サーモン すばらしき世界

 9月24日。晴れ。朝はフルグラ。昼はサーモンとバジルとチーズをパンに載せたやつ。夜はサイゼリヤと葡萄。昼ごはんが驚きで、サーモンとバジルとチーズとオリーブオイルで不味くなることなんてないだろと思ったのに、全然おいしくなくて、料理ってすごい、有名で安牌とされている組み合わせにもおいしくするための工夫の歴史が蓄積されてきてるんだな、と思った。たぶんパンとかチーズの種類とか、サーモンの切り方とか、全部間違えてたんだと思う。

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 伊豆錦という葡萄。巨峰っぽい味。説明書によると「巨峰にマスカットオブアレキサンドリア系の品種をダブルで重ね交配」したものらしい。皮が昨日のより渋いけど私としては親しみがある。おいしかった。

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 今日は久しく会ってなかった知人が、長いこと誰にも会っておらず友達もおらず経済的に厳しく元々厳しい事情がより複雑になったというので激しく落ち込んでいるようだったので、必要火急と判断して会ってきたし食事もしてきた。

言い訳がましくダラダラ説明するのは、こういう状況においてどう判断すべきか微妙だと思ってるから。全く人と接触しなくなることで追い詰められる人にとって、平気で家に引きこもれる環境にあるような私は、彼らを排除しているように見えるし、見えるなら排除してることになるなという。そして排除はよくないが感染リスクを高めるのもよくない。

 まあこのこと自体は前からぼんやり思ってたんだけど、感染の拡大もすごいし、こういった話は避けたほうが無難だなと思っていた。それに「またうるせー細かい配慮の話かよ」みたいな反応を感じたら私が傷つくし嫌だし。すべて保身。でも今回かなり大変そうな様子を見て、とりあえず言及はしておきたくなったし、これからは私にできることはしたい、打ったし、打ったからって大丈夫じゃないらしいけど、打ったし、という気持ちになった。

 うるせー細かい配慮の話がつづくのですが、西川美和監督の『すばらしき世界』という映画がある。“更正”しようとする主人公のために、家族でないような(たとえば近所のスーパーの店長さんなど)いろいろな立場の人間がその立場でできることをやっていく話だった。

 私はそういうことに関心がすごくあるので、映画をみながら節々でボロボロ泣いてしまったんだけど、あのすばらしき世界をつくるのは今の状況ではより難しいし、今やるなら彼らとはまた違った決断がないといけないんだろうと思った。最近「できることをやる」ってのが流行ってる気がしてて、何かに陥ってそうとも思うんだけど、でもやっぱりすばらしき世界のためにできることをやりたいな。

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