赤坂見附

 きのう赤坂見附に行ってきた。前回の大森に引き続いて、降りたことないところで降りる。赤坂では東京03のライブを見るために降りたことがあるけど見附にはない。見附っていうのは江戸城の護衛のために悪いやつを見つける場所だったということらしい(ざっくり)。13時〜17時ごろに行った。

 以下行った順。

 弁慶堀。寛永年間(1624~44)に弁慶小左衛門という人が開削したから弁慶堀。地下鉄のCかDの出口から出たら最初にこの弁慶堀が見える。ミドリムシみたいな形の堀で、釣りをしてる人や小舟に乗っている人がいた。これがよかった。駅から出た瞬間にこの光景が見えると、別の場所に来た感じがしてうれしかった。

 次に大久保公哀悼碑。大久保利通は西郷隆盛と仲良しだったけど立場の違いでうまく行かなくなり、西郷が西南戦争で死んだあと恨まれて殺されたことで有名(ざっくり)。石碑は清水谷公園にあり、いろんな人がベンチでだべっていた。公園は植物が多くて、虫もそれに合わせてたくさんいた。なんかこのあたりの公園としては意外な感じだった。

でいご
でかかった

 石碑を見てたら優しそうな高齢男性に話しかけられ、この辺りで大久保が殺された話を教えてくれた。知ってるから来たのだが‪⋯とか思ったけど、怒らなければ、という気分にならず、知ってる感じは出しながらも、ヘラヘラ聞いた。

 気が済んだっぽく黙り込まれたところで立ち去ったんだけど、去る際に入れ違いで、綺麗なスーツを着た恰幅のよい政治家っぽい人とお付きの二人が、哀悼碑の方に向かっていった。大久保利通に思い入れがある人っていっぱいいるんだな。

 紀尾井坂。大久保利通がまさに殺された場所。けっこう急。いま検索したら紀尾井坂のプロフィールが出てきた。このプロフィールによると緩やからしい。

上り
下り

 赤坂離宮の周り。赤坂離宮の中には予約なしで行ってみたけど混んでたので断念。しかし周りは周りで、太くてでかい木と紅葉が綺麗だったので歩いてよかった。1周3.3km。護衛官が一定間隔で立っていて、でかい棒を持っているけど、挨拶してくれたりして丁寧だった。

 途中で、お上品な高齢女性に話しかけられ、「向こうに大声を出して怒鳴ってくる人がいるの」「私びっくりしちゃったからあなたも気をつけて」と教えてくれた。なんて親切なんだと感動してたら、その後見つけたのは天皇制反対を叫んでる男性だった。

 確かに怒鳴ってくる感じはあったけど、私の住む辺りだとこういう人はまあ見かけるなあと思った。何にせよあの女性は親切だったんだけど、区切れを感じもした。

正門

 旧大日本帝国陸軍第1師団司令部跡。第1師団は2・26事件を起こした中心人物たちがいたとこであり、レイテ島を戦った人たちがいたとこ。こう言うと仰々しいけど今は普通に公園だしそういう石碑もない。少し疲れたので休んだ。地面が平らでなくゴツゴツしていてうれしかった。公園で何言ってんだって感じだけど、整備されてないものに安心を感じる日だった。

 高橋是清翁記念公園。高橋是清はさっきの2・26事件で殺された人。さっきの公園から徒歩10分だし、大義を掲げたわりにやってることショボいなと思った。公園は緑が多くて虫も多いんだけど静かでよかった。この辺りの公園いい。

盛り土もしてあってかなり高いとこにいた

 途中で見かけたもの。人いなくて歩いてるの気分よかった。

半地下
坂が急に上がるの好き
広いのに使えない駐車場

 乃木神社。乃木希典が明治天皇が崩御したのに合わせて自刃した自宅の隣にある。乃木希典が自刃したことで幽霊坂だったのが乃木坂になったらしい。幽霊坂がよかった。結婚式をやってたようで、雅楽の越天楽今様が流れてきてお得だった。立ち止まって聴きながらもう疲れたなと思った。

若者が多かった

 でかい鳥。帰る。

 前回より長く居たので長くなってしまった。大森に比べて前から関心のあったところも多かったし。そのぶん自分の関心に即しすぎていてぶらつき感が足りなかった気もする。

『東京都の歴史散歩 中 山手』p.218より(山川出版社、2005年)

 終わり。

大森

 10月24日。昨日の面接でくっついてきた心によくない部分を削ぎ落とすために大森駅に行くことにした。大森駅に行ったことがないから良いと思った。結果として地図の赤丸のところにだけ行ってきた。Google Mapによるとルアンから鈴ヶ森刑場跡の距離は徒歩18分しかないらしいけど、チンタラし、この範囲で2時間ぐらい潰した。14時過ぎから16時過ぎ。

 以下行った順。

 喫茶店ルアン。なぜか星がついていたので来てみた。アイリッシュ・コーヒーというのを頼む。Wikipediaによると、ウイスキーをベースにしたカクテルで、コーヒーと砂糖と生クリームを混ぜたホットドリンクらしい。そんなことは知らず、とにかく知らんものを注文したい気分だったのでそれを注文したら、ウイスキーを温めてくれる際、温める火のようすを見せてくれるために喫茶店の電気を消してくれて、つまりそれは他のお客さんたちの電気も消えるということなので、どぎまぎした。

 それはさておき、飲んだらじんわり喉から熱くなってくる。コーヒーよりウイスキーのほうが味が強かった。当たり前かも。味って何。ハリポタに出てきたバタービールってこういうことかな。寒さ対策の飲み物でもあるらしいし18時ごろに頼んだらより良かっただろうな。というようなことを思った。最後には美味しかった気がした。これぐらいの量でアルコールが入るとちょうど良いのかも。

 大森貝塚遺跡庭園。親子でいっぱいの公園であり、貝塚を見にくるような人間はいなかったから不審者のような動きを取らないように気をつけた。でも奥(③のとこ)にある石碑の写真を撮っていたら、ドングリを探して迷い込んできた子供に明らかにギョッと硬直されてしまった。しかも貝塚自体は「範囲が指定されている‪⋯」としか思えなかった。何しに来たんだ。

 大森貝墟の石碑。こっちの方が有名なんだけど、実はこれはモースに付き添ってた人が発見場所を間違えて言った結果できた石碑らしい。でも、石碑がつくられる段階でその人は「よくわかんないけど‪⋯」という感じだったらしく、それで建てられて違うじゃないかとまで言われるのは可哀想だなと思った。

 それにしても違うのなら撤去すれば良いと思うんだけど、いろんな本に載っちゃってるから気まずいんだろうか。もしくはこの石碑のために変な形の土地が残されたから何か大人の事情で引くに引けないんだろうか。この石碑のために建物と建物の間の細い道を通ったんだけど、きれいな砂利道にしてあったし、階段もいっぱいあった。しかしいろいろ思い出すと本物の貝塚跡よりもこっちのほうが楽しかった気がするし、私は近代のほうが好きだな。

 鈴ヶ森刑場跡。八百屋お七とかが死刑にされたことで有名な場所。八百屋お七は恋人に会いたくて放火した罪で処刑された人。放火は良くないしそういう人って嫌い。でもそれについて放火してまで人間に会いたいと思ったことがないコンプレックスだろうとか言われる方が嫌い。ここは検索したら心霊スポットとして出てくるみたい。狭い範囲にいろいろな石碑が建ってたし、お線香も焚かれてた。隣の寺の人がやられてるんだろうな。

 最後。鈴ヶ森刑場跡に向かうときの道が良かった。首都高があると何故か安心する。

 行ってよかった。自分の身体感覚を取り戻せたような気がする。大森には他にもいろいろ史跡があるっぽく、全然見られなかったのでまた行きたい。終わりです。

 追記(2021/10/25) 大森貝塚遺跡庭園は品川区で1929年につくられ、大森貝墟跡は大田区で1930年につくられたらしい。あと、鈴ヶ森刑場跡について、打首の場合は伝馬町で執行されたのち鈴ヶ森に晒されていて、磔・火刑の場合は市中引き回しの上で鈴ヶ森刑場で執行されていたらしい。(参考 東京都歴史教育研究会編『東京都の歴史散歩 中 山手』山川出版社、2005年)