとの向き合い方を静かにしてくれる感じもする。

 「悲しみともっと戦え、実存と向き合え!」という意見もありうるけど、大してそういう能力のない私がそれに挑んでも面白くないんだよな。できることをやろうとかいう結論にだいたいなるから、つまんないなとまた嫌になる。

 今日は安保の本を読み、催告状が来た年金を払い、ちょっと散歩して終わり。安保の本、知らない言葉が多すぎていつの間にか目が止まってることが多い。独学大全を読み直して元気を出して再開。まあ良し。