感想『ラストナイト・イン・ソーホー』

 『ラストナイト・イン・ソーホー』を観た。いろいろ思ったけど観てよかった。音楽は激しくて良かったし、私は主人公のキャラクターに惹かれたし、つらい関係につらくなった。

 以下は、長いし、内容や結末に完全にふれるし、かなり主観的で自分のために都合のよいことを言っている。公式サイトはこれで、たぶん必要なことはそこに書いてある。あと予告編はこれ。

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 まず元日に観る映画として良かったか。暴力とかゾンビとかホラーとかの映画で元気が出る人ならきっと良いと思った(私は元気が出る)。あと「とにかく音楽を気持ちよく聞かせてくれ」っていう人も楽しいと思う。

 でも、アイデンティティをめぐる現代社会の諸問題に強い関心があり、その語り方は慎重であるべきだという人にとっては、元日からモヤモヤさせられて、嫌かもしれない。

 なぜかというと、この映画は、現代社会におけるそういう対立を面白くするためにふんだんに使っていると言われても仕方ない気がするから。

 都市ー郊外、文明ー未開、夢ー現実、女性ー男性、障害者ー健常者、人種、地域、スクールカースト、など、ポンポンポンポン出てくる。これらでもってどんどん話を揺さぶり、話のテンポを上げていく。そういうことに軽々しさを感じてショックを受ける人もいるだろう。

 それでも私は観てよかった。

 何より主人公のキャラクターがよかった。主人公はたぶん10代の女性。彼女は60年代ファッションが大好きで、ずっと憧れていたロンドンにある服飾の学校に合格したところから話が始まる(私はファッションには関心ないけど近代史が好きだし東京に来たかったので近さを感じた)。

 彼女は楽しそうだけど、どうやら母親が自殺したのをきっかけに、彼女の鏡に母親が映るようになっているようで、初めから不穏でもある。

 ロンドンに着いたら、寮の同室の女に嫌なことをされて、耐えなかった彼女は、すぐに屋根裏部屋に引っ越す。屋根裏部屋では、母親ではなく、サンディという女性が鏡に映るようになる。

 サンディは60年代に歌手をめざした女性のようだ。ロンドンのソーホーという地区で働き出したけど、思うように行かず、男性客と望まない性交渉を重ねていくようになる。その様子が断片的に、主人公の見る鏡に映るし、夢にも出てくる。

 この主人公は、鏡に映る憧れのサンディと現実の自分、夢と現実の違いにしょっちゅう混乱するようだ。そしてそれがとても苦しそうだった。だから、私は「統合失調症なのか‪な⋯」とか「60年代の女性について調べてかなり深めに共感してるのかな‪⋯」などと思わされる。

 彼女は、自分には “霊が見える力” があると言っているのだ。でもそれを聞いても私は彼女を信じられなかった。私は「できれば病院とか警察とかに関わってほしい‪⋯」と内心ハラハラして、公的機関に行ってくれる場面では正直ホッとする。そういう揺さぶられ方をした。

 話としては結局、本当に彼女に “力” があった。実際に彼女はそこにいる霊が見えていた。私にはその展開がすごく衝撃だったし、〈超能力ーなんかの症状〉っていうので揺さぶってくることは映画でしか出来なさそうで、その体験はとても面白かった。

 衝撃を受けた理由は私の方にもある。傾向として心配性だから、周りの環境に「大丈夫か?」と気にする時のエネルギーがひとしお強い。私はそれを弱めたいと強く思っている。で、その心配エネルギーが彼女に強く向けられたのを感じたので、のめりこまないブレーキとして、彼女を信じないという判断をしていたんだろう。

 観終わった直後は、私にはまだまだ気づいていない偏見があるのだろうなと反省モードになった。でも少し考えると、こういうブレーキが偏見を生むとしても、このブレーキはあったほうがいいんじゃないか。口に出すべきか出さないべきかの問題だなと思った。

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 もうひとつ惹かれたのが、最後の家主と主人公の対決だった。屋根裏部屋を貸してくれた家主がサンディだったのだ(ここで主人公の “力” がマジであるんやと分かる)。しかもサンディは、望まない性交渉をさせてきた男たちを、実は全員刺し殺して屋根裏部屋の床に埋めていた。だから警察と関わりを持ち始めた主人公を、サンディは薬で殺そうとする。

 しかし主人公はしぶとい。なんとか動ける主人公は、サンディに反撃するのではなく、むしろ罪を認めて生きていくように説得する。主人公はサンディに憧れていたし、生きていてほしいのだ。

 その説得の中で、主人公は「あなたは生きていくべきよ」的なことを言う。しかしサンディは「お前に私は救えない」と言う。そしてサンディは燃える家と一緒に死ぬことを決める。そして死ぬ。

 このやりとりがつらかった。それはそうなんだけど。他人の心に土足で踏み込んじゃいけない。サンディの意思は尊重されるべきだ。それはそう。

 でも私には受け入れがたい。サンディや主人公のどっちかに対してではなく、その状況に対して、そんなの悲しいだろうがッ!という怒りみたいな感情が湧く。

 まあ、主人公があの時できたことは「受け入れがたい」と言う態度を示し続けることだけだし、それをやった。だから主人公としてはこうでしかない。サンディも、ずっと罪を隠しながら生きてきたのを今更、ポッと出の若者のために変えたくはないだろう。

 分かる。とはいえ嫌だな、しかしどうしようもないな‪⋯というループに陥る。これは別に脱却とかできない。つらいなと思いながらやっていくしかない。やっていくしかないなーと思った。

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 長くなってしまった。感想って難しいんだよな。でも一番書きたかったことは書いた。もう眠いので終わり。明けましておめでとうございます。

 

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