11月

 11月1日。曇り。いい気温。これから雨が降るらしい。東京の感染者数9人らしい。朝はなし。昼はハンバーガー。夜はなし。録画してた選挙特番を引き続き見てたのであんまり食事を何とかしようという気がなかった。

 土曜は部屋をきれいにして友達4人と先日買ったジンを囲んでしゃべり、日曜は眠ったあと選挙に行って選挙特番をダラダラ見ていた。

 以下選挙とSNSの話をしたい。

 選挙は、私のいる選挙区では負け確だなと思いながら白票はやめとくために立憲に入れて(負けてた)、比例では特に教育分野のことで国民に入れた。国民は思ってたより票を伸ばしたらしいけど「民主党」と書く人の按分によるという話もある(開票作業した人の一実感がどれだけ信頼性があるのか疑問もある)。全体の結果は与党が爆勝ちというわけではないけど小選挙区で野党共闘した政党は負けたというところだと思う。

 各メディアの事前予想が多く外れてたこともあり、知り合いの左派っぽい人達が失望している印象がある。私も左派だと自認してるけど、現都知事が爆勝ちしたときのトラウマから覚悟していたし、立憲・共産のSNS戦略がかなりうまく行かなそうだと感じてたので、そこまでショックはない。了解‪ッという感じ。

 こういう態度って逆張りって言われるかもしれないけど、もはや逆張りでもいい。私は今はとにかく勉強するのと、周囲の人たちとうわべではない会話ができるような自分の態度を作っていくのが大事だと思っている。

 人に話を聞いてもらうのは難しい。Twitterで自分の価値観を「説く」行為が気軽に繰り返されることで、今回はフィルターバブル的なことが前よりも起こって、ますます分断が深まっただけになったんじゃないだろうか。

 私はかつての仕事で、浅く短い経験しかないけれども、自分と違う意見の人や無関心の人に「話を聞いてもいいかもな」と思ってもらわないといけなかった。そのとき感じたのは、長い時間をかけたパフォーマンスや相手との関係性の構築が必要で、しかもその過程で相手から見下されていると思われたら一瞬で距離を取られてしまうので、自分でもうっとうしくなるぐらいの粘り強さがないと厳しいということだった。私はSNS上の政治運動にはそういう前提を感じ取れなかったし、心理的距離を取られる機会の方が多そうに見えた。つまり根が生えそうじゃなかった。

 しかしこの話だって「共有したいだけで/思ったことを言っただけで説いてなどいない」とイラつかれるかもしれないし、さっきからの話を踏まえるとただ距離を取られるだけなのかもしれない。そもそも人によっては国民民主党に入れるやつの意見など聴くに値しないのかもしれない。

 目の前にその人がいなければ、私の発言が受け入れられていない様子に気づけないし、何で受け入れられないのかが分からない。そんな悪条件下で「空回ってもがんばってみせる」という態度が有効だとは思えない。意見すること自体がダメなわけじゃなく、それが戦略として正しいとは思えない。

 少し冷静になると、とにかくSNSでの政治の話をする営みには歴史がないだけで、今は何事も積み重ねる段階なのだろうか。だとしたらこれから積み重ねるにあたって、気に入らない人のむかつく意見を見ない・言わせないようにしない土壌がどうにか生まれるといいなと思う。

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