1月25日 昨年の日記

 1月25日。曇り。空気とか音の響き方が春っぽいと思っていたけど、今夜から雪が降るらしい。自分の感覚のずれを思い知った。朝はスープ(ムネ肉・キャベツ・しめじ)。昼は同じスープと袋のカレー。夜は米と味噌汁(大根・わかめ・ムネ肉)。

昼飯

 今日もいつも通り。決めていた予定をおおむねこなす。十分。

 何もないので去年の日記を写してみる。日記をパソコンで書くようにしたのは部屋が狭いのと振り返りやすくしたいからだった。全部公開してみせるというのは一定の制約を感じるけど、それでもコピペの気安さにありがたみを感じる。

9時に起きる。晴れてて暖かいので起きがいがある。二日酔いもなかった。朝はパン1枚と茹で卵と紅茶。昨夜家庭科の教科書を読んだら、28歳女性の座り生活の私が朝にパン2枚を食べているようではよくないという気配があった。今日はさわやかで素直な気分だったので1枚で我慢してみた。

昼もめんどく、炊き込みご飯1杯とコーンスープと茹でたウインナーしか食べなかった。14時ごろがつらく、間食として食べる煮干しをボリボリ食べた。よく見ずに食べたので煮干しの先っぽが口の粘膜に刺さって取れず不快だった。

夜は焼きそばと味噌汁。焼きそばと味噌汁の組み合わせはあまりよくなかった。検索したらわかめスープとかでよかったなと思った。今日もSNSで人が大変そうだった。また長風呂でだらだら思いをめぐらせてしまった。人と会って話したい気がしたけど、よく考えたらそうでもなかった。

 のんびりしていていい。職場の人と関わらなくて済むようになった一人の喜びを噛み締めている感じがする。

 それにしても去年の1月25日も何もなさそうだ。ほぼ食べ物のことしか書いてない。だからこの日のことを頭の中で再現できない。炭水化物の摂取量が多いことはわかる。でも「杯」という単位から、それについて気にしてないこともわかる。

 去年の1月25日もSNSが大変そうだったらしい。私が明言を避けているために何が起こったか分からない。noteに公開していたから争いを避けようという気分が強かったんだろう。

 これは私の日記のために改善すべきだろうか。まあ当事者でない以上、私が記録しておく意義もさして無いだろうな。でもざっくり言うと、今年は、女性差別的な文化を脱するためのオープンレターが去年出されていたのをきっかけにして、各地でいろいろな問題が発生して、言い合いが起こっているようだ。そして今年の私は、このことについてやるべきことは何もないと考えている。

 去年も「何か私も言わなきゃ」という衝動は少なかったけど、今年はさらに思わない。立場を表明したくならないのは、Twitterに私の居場所を求めていないからかも。こう言うと気恥ずかしいけど、かつてはTwitterの構成員としてのあるべき姿みたいなのが私にはぼんやりイメージされていたのだ。

 去年の日記に情報がないとなんか寂しいことがわかったので、来年のために、今日のニュースをひとつ書いておこう。昨年ジロ・デ・イタリアで優勝したエガン・ベルナルという選手が事故で大怪我してしまい、今年のツール・ド・フランスには出られなさそうだ。

 ベルナル選手は私にもわかりやすい強さがあって、去年から特に応援していた。ゴツゴツした急な上り坂をぐんぐん進む様子は見ていて気持ちがよかった。優勝したときに床に這いつくばって恋人とキスをする様子は理解できなくておもしろかった。だから残念。早く良くなるとよい。

 こう書いてみると、今日報じられた性被害に関する裁判のニュースやウクライナ情勢について言及しないのはダメじゃないかと思えてくる。意見に慎重さが必要なニュースの方が重要だけど、その話題に関する自分なりの慎重さに自信がないから言及できない。だったらしょうもない話にも言及しない方がいい。そういうわけで去年も細かく書かなかったんだろうな。了解。終わり。

 

1月24日 何もない

 1月24日。晴れ。朝は茹で卵。昼は冷食の坦々麺と蒸しキャベツ。夜は米と味噌汁(大根・しめじ・わかめ)と茹でムネ肉。いつもの平日。まあ先週に比べて機嫌がいい。生理が終わったからな。やることが先週より多めに終わった。

 絵の練習。うまくなりたい。左の写真(2019年3月21日の写真)を写した。影なのかマジの線なのかって区別をつけられない(色ないのにどうやってやるのか?(塗り重ねをやらなくても線がきれいになったら良いな))。

 あと塀の穴とかマンホールがなんもわかってないという感じがする(遠近法とかがわかってない感じがする(そもそも自分が集中してないという状態に気づけていない))。あと道路の質感がこんなはずではなかった(謎の影がつく(何気なく線を重ねてるんだと思う))。今後の研究に期待。

1月23日 ササミ撤退

 1月23日。曇り。しかし明るい。休み。朝はホットケーキ。昼は米と味噌汁(春菊・大根・ささみ・しめじ)。夜はスープ(キャベツ・えのき・人参)。

 遠くに出かけるのはやめた。なんか1万人らしいし日曜だし。もはや感染症について正確な情報を集める気にならなくてテレビでぼんやり態度を決める。そんな雑な感じで家にいるだけなのに、それでも命を守る行動をしてることになるのは何となく収まりが悪い。まあこんなふうにのんきに感覚の話なんかしているのは、もちろん私が具体的に不利益を被らない立場だからだ。

 食品の買い出しは行った。近くのスーパーでは本当にササミが撤退してしまったっぽい。そんなことあるのか。ササミが朝一番に売れてるとしてもそのスペースがあるはずだけど、ないんです。諦めてムネ肉。その他も買う。

 あとはインスタントコーヒーをだらだら飲みながら武者小路実篤『真理先生』を読んでた。「まり」先生ではなく「しんり」先生である。この真理先生を慕う人々が集まって何やかんやなる話。武者小路実篤は会話がおもしろいとされていて、おもしろい。結末まで読み切ってないのでなんとも言えないけど、真理先生の善を疑わない物言いにヒヤヒヤする。

 そういう話し方をして聞いてもらえる訳ないだろうと私は思い込んでいる(しかし真理先生は聞いてもらえている)。私は他者を信頼してないのだろうか、いやでも全面的に信頼することもまたどうなのか‪、私が他者に信頼されていないという前提に立ちすぎなのか、そもそも信頼に足る人間とは⋯みたいなことが頭を巡った。

 これは私が自分自身のことを独善的だと思うから気になったんだよな。いつもそれを気にしてんな。そういう意味で読んでみてよかった。この本のことはいつか丁寧に感想が言えるようになったらいいなと思う。

 あとは『鎌倉殿の十三人』みた。もう以仁王が死んでた。承久の乱まではやるっぽい。終わり。

1月22日 絵の練習

 絵を描いてたら時間を食ったし疲れた。川瀬巴水『東京十二題 大根がし』(1920年)を見て描いた。屋根とかにギエーッとうめきながら描いたけど心は安らいだ、というか身体的にインターネットから離れられるから心が安らいだ。

 しかし鉛筆で描いたら消せるから楽なのではなくて、やり直せてしまうから時間がかかるということがわかる。いつも漫画とかを描くときペンでいくし難しいものを描かないから訂正しようとする習慣がない。だから鉛筆で描いてみるのは大事な感じがする。

 ハー疲れた。終わり。

1月21日 レスバ

 1月21日。晴れ。風が強い。だるい。生理。朝はゆで卵1個。昼は海鮮丼。夜は台湾まぜそば(冷凍食品)。自炊すらしたくないときの食事って大抵こうなる。海鮮丼は高カロリーだけどハンバーガーとかよりはマシだ。台湾まぜそばはレンジで温めただけで当たり前だけど温かくおいしい料理になるので、全く何もしてないわけじゃないという気分になれる。

 やることは半分ぐらいしかやってない。しかもTwitter上の戦いを数時間見ていた。終わりの人間。こないだ読み終わった『デジタル・ミニマリスト』という本は、アメリカの大統領選挙に関わるSNSのどよめきに疲れた人に向けて書かれた本で、私はそれを読んで、確かにな〜と思ったはずだった。

 強い言葉で言い合う様子は刺激が強いし、新たな情報が追加されて状況が刻々と変化していくし、それらの情報の信頼度は何だか数値化されていくように見える。そんなのを眺めてるのはパチンコをだらだらやってるのと同じなのだ。

 そんなことは本を読まなくても感覚として知っている。これは哲学者の思慮を尽くした発言に対して農民が「そんなことワタシがいつもの作業中に考えてることだね」と言い返すやつに近いし全くかっこいいことではないけど。

 それにしてもあまりにも見てしまうので、冷静になるために、途中から「Twitter上でレスバすること自体について私は観察して状況を整理している最中なのだ」と思うことにした。

 公開処刑というよりは終わりのない決闘を見せられているようだと思った。群と群の。

 彼らは観客がいる前提で、強い言葉を浴びせ合う。誰か(誰?)にわかってもらうために相手の卑怯さを指摘し続ける。相手の群を上手にからかってみせると認められる。群それぞれの結束は高まる。そういう行為には終わりが見えない。間を取るやつはサムくて嫌われる。

 こう書くと『紅の豚』みたいで、そのようにかわいければいいけど、現実に起きていることであり実際には何もかわいくないし面白くない。私はゴシップ的な特定の個人の本性とかには全員知らない人だし関心がない(運動の終わり方には関心ある)。でもざっくりした感想として一つ挙げると、「キチガイ」呼ばわりを批判とは呼べないと思うので、そういう方向の結論になると良くないと思った。

 これを感想と言ったけど私は判定をした気分でもある。全く関係ないし判定する必要もないのに、全部の情報を見て判定したいという衝動があり、私はそれに任せた。生理でイライラしてたのもあるけど。この、自分のなかで生まれた動きがとても原始的だと思った。

 なんで関係ない私が判定をしたがるのか。私にもまた特定のムラに属しているという想定があって、それを呼び起こそうとする意識が働いたためだと思う。ここで言うムラというのは空間的に存在するものではなくて、自分の積み上げてきた政治的な判断たちの総体だという気がする。

 それでもって、最近の自分がうまく正しく政治をやっていけてんのか、私は衝動的に今回のことを通じて点検しようと動いたのだ。争いによって地図が示されると、自分が今どこにあるのか位置付けやすくなるから。しかも時間の経過とともに状況が変化すると、位置付けも少し変わるかもしれない。学習のポイントが豊富にある。

 私は衝動的にこの学習によって社会での生存確率を高めようとしたんだろう。それはたとえば現実の人間が傷ついているのだからと思って理性的に終わらせられはしなかった。原始的な生存本能っぽい感じがした。こういうことをしてるとき本当に心拍数が上昇するし謎の活力が湧く。

 『みんな政治でバカになる』では終わりに、バカではなくドジになろうというようなことが書いてあった。生き方としてはそれを目指すのがよいと思うけど、思わず頭がそう動いてしまうのはどうしようもないように感じた。

 だから物理的に離れるしかない。今日は早くから用事とボランティアがあったお陰でシャットアウトできた。明日からも工夫しよう。

『プロミシング・ヤング・ウーマン』ではじめに流れる曲!

 今日の日記は大変長くなった。日によってムラがありすぎる。終わり。

1月19日 1月20日

 1月19日。晴れ。朝はゆで卵2個。昼は海鮮丼。夜は米と豚汁っぽい味噌汁。

 あとアイスを2個食べた。名前はもう分からないけど赤と白のモチのアイス。ナタデココin杏仁豆腐バーの冬バージョンっぽくておいしかった。食感がもっちりしており、固い粒は微妙だけど腹が痛くて、かつ冷やすべきではなかったのに2個食べてしまった。

 ここまで書いたあたりで腹痛。さまざまな薬を飲んだら眠くなり寝た。

 1月20日。晴れ。今日は休む予定。だるいけど外出した方がいいと思って出た(SNSで割と関心のある争いごとを察知してしまったため)。散歩、本屋、喫茶店、本屋、カラオケのち帰宅。

 フランス史の大家である遅塚忠躬の『フランス革命』を読んでいる。岩波ジュニア新書。これが難しい、というか読み進められない。難しいことを平易に書かれるとより難しくなる、みたいなことを思った。知らない単語が連発されるとしてもその単語を覚えてしまえばその方が内容を把握しやすいな、と感じた。

1月18日 何もない

 1月18日。晴れ。生理がこなすぎて、睡眠不足かもと思い二度寝。このごろ寝つきが悪く、部屋を暗くして布団に入ってスマホを見ていなくても眠れない。二度寝って私には悪さがでかい(絶対に頭が痛くなる)けど、思い切って二度寝することにした。というわけで朝食はなし。

 昼はスープ。昨日と同じようなキャベツとかのスープ。キャベツを日めくりしている。夜も同じスープと少し米。2年前の私が今の食事の様子を見たらビビるだろうな。

 やるべきことは午前中が失われて少しできなかった。今からやれんのか私は。でもあちこちオードリーで時間をつぶしてしまったし、KIRINの本搾り冬柑(おいしい)を飲んでしまっている。

1月17日 みかんを食べるおじいさん

 1月17日。晴れ。今週はずっと晴れだから乾燥に注意とのこと。朝はスープ。昼はスープと台湾まぜそば。夜は米と味噌汁と梅干し。

スープ。少し解凍された胸肉を包丁で切るときの感触が好き
写真とるの久しぶり。質素。

 YouTubeでスクールゾーンという芸人コンビが「人間モノマネ」という動画を上げているんだけど、その中に『みかんを食べるおじいさん』というのがある。

 これを見て、よく味わう行為っていいんだろうな〜と思い、今日のごはんは味わった。噛みながら、野菜にだいたい通っている、水を通す管のことまで想像した。管はたぶん大体の動物にも通っている。命だな〜と感じいった。

 あとはいつもどおり過ごした。

 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を2話見て追いついた。まだ『麒麟がくる』の方が全然おもしろい。でも義経役が菅田将暉なのがめちゃいい(まだ2秒ぐらいしか登場してないけど)。

 菅田将暉が義経役として、戦メンバーの気持ちを考えずに勝つことばかり考えて周りから嫌われる様子とか、結局したたかな頼朝に殺されることになる様子を想像すると似合いすぎで、想像するだけで少し感動できてしまう。菅田将暉を楽しみに見ていきたい。

1月16日 トンガ

 1月16日。晴れ。昨日トンガというところで大きい噴火があったらしく、朝のニュースはそれで持ちきりだった。今トンガ王国のWikipediaを読んでみたら、

 2006年7月5日夜 アメリカ合衆国・カリフォルニア州の高速道路で、18歳の少女が運転する車が暴走し、同国のトンガ人コミュニティに向かっていたトゥイペレハケ王子夫妻と王室関係者が乗る車に激突。暴走車を運転していた少女は無事だったが、トゥイペレハケ王子 (en)、カイマナ妃、運転手、ほか同乗の2名の王室関係者が死亡。

トンガ – Wikipedia

 というのを見つけて衝撃だった。そんなことが王子にも起きるんだっていう。明治時代の風刺画に描かれそうな話だ。

 アメリカ在住の18歳が暴走させていた車によって小国の王子が殺された、という出来事は今やなんともテンプレっぽいし、皮肉屋の人でもネタとしては “面白さがない” と判断しそうだ。もはやわかりきった暴力とわかりきった結果。私もそう思えてしまうから胸糞悪い。

 ちなみにDeepLの力でサラッと調べたところ、18歳の人は一国の王子を死なせたからと言って余計に罰を科されてはいないようだった。

 話は変わるけど、これまたサラッと政治思想史の本に書いてあったことには、人々の経済活動の自由を最大限保障するためには立憲君主制が最も適しているという考え方があるらしい。これは理論とかは説明できないけど感覚的にわかるような感じがする。こないだ東京オリンピックのときに天皇が “匂わせ” をしてたとき、憲法は?!と思った一方で、偏りを感知したらバランスを取ろうとする機能がなくはないんだなとも思った。

 そういうわけで、民主主義と資本主義の相性が悪いことがわかっている以上、立憲君主制はまあ良いなとボンヤリ思う。で、トンガは王国でまだ身分制はあるにしてもそういう方向に行こうとしてるっぽかった。しかしこの噴火でどうなってしまったのか。電信も機能していないらしく、よく分からない。

 …これは日記だった。朝のニュースを見たら出かけてしばらくの間テストを受けた。結果はまずまず。油断したらいけない。喫茶店で本読む。隣の人たちが「まつげって抜けると焦るよな」みたいな話ばかりしていて気になってあまり集中できなかった。帰宅。だらつく。明日からまたがんばろう。もう眠い。

1月15日 散歩した

 1月15日。晴れ。共通テストの試験会場で誰かが刺されたらしい。事情は何もわからない。昨日ほどじゃないけど風が強い。私の判断で土曜は休みではない。やることが多くて、15時ごろに眠くてどうしようもなくなったので散歩に出かけた。

 東京の私が住んでいる辺りは、色々なほっそい道が残ってる上に、私自身が通ったことある道をほとんど覚えてられないおかげで、散歩するたび何か違って感じられる。

 今日は歩道橋の上から車を眺めたい気分だったので、だらだら歩きながら歩道橋を探した。歩道橋から車を眺めてると川を眺めてる気分に近くなる。

 でも「みんな移動してんな〜」と思えるのが車を眺める時のいいことかも。歩いてはついていけないけど光と比べたらまるで遅い速度で移動しているのを見る。人間がさまざまな選択をしているし、全員あと100年以内に死ぬ、ということを思う。

 あとは何もない。本とかブログとかを読んでいた。もう少しやることやったら寝る。