2月11日 腸

 2月11日。晴れ。神武天皇、即位おめでとう! 雪が昨日から降ってたけどそれほど積もってなかった。大通りは凍ってもなくて車の通らない細道は少し凍ってる部分もあった。屋根だけが白くなっている。朝はなし。昼はラーメン。夜は寿司。

よりより

 昨日はそういう薬を飲んだら腸がすべての行動を支配した1日だった。脳より腸の方が優位に立っていたと言っていい。しかしその翌日の今日はすこぶる調子が良くてうれしかった。私のこれまでのすべての不調や不機嫌は腸が動いていなかったからじゃないかという気さえした。窪塚洋介がやたら腸活を布教しはじめた理由がわかった。これは感動的だ。

 そういうわけで今日はやりたくなくてやや遠ざけていたこともやった。よかった。

 夜、キューブリック監督『シャイニング』(1980年)を観た。ポスターしか知らなくてその印象が強かったから、途中まであのポスターの状態に至るまでの過程として観てしまい、『100日後に死ぬワニ』みたいな楽しみ方になってしまった。

 でもそれで楽しかった。ホラー映画って素直に「こえ〜!」って思えるときとおかしくて笑っちゃうときがあるけど、今回は後者の方が多かった。この『シャイニング』が凄くて他で引用されまくってるから特に古さを感じやすいというのもありそうだ。恐れるべき鏡文字とか振り返ればいるとかでヘヘッと笑ってしまう。でも『2001年宇宙の旅』の時も思った気がするけど、部屋と音楽の組み合わせだけで最高に不気味だった。それはすごいことだ。あとオチが面白かった。時間の流れについてあんな感じで創作するの初めて見たような何遍も見たような。

 そんなところだな。

 あっ『タコピーの原罪』最新話は息継ぎ的な回だった。

 優しくて素直な兄が弟の心を解いてよかったけど、しずかちゃんには優しくて(?)素直なタコピーの声が響かないんだよな。そりゃそう。しずかちゃんは東京に行って、チャッピーはいないだろうけど、それからどうするんだろう。『天気の子』みたいな展開になるだろうか。1ページ4コマぐらいででっかい顔の表情と少しのセリフが出るだけなのに面白い。寧ろそれだからこそ、人によって何を読み取るかが多様だから話題として盛り上がってるんだろうか。私は引き続き、支配ー被支配の話として楽しみにしたい(前にも感想書いた)。

1月12日 『音楽』みた

 1月12日。晴れ(たぶん)。外出せず。朝はゆで卵。昼は海鮮丼。夜はサンドウィッチ2個。食欲のすごい一日だった。やる予定のことともう少しやった。今日はなんか楽しくやれた。

 『音楽』をアマプラで観た。この予告編、実際のと比べてテンポがはやすぎる。

 坂本慎太郎が主人公の声をやってると聞いて観た。70分ぐらいだった。独特の間で、絵自体がきわめてシンプルなのに、そのまま画面が全く動かないで3秒ぐらい無音、ってことが何度かあって、最初は通信状況が悪いのかと不安になった。

 大画面で観るよりは、パソコンで作業してる時とかに画面の右端で流れてると良さそうと思った。何回か観てるうちに良くなっていきそう。配信するからガンガン観ろ!という時代に、そういうものが作られて、坂本慎太郎が参加したことが嬉しい。

 先々月に Netflix を解約して、何も困らなかったし、寧ろ「解約したけど何も困らね〜」で得した気分になっている。

 そういう勢いを進めるために、この頃『デジタル・ミニマリスト』という本を読んでいる。30日スマホから必要ないアプリとかを消してみて、自分の生活に必要なものを吟味しよう!っていう。その提案を美化するために大事そうなフレーズとしては、「意図は利便性に勝るという信念に賭ける」というのだろうか。

 これは賭けたい。昨年から身の丈に合った生き方がしたいと思うようになったし、私はそういう価値観が好きなんだろう。好きといってもまだ取り込みとしてはペラく、体現できてない感覚がある。とりあえずやるべきことをやろうと思う。

感想『プロミシング・ヤング・ウーマン』

 また映画観てきた。

 直訳したら『有望な若い女性』。今回も内容にふれる。たぶんネタバレされるとかなり嫌な映画だと思う。でも内容にふれながら思ったことを書くことが私にとって良いからやる。

 幼馴染の親友の復讐のために主人公が全力を尽くす話。主人公と幼馴染は同じ医学部にいて、数年前に幼馴染が、医学部でのパーティーで薬を飲まされてレイプされて、噂にされて自殺した事実を中心に話が進む。主人公は幼馴染の看病のために医学部を中途退学をしたらしい。

 幼馴染は映像として一度も出てこないので、観客は出てくるキャラクターの語りによって幼馴染を想像するしかない。主人公は、ひょんなことから加害者だった人たちにアクセスする機会を得て、彼らを次々と見つけ出して当時のことを語らせる。

 ある女は「記憶を無くすぐらい酔っていたのが悪い」と言い、元友達は「死んだ彼女のためにならないから執着するな」と言う。ある男は「お前は潔白なのか」と逆ギレし、ある男は加害者側の弁護士として死ぬほど後悔している。様々ではあるけど、概ね主人公に敵対的だった。

 主人公は、かなり強気で攻撃力がある。まず予告編にも出てくるけど、酔っ払ったフリをした自分を男に “お持ち帰り” させて、説教して帰宅する。怖くないのか。しかも彼女はそれを達成するたびに正の字で記録していて、それが何ページにも及んでいた。

 他にも、下ネタを吹っかけてきた男を無言で見つめ続けたり、男の乗っている車のガラスを鉄アレイで破壊したり。スゲー。

 私も私のことを気が強い方だと思ってたけど、私は言い返したり毎日コツコツ記録したりするだけだ。主人公に比べたら全然ものたらない。私にはナメんなという気概が足りない。

 私のことはさておき、主人公の強さは一方で、不安の裏返しという感じもある。最近私が自分に対してそう思ってるからだろうけど、昔の傷に新しい傷をつけて “回復” しようとしているように見える。そんなことでは回復しない。でも彼女はそうせざるを得なかった。

 そういう主人公は、加害者の人たちの語りを聞くなかで、報復のためにぶん殴りも殺しもしない。策略でものすごく不安にはさせるけど。復讐の鬼という感じではなかった。後悔している男には「私があなたを許す」と言ったりもする。しかしある出来事をきっかけに、彼女は徹底的な復讐をめざし、死ぬ気で復讐し、死ぬけど、復讐もした。

  *

 この映画を観終わった後、怪物大暴れ映画を観たときみたいに、心臓がドクドクし、胃腸がソワソワし、指と足に力が入らなかった。

 まず男の腕力やべーっていう恐怖心だった。それに男が泣きながら暴力をふるうシーンや、暴力の始末をしてくれる男の友達と抱き合うシーンは、不快すぎてゾッとした。

 あと嫌な記憶も蘇った。私は父親から数度酔っ払った勢いで抱きつかれたことがあって、彼らが離婚するときに父親は離婚の理由を「セックスできなくなったからだ」と言ってきて、高校生の私は「そういうことだったのか」と “納得した” 。

 それで、復讐のことを考えた。よく「最大の復讐は、その人のことを忘れて幸せになることだ」と聞く。私は復讐したいと思うほど自分のことが大切ではなかったし、嫌なものについては考えないに限るわいと思って、その言葉を軽く受け止めてやってきた。

 この映画の主人公は、幼馴染のことが大切だったから、自分の命を懸けたんだろう。そこまでできる動力源がある彼女のすごさに胸打たれた。もちろん命を懸けるほど大切なものがある必要はない。そもそも何にしても命を懸けるべきではない。それでも、私にないものを彼女は持っていると思った。

 友達が同じ状況になったとして、私は何もしないではいられないけど、これは友達想いゆえというよりは自分の気質の問題で、だとすれば何もしないでいるべきなのだと思う。私は主人公と同じことはどうやってもできない。

 そういう自分に空虚さを感じるな。終わり。

感想『ラストナイト・イン・ソーホー』

 『ラストナイト・イン・ソーホー』を観た。いろいろ思ったけど観てよかった。音楽は激しくて良かったし、私は主人公のキャラクターに惹かれたし、つらい関係につらくなった。

 以下は、長いし、内容や結末に完全にふれるし、かなり主観的で自分のために都合のよいことを言っている。公式サイトはこれで、たぶん必要なことはそこに書いてある。あと予告編はこれ。

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 まず元日に観る映画として良かったか。暴力とかゾンビとかホラーとかの映画で元気が出る人ならきっと良いと思った(私は元気が出る)。あと「とにかく音楽を気持ちよく聞かせてくれ」っていう人も楽しいと思う。

 でも、アイデンティティをめぐる現代社会の諸問題に強い関心があり、その語り方は慎重であるべきだという人にとっては、元日からモヤモヤさせられて、嫌かもしれない。

 なぜかというと、この映画は、現代社会におけるそういう対立を面白くするためにふんだんに使っていると言われても仕方ない気がするから。

 都市ー郊外、文明ー未開、夢ー現実、女性ー男性、障害者ー健常者、人種、地域、スクールカースト、など、ポンポンポンポン出てくる。これらでもってどんどん話を揺さぶり、話のテンポを上げていく。そういうことに軽々しさを感じてショックを受ける人もいるだろう。

 それでも私は観てよかった。

 何より主人公のキャラクターがよかった。主人公はたぶん10代の女性。彼女は60年代ファッションが大好きで、ずっと憧れていたロンドンにある服飾の学校に合格したところから話が始まる(私はファッションには関心ないけど近代史が好きだし東京に来たかったので近さを感じた)。

 彼女は楽しそうだけど、どうやら母親が自殺したのをきっかけに、彼女の鏡に母親が映るようになっているようで、初めから不穏でもある。

 ロンドンに着いたら、寮の同室の女に嫌なことをされて、耐えなかった彼女は、すぐに屋根裏部屋に引っ越す。屋根裏部屋では、母親ではなく、サンディという女性が鏡に映るようになる。

 サンディは60年代に歌手をめざした女性のようだ。ロンドンのソーホーという地区で働き出したけど、思うように行かず、男性客と望まない性交渉を重ねていくようになる。その様子が断片的に、主人公の見る鏡に映るし、夢にも出てくる。

 この主人公は、鏡に映る憧れのサンディと現実の自分、夢と現実の違いにしょっちゅう混乱するようだ。そしてそれがとても苦しそうだった。だから、私は「統合失調症なのか‪な⋯」とか「60年代の女性について調べてかなり深めに共感してるのかな‪⋯」などと思わされる。

 彼女は、自分には “霊が見える力” があると言っているのだ。でもそれを聞いても私は彼女を信じられなかった。私は「できれば病院とか警察とかに関わってほしい‪⋯」と内心ハラハラして、公的機関に行ってくれる場面では正直ホッとする。そういう揺さぶられ方をした。

 話としては結局、本当に彼女に “力” があった。実際に彼女はそこにいる霊が見えていた。私にはその展開がすごく衝撃だったし、〈超能力ーなんかの症状〉っていうので揺さぶってくることは映画でしか出来なさそうで、その体験はとても面白かった。

 衝撃を受けた理由は私の方にもある。傾向として心配性だから、周りの環境に「大丈夫か?」と気にする時のエネルギーがひとしお強い。私はそれを弱めたいと強く思っている。で、その心配エネルギーが彼女に強く向けられたのを感じたので、のめりこまないブレーキとして、彼女を信じないという判断をしていたんだろう。

 観終わった直後は、私にはまだまだ気づいていない偏見があるのだろうなと反省モードになった。でも少し考えると、こういうブレーキが偏見を生むとしても、このブレーキはあったほうがいいんじゃないか。口に出すべきか出さないべきかの問題だなと思った。

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 もうひとつ惹かれたのが、最後の家主と主人公の対決だった。屋根裏部屋を貸してくれた家主がサンディだったのだ(ここで主人公の “力” がマジであるんやと分かる)。しかもサンディは、望まない性交渉をさせてきた男たちを、実は全員刺し殺して屋根裏部屋の床に埋めていた。だから警察と関わりを持ち始めた主人公を、サンディは薬で殺そうとする。

 しかし主人公はしぶとい。なんとか動ける主人公は、サンディに反撃するのではなく、むしろ罪を認めて生きていくように説得する。主人公はサンディに憧れていたし、生きていてほしいのだ。

 その説得の中で、主人公は「あなたは生きていくべきよ」的なことを言う。しかしサンディは「お前に私は救えない」と言う。そしてサンディは燃える家と一緒に死ぬことを決める。そして死ぬ。

 このやりとりがつらかった。それはそうなんだけど。他人の心に土足で踏み込んじゃいけない。サンディの意思は尊重されるべきだ。それはそう。

 でも私には受け入れがたい。サンディや主人公のどっちかに対してではなく、その状況に対して、そんなの悲しいだろうがッ!という怒りみたいな感情が湧く。

 まあ、主人公があの時できたことは「受け入れがたい」と言う態度を示し続けることだけだし、それをやった。だから主人公としてはこうでしかない。サンディも、ずっと罪を隠しながら生きてきたのを今更、ポッと出の若者のために変えたくはないだろう。

 分かる。とはいえ嫌だな、しかしどうしようもないな‪⋯というループに陥る。これは別に脱却とかできない。つらいなと思いながらやっていくしかない。やっていくしかないなーと思った。

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 長くなってしまった。感想って難しいんだよな。でも一番書きたかったことは書いた。もう眠いので終わり。明けましておめでとうございます。

 

BOOKOFF 『DUNE』

 10月19日。雨。気温が低いのでセーターをおろしてシャツと着る。自分自体がベースとして明るくないので寒いとみんな静かになるから寒いのが好きなのかもしれない。元気であるだけの人から元気をもらうことってそんなにない。

 昼ごはんは茹で卵2個。夜にハンバーガーを食べる予定があって、そういうときは前後の食事を控えるものらしく、控えてみた。茹で卵2個。しばらく養生してたので十分。でも葉物とかも食べるべきだったかも。夜ごはんはバーガーキングでハンバーガー。照り焼きバーガーがモスバーガーより美味しい。肉は食べ応えがあるほうがいい感じがした。

 起きたら17時ぐらいまでは勉強してた。そのあと出かけて移動。BOOKOFF行った。BOOKOFFってすばらしい。最近まで立ち読みを禁止してたこともあるのか人も少なくて良い。北村紗衣『批評の教室』はジュンク堂で見たばっかりだったので後ろめたかった。しかし無職にとって節約は必要。他のもお得だった。

 グランドシネマサンシャインで『DUNE』みた。知らないけど、この原作の映画化にいろんな監督が挑戦したらしい。私は今回のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のだけ観た。IMAXで観てよかった。かっこいいマシンを見せる時には大画面、きれいな砂漠の風景を見せる時には横長、みたいな使い分けが頻繁になされていて、そういう、統一感を大事にするよりもかっこいいものをよりかっこよく見せたいっていうの良いなって思った。私もそうありたい。

 あとどうでもいいけど、装飾須恵器とか好きそう。ヴィルヌーヴ監督に見てほしい。当然知ってるだろうか。マシンの形がちょっと面白いんだよな。とにかくよかった。観終わったあと雨は止んでたのでしゃべりながら歩いて帰った。映画を観た後はあっさり眠れる。

サーモン すばらしき世界

 9月24日。晴れ。朝はフルグラ。昼はサーモンとバジルとチーズをパンに載せたやつ。夜はサイゼリヤと葡萄。昼ごはんが驚きで、サーモンとバジルとチーズとオリーブオイルで不味くなることなんてないだろと思ったのに、全然おいしくなくて、料理ってすごい、有名で安牌とされている組み合わせにもおいしくするための工夫の歴史が蓄積されてきてるんだな、と思った。たぶんパンとかチーズの種類とか、サーモンの切り方とか、全部間違えてたんだと思う。

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 伊豆錦という葡萄。巨峰っぽい味。説明書によると「巨峰にマスカットオブアレキサンドリア系の品種をダブルで重ね交配」したものらしい。皮が昨日のより渋いけど私としては親しみがある。おいしかった。

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 今日は久しく会ってなかった知人が、長いこと誰にも会っておらず友達もおらず経済的に厳しく元々厳しい事情がより複雑になったというので激しく落ち込んでいるようだったので、必要火急と判断して会ってきたし食事もしてきた。

言い訳がましくダラダラ説明するのは、こういう状況においてどう判断すべきか微妙だと思ってるから。全く人と接触しなくなることで追い詰められる人にとって、平気で家に引きこもれる環境にあるような私は、彼らを排除しているように見えるし、見えるなら排除してることになるなという。そして排除はよくないが感染リスクを高めるのもよくない。

 まあこのこと自体は前からぼんやり思ってたんだけど、感染の拡大もすごいし、こういった話は避けたほうが無難だなと思っていた。それに「またうるせー細かい配慮の話かよ」みたいな反応を感じたら私が傷つくし嫌だし。すべて保身。でも今回かなり大変そうな様子を見て、とりあえず言及はしておきたくなったし、これからは私にできることはしたい、打ったし、打ったからって大丈夫じゃないらしいけど、打ったし、という気持ちになった。

 うるせー細かい配慮の話がつづくのですが、西川美和監督の『すばらしき世界』という映画がある。“更正”しようとする主人公のために、家族でないような(たとえば近所のスーパーの店長さんなど)いろいろな立場の人間がその立場でできることをやっていく話だった。

 私はそういうことに関心がすごくあるので、映画をみながら節々でボロボロ泣いてしまったんだけど、あのすばらしき世界をつくるのは今の状況ではより難しいし、今やるなら彼らとはまた違った決断がないといけないんだろうと思った。最近「できることをやる」ってのが流行ってる気がしてて、何かに陥ってそうとも思うんだけど、でもやっぱりすばらしき世界のためにできることをやりたいな。

カブ レジ

 9月13日。晴れ。クーラーつける。朝はフルグラ。昼は冷食のつけ麺。夜は米とネギの味噌汁と野菜炒め。カブやっぱりおいしい。口の中でホロ・・と溶けてくれる。食べた者の心をいやす。

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 土日にゆっくり落ち着いてピザとか食べながら考えて、人生のことを真面目に考えてこなかったのが不安になってきてたなと思った。就職活動とかじゃなくて生きて死ぬことについて。だから『最高の人生の見つけ方』とか『イエスマン』とか観たけど、みんな問題が解決したわけじゃなくてどこかの機会でただ割り切ってるだけなんだなと思った。あと今日は就職活動が少し進んだことを知らされて元気が出たし、私は労働してるほうがいいんだろうなとも思った。

 今日食料の買い出しに行ったらレジの人が明らかに会計を適当に言っているのに気づいてニヤッとした。違うけど3571円なのを7351円って感じで。お釣りも。レジが勝手に精算してくれるし読み上げる理由が店員さんにないんだろうな。

 それで今思い出したけど、なんか最低賃金が上がると人を雇うよりはレジとか機械のレベルが上がって店員さんがいらなくなるらしい。だから何らかのスキルのない人の働く場所がじわじわ減っていくらしい。

 でもそういう話を知ってたとして、私がやることといえば友達などに教えるとかこうやって公開で日記を書くとかそういうぐらいしかない。気楽な店員さんをいいなー、と思いながら帰ってきたのに持ち帰って日記に書くとショボけてくる。でも元気になってきたからできることを増やしていきたいと思う。

AI ミッドサマー

 9月10日。晴れ。朝はなし。昼はケンタッキーの月見サンド。夜は海鮮丼。一切料理しなかったけど仕方ない。あんなにゴチャゴチャ言っていたUber Eatsを再開した。ケンタッキーのやつはそうでもなく、ドリンクで頼んだ(やけになってドリンクまで頼んだ)レモネードが一番おいしかった。

 昨夜はグッと辛くなって大変だった。本来ならベイマックスがいてほしいけどいないので、東京都がやってるAIに相談するやつ(こころコンディショナーというの)をやってみたりした。私がまじめに書き込んだら、即座に「ふむふむ。」「辛かったんですね。」とかいう返事が返ってくる。まだ出来立てなのか、書いた内容に反応してるわけではなさそうだった。私自身が傾聴ボランティアに類するものをやってたこともあり、こういう簡単なことをされても「あー、はい」以上にはならない。嫌なやつだな。そう思うと、相手を不快にさせたかもしれないからAIでよかった。

 起きたら気象予報士の人が頭に太陽の被りものをしていたので洗濯。洗濯物が早く乾くだけの天気だったので散歩には行けなかった。やることは少なくしてたのでやれた。それが終わったら元気を出すぞと思ってNetflixを探してたのにミッドサマーを観た。結果として元気が出たのでよかった。お花がおもしろかった。

 ここだけのネタバレありの感想ですが、ミッドサマー、狂気でしょっていうポイントにうまく乗れなくて、セックスのシーンは分かりやすく、若者じゃない女性の体のことを不気味だと思ってませんか?!って思えて嫌だった。あと原始宗教っぽさを繰り返し見せてくるのに、村人の見た目がほとんど現代なのに違和感があったのかも。なんか強烈に見下してる印象を受けた。筋としては主人公の救済の物語で、その展開も、RADWIMPSの「五月の蝿」みたいで私にはだめだった。笑いながら観たし、考察を読んで気づかなかった部分もあったけど、また観たい感じではない。

 夜KREVAの新しいアルバムを聴いたらまっすぐひたむきで眩しかった。こんな状況でこんなこと言える人いるんだなって。朝聴いてたら受け入れられなかったと思うけど夜だったのでよかった。

映画 長い日 メダル

朝はなし。昼は卵かけご飯と納豆。夜は米と野沢菜のせ豆腐とコンソメスープと鶏の照焼き。昨日ほどには気力なし。きれいな自然光のチャンスも逃した。コンソメスープのために人参と玉ねぎを微塵切りにしたとき、細長くてあと一切り足りないなと思ったんだけど、どうすればいいか分からないしそのままにした。上達しないのはこういうのの積み重ねだと思う。

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 昼ごはんを食べながら劇場版3Dの『あたしンち 情熱のちょ~超能力♪母大暴走!』。43分。いつもの20分アニメの2個分だった。母と娘の話が中心だったけど、その関係のことが気になる人にも観てほしいとは思わなかった。でもファンとしてやはり母はかわいかった。私は母が動いてるとうれしい。

 夜は夜ごはんを食べながら岡本喜八監督のほうの『日本のいちばん長い日』を観た。人が死ぬ場面も多いし、これを観ながら食事するのは良くなかったかもしれない。でも「原作読んでるからいいもんね」と思って観てなかったのを後悔するような素晴らしい映画だった。本で読んでると当たり前に何も同情できないだけだったけど、映画で観ると、演技などに圧倒されて同情できない感覚が増幅するのと同時に、「そういうことだったのか」と分からせられる感じがする。

友達にいろいろ話してたら「下品と愛嬌は紙一重だって」といわれて納得のあまりちょっと手が止まった。私は愛嬌で許されようとする権力をもった人間のことが嫌で、それですぐ品性とかの規範を持ち出すし、そして自分にも内面化しているんだと思う。突然メダルをかじった市長とか、あれが私の嫌いな人の分かりやすい例だといえそう。なるほどな、と思ったけどそれが嫌なのの何がだめかまでは分からなかった。今後の研究を俟ちたい。