1月15日 散歩した

 1月15日。晴れ。共通テストの試験会場で誰かが刺されたらしい。事情は何もわからない。昨日ほどじゃないけど風が強い。私の判断で土曜は休みではない。やることが多くて、15時ごろに眠くてどうしようもなくなったので散歩に出かけた。

 東京の私が住んでいる辺りは、色々なほっそい道が残ってる上に、私自身が通ったことある道をほとんど覚えてられないおかげで、散歩するたび何か違って感じられる。

 今日は歩道橋の上から車を眺めたい気分だったので、だらだら歩きながら歩道橋を探した。歩道橋から車を眺めてると川を眺めてる気分に近くなる。

 でも「みんな移動してんな〜」と思えるのが車を眺める時のいいことかも。歩いてはついていけないけど光と比べたらまるで遅い速度で移動しているのを見る。人間がさまざまな選択をしているし、全員あと100年以内に死ぬ、ということを思う。

 あとは何もない。本とかブログとかを読んでいた。もう少しやることやったら寝る。

タワー

 12月8日。早めに起きて11時に御成門駅。急に昨夜22時ごろになって友人が西日本からやってきたので、昨日も会い今日も会うことになった。昨日は血眼だったので非常に心配したけど今日は血眼ではなかった。それでも一応ほんとに大丈夫なのか心配すると「こっちが来ようと思って来てんだから」って私のそういううるささを咎められたため、確かにそうだなと思った。

 その友人の提案で東京タワーに行くことになった。平日午前中でしかも雨だからなのか、ほとんどお客がいなかった。着いていきなり見かけた修学旅行生っぽい6人ぐらいの高校生はきわめて険悪な雰囲気で座り込んでいた。展望台で見かけたお客も多めに見ても20人もいなかった。私にとってはありがたい状況だけど、観光地としては寂しい印象だった。

 そういう中でもそこで仕事する人はいっぱいおり、エレベーターで一緒に上ってくれる人、説明をしてくれる人、お茶をくれる人、写真を撮る人、エレベーターで一緒に下りてくれる人が全部ちがった。正直大丈夫なのかと思った。まあ偶然のお客のいなさによって、仕組みの働きがむき出しになっていただけかもな。

 トップデッキで景色を見る。曇りのほうが眺めてても疲れないから好き。色が少ない、まとわりつくものも少ない。友人はかつて激しく働いていたビルにどのように通い、何階で苦しみ、何駅で泣いたかというような話をしていた。

 私はそういう話をする用意がなかった。無理に思い出して間違えるのもどうかと思い、無関係の街づくりゲームの話を切り出し、下の写真でいうと右下の五叉路はゲームでは絶対混むけど混んでないのはなぜ⋯とか、公園の配置が住宅街付近じゃないのは歴史的経緯なんだろうけど、偉人の住宅地付近がなぜ今住宅地ではないんだ⋯、とか気になることを話した。

 自分の知ってることを適当に使って話し合うのは楽しい。そして私の知らない世界をもとにして同じぐらい適当に言い返されると嬉しいしありがたい。友人は土地を転がすとかについての知識があって、そこら辺をもとに話してくれた。

 楽しかった。楽しかったとかわざわざ書くのもいやらしいとか心の中から聞こえてきてしまうんだけど、そういう声は自分からのものではないとしたい気分だし、別に「大放言」といった内容ではないと思うのでいいとする。おやすみ。

目白

朝 ささみ等
昼 ケーキ(堪え難き)を堪え、コーヒー
夜 おしゃれなブリ大根ほか

 11月23日。晴れ。誕生日を祝ってもらった。いま酒気帯びで、ご機嫌で日記を書いている。夜にはおしゃれなビストロに行ったが、その前は目白の周りをうろちょろした。

鬼子母神

 鬼子母神には巨大なイチョウの木があって、それから散る葉によって辺りが絨毯になっていて綺麗だった。そういう中で、七五三の子供たちが駆け回って追いかけられており、教科書で学ぶ日本的風景という様子だった。岩崎ちひろさんの絵みたいな。

 それにしても釈迦に感化されたインドの神を祀る御堂(つまり寺)というのはややこしい。どうでもいいんだろうなと思う。

壊されたアパート

 壊された建物がそのままになっている様子が好き。父親が・家父長制が憎いからか、とかいう風に気にし出すと鬱陶しくなるから、見てるだけで心安らぐことが何より重要だと思うことにする。

 これを見たあとシーシャというものを初めて吸ってきた。イメージだけ膨らんでいたので案外こんなものかと思ったし、人と会話しなくて済むから楽な人には楽なんだろうな、とか思った。また行きたくはない。香りのするものを吸って吐くだけで一人1500円なんてアホくさい。

目白庭園

 目白庭園。Googleマップを見てたらたまたま歩いている方向にあったから行ってみた。穴場っぽい紅葉スポットだった。入場無料にしては人が少なかったと思う。ちんまりした庭園ではあったけど一周していたらスッと気分が良くなるような感じだった。

 一周してると下の写真みたいな、嘘の花がちらほらあった。なんでそんなことするんだろうと思ったけど、他のものの様子を見るに、近所の子供たちのアイディアなのかもしれない。了解。

目白庭園の発泡スチロールの花
目白庭園のプラスチックの花

 こういう感じで散歩していたら、夕暮れどきになり、それでもぼんやり歩いていたら、自転車に乗った女性から急に「あそこ富士山が見えるわよ!」と言われ、自転車に乗った女性を私は走って追いかける流れになった。

 それでしばらく走って追いかけたけど、着いたところで「やっぱり曇ってるから見えなかったわ」「ほんとはこの時間にこの店の前で見えるんだけど」と言われ、去っていかれた。

 なんだったんだと思うが、私もついていったんだからかなりお互い様だと思う。昨日の面接もそうだけど、私は急にノリが良くなる時がある。考える時間がないとついていってしまう。まあ人間そういうものかもしれない。

 そのあとビストロに行った。思えば2015年にフランス旅行に行ったあと、東京に帰ってもビストロとか行ってみたいってはしゃいでいたのに、結局本日に至るまで行かなかった。ビストロは料理の間が遅いから、あんまり食べなくても喋ってればいいし、ビストロだから威圧感とかあんまりないし、楽しかった。

 このようにして一生が終わってほしいと思った。

お湯

朝 バナナ
昼 うどん
夜 うどんとおにぎり

 11月18日。曇り。今日は休む。起きてバナナ食べて筋トレ。背中の汗かくやつはやらない。プロテインあるけど不味くて飲まない。

 外出。1時間ぐらい近所を散歩。都市のお買い物ゾーンにいるとお買い物しなければならない気がしてきて、嫌なので、お買い物ゾーンを避けて歩く。避けて歩いてるうちに首都高のそばに着くことが多い。首都高って脈っぽいし龍っぽいしかっこいい。

 歩くの飽きたら喫茶店。隣の隣に座っている若者ふたりが政治談義している中で『みんな政治でバカになる』を読み終わった。「」とか引用が多いけど、引用された文章は面白いし、『差別は〜』とか雑誌記事を読んでいたこともあり、内容はつかみやすかった。正直タイトルで一瞬買うのためらったけど、文章はずっと丁寧だった。

 主旨は、左派・右派などがそれぞれ作っている「道徳部族」の対立がどのように生まれていて、それをどのように乗り越えていくか、というところではないかと思う。

 私は最近、SNS上での政治運動などをどう把握して、どう関わっていったらいいのか不安でイラついていたんだけど、それに対してひとつ、人をバカにしない形での軸をもらえた気がする。“バカの居直りでもなく、シニカルな冷笑主義でもない” 態度をめざすこと。勉強になるだけじゃなく、気持ちとしても読んでよかった。

 夜はファミレスで雑炊を食べようとした。ドリンクバーも頼み、お湯を飲みながら、前の道路が揺れると店も揺れて、それがいいわねとかってしみじみ楽しんでいた。

 でも1時間待っても雑炊が来なくて、聞いてみたら注文が通ってなかったので、もう待てない気がして、キャンセルして帰ってきた。なんかすごく深々とお辞儀されて、大丈夫っす大丈夫っすと言って、店員さんにさりげなく出口まで誘導され、出てきた。しかし空腹でたまらない。それでコンビニに行ったにしては理性的な食事だった(うどんとおにぎり)。

 明日は家で過ごす。

赤坂見附

 きのう赤坂見附に行ってきた。前回の大森に引き続いて、降りたことないところで降りる。赤坂では東京03のライブを見るために降りたことがあるけど見附にはない。見附っていうのは江戸城の護衛のために悪いやつを見つける場所だったということらしい(ざっくり)。13時〜17時ごろに行った。

 以下行った順。

 弁慶堀。寛永年間(1624~44)に弁慶小左衛門という人が開削したから弁慶堀。地下鉄のCかDの出口から出たら最初にこの弁慶堀が見える。ミドリムシみたいな形の堀で、釣りをしてる人や小舟に乗っている人がいた。これがよかった。駅から出た瞬間にこの光景が見えると、別の場所に来た感じがしてうれしかった。

 次に大久保公哀悼碑。大久保利通は西郷隆盛と仲良しだったけど立場の違いでうまく行かなくなり、西郷が西南戦争で死んだあと恨まれて殺されたことで有名(ざっくり)。石碑は清水谷公園にあり、いろんな人がベンチでだべっていた。公園は植物が多くて、虫もそれに合わせてたくさんいた。なんかこのあたりの公園としては意外な感じだった。

でいご
でかかった

 石碑を見てたら優しそうな高齢男性に話しかけられ、この辺りで大久保が殺された話を教えてくれた。知ってるから来たのだが‪⋯とか思ったけど、怒らなければ、という気分にならず、知ってる感じは出しながらも、ヘラヘラ聞いた。

 気が済んだっぽく黙り込まれたところで立ち去ったんだけど、去る際に入れ違いで、綺麗なスーツを着た恰幅のよい政治家っぽい人とお付きの二人が、哀悼碑の方に向かっていった。大久保利通に思い入れがある人っていっぱいいるんだな。

 紀尾井坂。大久保利通がまさに殺された場所。けっこう急。いま検索したら紀尾井坂のプロフィールが出てきた。このプロフィールによると緩やからしい。

上り
下り

 赤坂離宮の周り。赤坂離宮の中には予約なしで行ってみたけど混んでたので断念。しかし周りは周りで、太くてでかい木と紅葉が綺麗だったので歩いてよかった。1周3.3km。護衛官が一定間隔で立っていて、でかい棒を持っているけど、挨拶してくれたりして丁寧だった。

 途中で、お上品な高齢女性に話しかけられ、「向こうに大声を出して怒鳴ってくる人がいるの」「私びっくりしちゃったからあなたも気をつけて」と教えてくれた。なんて親切なんだと感動してたら、その後見つけたのは天皇制反対を叫んでる男性だった。

 確かに怒鳴ってくる感じはあったけど、私の住む辺りだとこういう人はまあ見かけるなあと思った。何にせよあの女性は親切だったんだけど、区切れを感じもした。

正門

 旧大日本帝国陸軍第1師団司令部跡。第1師団は2・26事件を起こした中心人物たちがいたとこであり、レイテ島を戦った人たちがいたとこ。こう言うと仰々しいけど今は普通に公園だしそういう石碑もない。少し疲れたので休んだ。地面が平らでなくゴツゴツしていてうれしかった。公園で何言ってんだって感じだけど、整備されてないものに安心を感じる日だった。

 高橋是清翁記念公園。高橋是清はさっきの2・26事件で殺された人。さっきの公園から徒歩10分だし、大義を掲げたわりにやってることショボいなと思った。公園は緑が多くて虫も多いんだけど静かでよかった。この辺りの公園いい。

盛り土もしてあってかなり高いとこにいた

 途中で見かけたもの。人いなくて歩いてるの気分よかった。

半地下
坂が急に上がるの好き
広いのに使えない駐車場

 乃木神社。乃木希典が明治天皇が崩御したのに合わせて自刃した自宅の隣にある。乃木希典が自刃したことで幽霊坂だったのが乃木坂になったらしい。幽霊坂がよかった。結婚式をやってたようで、雅楽の越天楽今様が流れてきてお得だった。立ち止まって聴きながらもう疲れたなと思った。

若者が多かった

 でかい鳥。帰る。

 前回より長く居たので長くなってしまった。大森に比べて前から関心のあったところも多かったし。そのぶん自分の関心に即しすぎていてぶらつき感が足りなかった気もする。

『東京都の歴史散歩 中 山手』p.218より(山川出版社、2005年)

 終わり。

かむかむレモン

 11月2日。晴れ。ぬるい日。目覚めた直後に昨日またお祈りメールが来たことをまず思い出し落ち込む。そこそこ準備したのに。ということは、時間をこんなにもかけて、私にはこの職が向いていないという事実がわかっただけなのか。的なゾーンにガクッと入り込んでしまい、天気がよくてよい日差しも入ってきたのに今日はだめだった。

 朝はなし。昼はパン。夜は海鮮丼。自炊したかったのにしなかった。おやつとしてかむかむレモンを食べ、大好きなかむかむレモンですらなんか不味い気がする。うますっぱくなかった。

 今日は夜までずっと落ち込んでいた。自己批判する。昨日は選挙に関して自分が入れた政党も含めて思ったことを書いた。それでもってそれなりに私のポジションが明確になったから、それについての否定から始まった。床屋政談に過ぎないとかそういうので。やっぱり自分が表明することの自分への影響ってものすごい。

 昔『ブログを続けるコツは誰にも話を聞いてもらえない状態を作ること』ってのをTwitterで見て面白かった。ほんとそうだと思う。

 私は普段からなんでも話したいことを人に話すというよりは、会話の相手と話したいことを選びがちなので(それで国と死の話になるのか…)、支持政党の話とかって人に話してほしいと思わないから、話題として選ばない。だからそういうことを書き直しながら書くのは、社会にとって価値がないとはいえ、それなりに良い体験だったと思う。自分が何を分かってないのか分かるし。

 夜にはボランティアに行った。ボランティアの予定があって本当に助かったと思う。体を動かすことができるし、優しい人たちと健康な感じで関わることができる。

 ボランティアから帰るとき、安い骨伝導イヤホンから「未来は俺等の手の中」が流れてきて、気温も少し下がっていて電車とか自動車の車輪がすべる音と混ざり合っていたし、実に未来は俺等の手の中であることだなあ…という気分になってきた。

 すぐ帰れるのにしばらく散歩して帰ってきた。だから今は少し元気。落ち込んだときに自己批判するのであれば、いきなり外に出かけよう。冬になるのだし。

大森

 10月24日。昨日の面接でくっついてきた心によくない部分を削ぎ落とすために大森駅に行くことにした。大森駅に行ったことがないから良いと思った。結果として地図の赤丸のところにだけ行ってきた。Google Mapによるとルアンから鈴ヶ森刑場跡の距離は徒歩18分しかないらしいけど、チンタラし、この範囲で2時間ぐらい潰した。14時過ぎから16時過ぎ。

 以下行った順。

 喫茶店ルアン。なぜか星がついていたので来てみた。アイリッシュ・コーヒーというのを頼む。Wikipediaによると、ウイスキーをベースにしたカクテルで、コーヒーと砂糖と生クリームを混ぜたホットドリンクらしい。そんなことは知らず、とにかく知らんものを注文したい気分だったのでそれを注文したら、ウイスキーを温めてくれる際、温める火のようすを見せてくれるために喫茶店の電気を消してくれて、つまりそれは他のお客さんたちの電気も消えるということなので、どぎまぎした。

 それはさておき、飲んだらじんわり喉から熱くなってくる。コーヒーよりウイスキーのほうが味が強かった。当たり前かも。味って何。ハリポタに出てきたバタービールってこういうことかな。寒さ対策の飲み物でもあるらしいし18時ごろに頼んだらより良かっただろうな。というようなことを思った。最後には美味しかった気がした。これぐらいの量でアルコールが入るとちょうど良いのかも。

 大森貝塚遺跡庭園。親子でいっぱいの公園であり、貝塚を見にくるような人間はいなかったから不審者のような動きを取らないように気をつけた。でも奥(③のとこ)にある石碑の写真を撮っていたら、ドングリを探して迷い込んできた子供に明らかにギョッと硬直されてしまった。しかも貝塚自体は「範囲が指定されている‪⋯」としか思えなかった。何しに来たんだ。

 大森貝墟の石碑。こっちの方が有名なんだけど、実はこれはモースに付き添ってた人が発見場所を間違えて言った結果できた石碑らしい。でも、石碑がつくられる段階でその人は「よくわかんないけど‪⋯」という感じだったらしく、それで建てられて違うじゃないかとまで言われるのは可哀想だなと思った。

 それにしても違うのなら撤去すれば良いと思うんだけど、いろんな本に載っちゃってるから気まずいんだろうか。もしくはこの石碑のために変な形の土地が残されたから何か大人の事情で引くに引けないんだろうか。この石碑のために建物と建物の間の細い道を通ったんだけど、きれいな砂利道にしてあったし、階段もいっぱいあった。しかしいろいろ思い出すと本物の貝塚跡よりもこっちのほうが楽しかった気がするし、私は近代のほうが好きだな。

 鈴ヶ森刑場跡。八百屋お七とかが死刑にされたことで有名な場所。八百屋お七は恋人に会いたくて放火した罪で処刑された人。放火は良くないしそういう人って嫌い。でもそれについて放火してまで人間に会いたいと思ったことがないコンプレックスだろうとか言われる方が嫌い。ここは検索したら心霊スポットとして出てくるみたい。狭い範囲にいろいろな石碑が建ってたし、お線香も焚かれてた。隣の寺の人がやられてるんだろうな。

 最後。鈴ヶ森刑場跡に向かうときの道が良かった。首都高があると何故か安心する。

 行ってよかった。自分の身体感覚を取り戻せたような気がする。大森には他にもいろいろ史跡があるっぽく、全然見られなかったのでまた行きたい。終わりです。

 追記(2021/10/25) 大森貝塚遺跡庭園は品川区で1929年につくられ、大森貝墟跡は大田区で1930年につくられたらしい。あと、鈴ヶ森刑場跡について、打首の場合は伝馬町で執行されたのち鈴ヶ森に晒されていて、磔・火刑の場合は市中引き回しの上で鈴ヶ森刑場で執行されていたらしい。(参考 東京都歴史教育研究会編『東京都の歴史散歩 中 山手』山川出版社、2005年)

夢 便器 体温計

 9月8日。曇り時々雨。朝はなし。昼は米と卵・玉葱炒めと納豆。夜は米と煮物と納豆とキャベツの味噌汁。キャベツの味噌汁は生姜を入れるとよかったことを思い出した。

 夢で、もういない人からエレベーターに入るように手招きされて、中でただ自分の近況をしゃべった。私は愚痴っぽくしゃべったけどその人は笑って聞いてくれていた。何か言われたかもしれないが覚えていない。とにかく話ができて安心した。目が覚めたあとは、悲しくてなんか起き上がれなかった。夢以上に嬉しくなれることってこのあとあるんだろうか。しばらく感傷にひたった。

 昼は散歩。便器が10個ぐらい放置されている場所を発見。あんまりまじまじ見ると嫌な気持ちになるかもしれないので、そこを起点にして帰ってきた。あとはいつも通りやることをやった。本の出張買取の予約もやった。もっとがんばればもっと処分できそうだったけど急に面倒くさくなってガムテープで閉じてしまった。

 昨日ちょっと体調が悪かったので検温をしたんだけど、自分の体調不良がいちいち社会に影響を与えるかもしれないの、仕方ないけど嫌だなと思った。こんなことになる前から病気になって病院に行けば病人として記録されていただろうけど、今はそれだけじゃなくて感染したら私の今までの生活態度を遡って表明しなきゃいけないんだろうし、瑕疵があったら怒られるのかもしれない。散歩で便器見てるんじゃないよとか。そういう想像がめぐるので気が重い。こんなに体温計をドキドキしながら挟むこと今までなかった。早く終わってほしい、こういうの。