1月8日。晴れ。雪の日の気温の低さの反動で暖かく感じる。朝はゆで卵2個。勉強する。昼はお粥。勉強終わる。夜は韓国料理屋に行った。
韓国料理屋は、近所にあるけど、立て看板がとても怪しい(立て看板の上で、空気で膨らませた布のピエロの人形がひらひらしている)ので避けていた店。
このごろ東京都のまん防などによって店が閉まるかもしれなくなってきたし、新年だし、何か冒険してみようぜって気分で入ってみたら装飾や照明は若者っぽくて意外だった。
テレビ画面には韓国のレコード大賞みたいなのが流れていて良かった。民族料理の店でその地域のテレビが漫然と流されているのが好き。


こないだ『キレる私をやめたい』というエッセイ漫画を読んだとき、私は私の不安を抑制する力がものすごく強いということに気づいて、せっかくだしそういう自分に向き合うかと思った。
正直、自分の気持ちを抑制する力が強いからといって、外面的にそんなに困ったことがない。すぐ謝るとかしないし、他人に対して「私なんかどうせ」とか言わないし、人を殴ったこともない。それに自己肯定感が低い気もしなくて、例えば自分の絵のこととかかなり好きで、褒められたらうれしい。
私は色々な人に会って勉強をしてふるまいを研究することで、自分の気持ちの未熟さを隠す方法を内面化しようとしてきた(うまくいってるかはさておき)。それが苦痛だと感じてこなかったので問題化してこなかったし、今もそんなに苦痛だとは感じていない。
だったら別にいいという考え方もある。実際そうかも。でも時々、抑制する力が強くても、それを乗り越えて不安になることがある。そのときの対処方法がない。
日ごろ抑制することによって、抑制しきれないほどのでかい不安が来るぐらいなら、小さいのの時点で認識して表現できる方がいいかもなとか思う。
抑制ぐせの一因として育ちの環境がある。親は私と一緒に誰かと会うとき、いつも私の二の腕をつかんでいて、私が「よくないこと」を言ったら強めに握ってきたりしていた。これは、犬にベルを鳴らしたら涎が出る実験に近いことがなされていたと言っていい。
小さいときのことなどどうでもいい、と若さによって振り切ってきたけど、自分を一歩引いて見たときに、親の影響によって何かが起きているということが自分で分かるのであれば、そんな人間として他者に関わりたくない。
機械に対して使う言葉だけど、よく生きていくために、自分の操作感を上げていきたい。